第37話 トーンポリシング

「……先輩、この前はすみませんでした」


 と、中島先輩が永井先輩に深々と頭を下げて謝ったのは、週明けの火曜日のことだった。


「いいのよ、気にしないで。わたしにも衒学げんがく的な部分があったのは、確かだと思うから」


「千秋、ゲンガク的ってどういう意味?」


「自分の知識を、ひけらかしたりする様子のことだよ」


 永井先輩が自戒する中、圭夏ちゃんから小声で尋ねられて、わたしは無声音で答えた。


(それにしても……)


 自分の行いをきちんと省みることができるあたり、先輩たちは二人とも大人だなあ、とわたしは感じる。


「いえ、私のやったことは、明らかにトーンポリシングでしたから……」


「千秋、トーンポリシングって?」


「……ごめん、わたしにもわからない」


 再び圭夏ちゃんから質問されるも、今度は未知の単語だったので、わたしはかぶりを振った。


「この前、帰ってからネットで調べたのよ。相手の発言内容を批判するんじゃなくて、話し方の問題にすり替えるのは、典型的な論点ずらしだと知って、ハッとしたわ。これ、完全に私のことじゃない、ってね」


 圭夏ちゃんの声が聞こえていたのだろう、中島先輩が言葉の意味について説明する。


「トーンポリシングって、確か社会問題について声を上げた相手に対して使う言葉だったような……」


「永井先輩は『幕府』という言葉が社会で広く使われていることを問題視していたわけですから、誤用ではないでしょう」


 首を傾げる永井先輩に、中島先輩が言った。


「そうかもしれないけど……でも、今考えるとそれはあの場で話すべきことではなかったんじゃないかなって、自分で思うの」


「それはそうなのかもしれませんが……私の言動のほうが、問題は大きかったと思いますから。改めて、ごめんなさい」


「だから、そんな気にしなくっていいってば」


 再び謝罪する中島先輩を、永井先輩は両手を軽く振ってなだめる。


「……ありがとう、榎本さん。あの時、あなたが諌めてくれなかったら、私はきっと間違いに気づくことはできなかったわ」


 すると、中島先輩は頭を上げてわたしのほうを向き、目を細めながら言った。


「あっ、はい……」


 どう答えていいかわからず、生返事をするわたし。


 でも、悪い気はしない。


「……危うく、あの人と一緒になってしまうところだった」


 わたしがそう感じていると、中島先輩は嫌悪感をうっすらと滲ませた顔で、ぽつりと呟いた。


 あの人というのが誰のことなのか、わたしにはわからない。


 もしかしたら、クラスメイトや美術部で同じだった人のことかもしれない。


 でも、たぶん、あのお母さんのことだろう――


 なんとなく、そんな気がした。

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