五章 箱根合宿

第39話 お金の問題

 永井先輩に、箱根に合宿へ行くのはどうかと提案した日の翌日。


「いいじゃん、行こうよ!」


 放課後、わたしが部室にて他の部員や顧問の松平先生にも同じことを話すと、圭夏ちゃんは昨日の永井先輩と同じく、すぐに賛成してくれた。


 それは嬉しいし、ありがたいことなんだけど――


「…………」


 問題は、中島先輩が浮かない顔で押し黙ってしまっていることだ。


「中島先輩は……行きたくないんですか?」


「いえ、そういうわけではないというか、むしろ行きたいんだけど……うちはたぶん、親がお金を出してくれないと思うから……」


 わたしの質問に、先輩は目を泳がせながら答えた。


「そうなんですか……?」


 中島先輩の家庭はあまり裕福そうには見えなかったけれど、部活の合宿なんて何十万円もかかるわけじゃないだろうし、それにかかる費用すら出せないほどだとは考えにくい。


「ええ。父は単身赴任中……っていうか元々仕事人間だから家のことにはノータッチだし、母は『デザイン系の大学や専門学校に行くんだったら学費は出さない』とか、『兄のように防大を目指せとまでは言わないけどせめて公務員になれ』とか、いっつもそういうことばっかり言ってくるのよ」


「な、なるほど……」


 そういえば、中島先輩はお兄さんのことを好きそうな感じだったのに、「自衛隊のカレンダーは防大を目指している兄が買ってきた」と話していた時だけは機嫌が悪そうだった。


 わたしはその理由を「防大生や自衛隊員は、訓練などで危ない目に遭う可能性があるから」じゃないかと思っていたんだけど、どうやら違っていたらしい。


 それにしても今時そんな、まだ中学生の娘を、無理に公務員の道へ進めようとするような親がいるなんて。


 中島先輩がお母さんと上手く行ってないんだろうなってことは、以前から薄々感じていたけれど、あのお母さんは、わたしが思っている以上にやばい人なのかもしれない――


「ちなみに、美術部をやめて演劇部に移籍するって話した時も、『衣装のデザインができるから?』って聞かれて、肯定したら怒鳴られたわ」


 そんなことを考えていたわたしに、中島先輩は更なる爆弾を落としてきた。


「…………」


 わたしは――いや、その場の全員が言葉を失う。


 デザイン系の学校に進学するんだったら学費は出さない、っていうのもかなりドン引きな話だけど、そういう「何年も先の話」だけじゃなくて、中島先輩が「今」やりたいことまで否定するなんて。


 これはもう、「毒親」と呼ぶしかないんじゃないだろうか。


 だけど、この時のわたしは不思議と、そんな親を持ってしまった中島先輩のことを「かわいそう」だとは思わなかった。


 むしろ、一番身近な人に否定されながらも、一途に夢を追い続けている先輩はすごい、かっこいいって感じるし、尊敬できる。


 だからこそ、そんな彼女と一緒に、合宿へ行きたいと思うんだけど――


「……高校生ならバイトするって手もありますけど、あたしらは中学生ですから、そういうわけにもいかないですよねー」


「部費を使うって手は?」


 圭夏ちゃんが重苦しい沈黙を破ると、永井先輩がそれに続いた。


「部費は、使うなら平等に使うべきでしょう。全員の参加費の一部を部費から出すのであればともかく、私一人だけのために使うのは……」


「……中島さんの分は、私が出すわよ」


中島先輩が遠慮する中、そう提案したのは意外なことに松平先生だった。


「えっ? いや、そんな……」


「いいのよ、気にしないで。顧問としての仕事なんてまともにやってないのに、部活手当てもらっちゃってるんだから。むしろ、それくらいしないと気分が悪いわ」


 どうやら、先生は顧問として部員わたしたちを指導できていないことに、かなりの引け目を感じているらしい。


 その気持ちはわからなくもないけれど、確か公立中学校の部活の顧問って、休日以外は手当が出ないってお父さんが言っていたような記憶がある。


 何年か前に聞いた話だから、今は仕組みが変わったんだろうか。


 それとも、松平先生は中島先輩が気を遣わなくて済むように、嘘をついているのか。


 なんとなくだけど、わたしとしては後者のような気がする。


「でも……」


「どうしても気にするって言うんなら、自分で働いて稼げるようになったら返してくれればいいから。あ、利子とかはいらないかね」


 なおも固辞する中島先輩だったけれど、松平先生が冗談めかした口調で軽口を叩くと、表情をほころばせて「くすっ」と笑った。


「いや、それは当然でしょ」


「生徒にお金を貸して利子を取るとか、悪質すぎますよ」


 圭夏ちゃんと永井先輩も、笑いながら口々に突っ込む。


 でも、わたしはみんなのように笑うことができなかった。


 わたしだって、中島先輩と一緒に合宿へ行きたいって気持ちは確かにあるけれど、こんなやり方でお金の問題を解決して、本当にいいんだろうか――


 どうしても、そういうモヤモヤとした考えが頭を離れてくれなかったからだ。

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