第44話 箱根関所
その後、わたしたちはお昼にわっぱ飯という、釜飯や炊き込みご飯の親戚みたいなご飯を食べてお腹を満たし、今回の合宿における最大の目的地、箱根関所を訪れた。
「やっぱ、雰囲気あるね~」
と、能天気に感想を述べたのは圭夏ちゃんである。
今、わたしたちが立っているのは「京口御門」という南側の門の前で、お寺にあるのと同じような和風の門の周囲に、黒い木柵が張り巡らされているんだけど――
「……なんだか、ちょっと怖いかも」
なぜかはわからないけれど、なんとなくわたしはそう思った。
「えっ? そう?」
「うん。同じ和風の古い建物でも、お寺や神社とは少し違う感じがするっていうか……」
「榎本さんが、そう感じるのも無理はないわ。お寺や神社は人々に安らぎや救いを与えるための場所だけど、関所は人々に威圧感を与えるための施設だもの」
うまく感覚を言語化できないわたしに代わって、永井先輩が圭夏ちゃんに言った。
ちなみに、運転に疲れた松平先生はこの場にはおらず、近くのカフェで休憩している。
「そーいうものなんですかね? あたしはお寺とか神社とかあんまり行かないんで、違いがよくわかんないんですけど」
「一年生は少し前に、遠足で鎌倉に行ったでしょう?」
「あー、そういえばそうでしたね……でもあの時はあんまり真面目にそういうの見てなかったっていうか、ぶっちゃけ小町通りで遊ぶことしか頭になかったんで……」
永井先輩の問いに、狼狽えながら答える圭夏ちゃん。
「まあ正直、中学生ならそれが普通っていうか、お寺や神社に安らぎを感じるほうがババ臭い気もしますけどね……」
「中島さん、何か言った?」
「いえ、なんでもありません」
小声で呟いた中島先輩は、永井先輩に怖い笑顔を向けられて、慌ててかぶりを振った。
× × ×
寺社や史跡というのは、真面目に見るか否かで、だいぶ印象が変わってくる――
関所のあちこちを見て回っているうちに、わたしは圭夏ちゃんが言っていた通りだと感じた。
たとえば、牢屋(正確には「獄屋」と言うらしい)の入口はとても背が低く、かがまないと出入りできないことなんて、完全に忘れていたし。
遠見番所――要は高台にある物見櫓みたいなものだろう――へと続く階段は一段がとても大きくて、かなり足を伸ばさないと上れないことも、記憶からすっぽり抜け落ちていた。
遠足でこの場所を訪れてから、まだ二年も経っていないのに、である。
「江戸時代の人って、確か現代人よりだいぶ背が低かったと思うんですけど……これと同じ高さの石段を、平気で上り下りしてたんですか……?」
「確かに背は低かったけど、足腰は現代人とは比べ物にならないくらい頑強だったからね。江戸時代の旅人は、一日でフルマラソンくらいの道程は普通に歩いたそうよ」
息を切らしながら尋ねるわたしに、普段から鍛えているのであろう永井先輩は、涼しい顔をして答えた。
「ってことは、あたしらが車に乗って移動した距離を一日で……?」
驚きに目を見開きながら、圭夏ちゃんは永井先輩に質問する。
「いや、それは流石に一日じゃ無理だったと思うけど……たぶん相模川の河口、平塚とか茅ヶ崎あたりからこの辺の宿場町までは、一日で歩いてたんじゃないかな」
「はえー……昔の人ってすごかったんですねー。慶美ちゃんなんて、数時間車を運転しただけでグロッキーになってるのに」
「松平先生の場合は、渋滞に巻き込まれた疲れもあるだろうし……それに生徒の命を預かっていたわけだから、一人で運転するよりもプレッシャーを感じていたんじゃない?」
先生の苦労に気が付いていなさそうな圭夏ちゃんに、わたしは言った。
「あ、そっか……色々と大変なんだね、あの人も」
「先生は大人だし、責任のある立場だから……」
わたしがそう返事をしたのと、階段が終わるのはほぼ同時だった。
邪魔にならないように少し移動してから振り返ると、芦ノ湖の景色が視界いっぱいに広がる。
「おお……」
わたしは思わず、感嘆の声を漏らした。
永井先輩の言う通り威圧的な、いるだけで息が詰まりそうになる箱根関所の中で、この場所だけは心が安らぐような気がした。
もっとも、こうして遠くまで見渡せるようになっているのも、関所破りをしようとしている人間がいないかを見張るためだったんだろうけど。
「いい眺めですね……」
「そうね。でも、もっと壮観で、もっと当時の人々……というか、関所破りをしようとしていたお玉ちゃんが歩いていたのに近い道程を、体験できる場所があるんだけど……」
ひとりごちるわたしに、そう言ったのは永井先輩だった。
「……え?」
嫌な予感がする。
あの急な階段を涼しい顔で上っていた先輩が言う、「関所破りをしようとしていた人間が歩いていたのに近い道程」なんて、絶対ハードに決まってるからだ。
× × ×
永井先輩のオススメスポットは、国道一号脇の登山道を進んだ先にある滝らしい。
根っからのインドア派で体力ミジンコのわたしとしては、正直あんまり気が進まなかったんだけど、圭夏ちゃんや中島先輩は乗り気だったし、「文化祭での公演を成功させるため、題材への理解を深める」という合宿の目的を考えると、強固に反対する気は起きなかった(とはいえ、今日この後行くのは流石にしんどいので、明日にはしてもらったんだけど)。
それはそうと、関所を一通り観て回ったわたしたちは、近くにある資料館を訪れていた。
「へえ、ここで武器の改めが行われていたって記録はないんですね……」
展示を見ながら、わたしはぽつりと呟く。
どこかで「入り鉄砲に出女」って言葉を見た記憶があるんだけど、あれは後世の創作だったんだろうか。
「
「トオトウミ? コセイ?」
永井先輩の解説を聞いて、頭の上に「?」マークを浮かべたのは案の定、圭夏ちゃんだった。
「……遠江は今で言う静岡県の西部で、湖西はその最西端――浜名湖の西で豊橋の東、ですよね?」
「ええ」
中島先輩の質問に、永井先輩は頷く。
「静岡の一番西って、浜松じゃなかったんだ……」
「あはは……ところで、静岡ってかなり横に長いと思うんですけど、それで大丈夫なんでしょうか……?」
圭夏ちゃんの言葉に苦笑いした後、わたしは永井先輩に尋ねた。
新幹線に乗っている時とか、かなりそれを感じる。
名古屋から小田原まではすごく長いのに、小田原を過ぎれば新横浜まではあっという間だ。
「さあ……? わたしも詳しくは知らないけど、静岡は徳川と縁が深い土地だから、公儀の直轄地や旗本領が多かったんじゃない?」
「なるほど……」
「幕府」や「天領」という言葉を使わないのが永井先輩らしいな、と感じながら、わたしは頷いた。
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