第38話 歴史に敬意を

「お、おはようございます、永井先輩」


 翌朝、わたしは登校中の永井先輩を発見し、後ろから挨拶をした。


「おはよう、榎本さん」


 歩くスピードを落とし、こちらに挨拶を返してくれる永井先輩。


「あ、あの、少しお聞きしたいことがあるんですけど……」


「ん?」


 わたしの言葉に、永井先輩は小首を傾げた。


「永井先輩は『革命』って歌を歌ってたのに、どうして当時の権力者である江戸幕……徳川政権を擁護するようなことを言ったんですか?」


 危うく「幕府」と言いかけて、わたしは慌てて訂正する。


「別にわたしだって、革命家が絶対正義で、権力者が絶対悪だと思ってるわけじゃないよ」


 苦笑しながらそう答える永井先輩は、軽音部の先輩が言っていたような、「思想が強い」人――思想的に偏っている人には見えなかった。


 ひょっとして、あの先輩は3S政策とかの社会問題について真面目に考えている永井先輩のことが鬱陶しいから、「思想が強い」というレッテルを貼って、精神的に優位に立ったつもりになっているだけなんじゃないだろうか。


 ただでさえ、かなりコンプレックスを拗らせているみたいだし。


 たぶん、先輩が「トーンポリシング」という言葉を知っていたのも、自分が実際にされたことがあるからなんだろうな――


「あっ、そ、そうですよね……」


 そんなことを考えながら、わたしは永井先輩に同意した。


「『革命』の歌詞は正直、議論が起きることを期待してわざと過激なことを書いた部分もあるし……それにわたしは、保守とか革新以前に、勝者の歴史が許せないから」


「勝者の歴史……ですか?」


「うん。勝者の都合で編纂へんさんされた歴史、って言ったほうがわかりやすいかな。言ったでしょ?『幕府』って呼称は尊攘派が使い始めたって」


「そういえば……」


 最終的には尊攘派が徳川政権を倒して明治政府を樹立し、「幕府」という呼び方を広めた。


 永井先輩としては、それが気に食わないのだろう。


「呼称といえば、『藩』って言葉も江戸時代の人々はほとんど使っていなかったのよ。これは別に、蔑称ってわけではないけど」


「そ、そうなんですか……?」


「うん。榎本さんは、保科ほしな正之まさゆきの遺訓って知ってる?」


「えっと……確か会津の……」


 ついさっき、永井先輩が「藩」という言葉は江戸時代には使われていなかったと言っていたので、「初代藩主」とは言わないようにしつつも、姓が「保科」である以上、「会津松平家の始祖」って表現するのもおかしい気がして、わたしは言葉尻を濁した。


「そう。大君の儀、一心大切に忠勤を存ずべく、列国の例をもって自らを処するべからず。し二心を抱かば、即ち我が子孫にあらず、面々決して従うべからず……」


 淀みなく、しかし沈痛な面持ちで暗唱する永井先輩が、会津に強い思い入れを抱いているのは明らかだった。


 さっきの「勝者の歴史が許せない」って発言と、何か関係があるんだろうか。


「この遺訓からは、彼の徳川宗家への忠誠心以外にも読み取れるものがあるんだけど、なんだと思う?」


「えっと……わ、わかりません」


 なんだか、朝から歴史の授業を――というか、大学とかで行われているような本格的な歴史の講義を受けてるみたいだな、と感じながら、わたしはかぶりを振った。


「『藩』ではなく『国』と、『将軍』ではなく『大君』と言っていることよ。将軍の呼び方については、今は置いておくとして……重要なのは江戸時代以前の人々にとって、『国』っていうのは日本とか中国とかオランダとかのことじゃなくって、現代人が言う『藩』を指す言葉だったってこと」


「つ、つまり……どういうことですか?」


「現代人だって、海外旅行をするのにはパスポートが必要でしょう? 要は関所を通るのに通行手形が必要だったのも、それと同じってこと。もちろん、刑罰が厳しすぎたことや、男女でその重さが違っていたことは問題だったと思うけど、関所の存在そのものを否定するのはナンセンスじゃないかしら」


「な、なるほど……」


 当時の人々にとって中国やオランダといった海外の国はどういう存在だったのか、って疑問は残るけど、要は江戸時代の日本は現代みたいな中央集権の一極集中型社会じゃなくって、各地の大名の権限が強い地方分権型の社会で、地域ごとに文化や風習も大きく――わたしたちが想像する以上に――異なっていた、ってことだろう。


「永井先輩がそういうことを知ってるのって、やっぱり学術書を読んでるからですか?」


「うん。専門家に比べたら、わたしの知識なんてまだまだだけどね」


「え、えっと……先輩はどうして、学術書を読むようになったんですか? 何かきっかけがあったりとか……」


 先輩の謙遜の仕方が反応に困るものだったので、それについてはリアクションを取らずに、わたしは質問を続けた。


「……わたしも昔は歴史ものの乙女ゲーをやったり、歴史小説を読んだりするだけだったわ。でも、前に話した3S政策について知った時に思ったの。自分の楽曲を、一過性のものとして消費されるのは嫌だな、って」


「…………」


 永井先輩が乙女ゲーをやるのは意外だけど、それがどうして学術書を読むことに繋がるんだろう。


「その時、こうも思ったんだ。『自分の歴史に対する向き合い方も、見直す必要があるんじゃないか』って」


 わたしがそんな疑問を感じていると、永井先輩が付言した。


「単にエンタメとして楽しむだけじゃダメだって感じた、ってことですか……?」


「うん。自分がされて嫌なことは、人にするなって言うでしょう?」


「そ、そうですね……」


 この人は――永井先輩は真面目すぎる。


 もう少し肩の力を抜いて、楽に生きてもいいんじゃないか。


 正直、そう思う。


 でも、この真面目さがあるからこそ、この歳であれだけ人の心を動かすことができているのかもしれない。


 そう考えると、複雑だった。


(いずれにせよ、一つだけ言えるのは……)


 わたしも歴史との向き合い方を見直す必要があるだろう、ってことだ。


 思えば、遠足のしおりと入浴剤からインスピレーションを得て、ロミジュリを和風に脚色するアイディアを思いついて以来、わたしはどこか調子に乗っていたような気がする。


 別に、そのアイディア自体が悪いってわけではないけれど、史実についてきちんと調べもせずに、実話と元にした話をやるのは不誠実だろう。


 永井先輩から歴史の話を聞いていたら、そう感じた。


 きっと、先輩が時代劇をやるって話にあまり乗り気じゃなかったのも、そう考えていたからじゃないだろうか。


 だったら、これからわたしが、いや、わたしたちがやるべきことは――


「ところで先輩、夏休みの予定とかって……」


「今のところは特にないけど……急にどうしたの?」


 いきなり話を変えるわたしに、永井先輩は困惑気味に聞き返す。


「あっ、いや、よかったら演劇部の皆で箱根合宿とかどうでしょう、と思いまして……」

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