第40話 演劇バカ、風邪を引く
圭夏ちゃんが季節外れの風邪を引いて学校を休んだのは、それから数日後のことだった。
「まさか、あの大鳥さんが夏風邪を引くなんてね」
「そうですね……」
放課後、
たぶん、先生は「バカは風邪を引かない」みたいなニュアンスで、「あの大鳥さんが」って言ったんだろう。
でも、流石に教師が生徒をバカ呼ばわりするのは問題があるから、遠回しな表現に留めた――その可能性が高い。
だとすれば、「圭夏ちゃんは演劇バカかもしれないけど、ただのバカじゃない」って言ってやりたいところだけど、突っかかっても独り相撲にしかならなそうなのでやめておく。
「あ、このプリント、大鳥さんの家まで届けておいてね」
「あっ、はい。ところで……」
「?」
プリントを受け取りつつ、言葉尻を濁すわたしの態度に、松平先生は首を傾げた。
「確か、部活手当って平日は出なかったと思うんですけど……」
「榎本さん、よくそんなこと知ってるわね……」
先生の口調は呆れているようでも、感心しているようでもあった。
「一応、父が教育学者なので……」
「そうなんだ。まあ、合宿は休日になるから、手当は出るんだけどね」
「って言っても、それもたいした額じゃなかったような……」
確か、最低賃金未満の金額しか支給されなかったはずだ。
「そうね。ただ、これはあんまり大きな声じゃ言えないんだけど……実はうちの学校って、再来年の春には統合されることがもう決まってるのよ」
「えっ……?」
「つまり、中島さんの学年が最後の卒業生で、あなたたちは二年生までしかこの学校には通わないってこと」
「そんな……」
せっかく、演劇部のおかげで学校生活が楽しいと思えるようになってきたところだったのに。
「ショックでしょうけど、仕方ないことなのよ。少子化の時代だから」
「…………」
統合先の学校――隣の中学に演劇部があるかどうかはわからないけれど、もしなかったとしても、圭夏ちゃんはまた作るだろう。
でも、そこで出会う新しい部員たちとうまくやっていけるかどうかはまったくわからない。
いや、うまく行かない可能性のほうが高い気がする。
学校の規模を考えれば、部員が増えるのは必然で、そうなれば合わない人は必ずいるはずだ。
まあ、世の中ではそっちのほうが普通で、時々意見が食い違って揉めることもあるものの、概ねみんな尊敬できるいい人ばかりな今の環境のほうが特殊というか、恵まれているだけなのかもしれないけど。
「それに、中島さんのお母さんがアレな人なのは、去年担任だったから私も知ってるし。あの子には、いい思い出を作ってほしいのよ」
「そう……ですね」
一度だけとはいえ、わたしも中島先輩のお母さんと会って話したことはあるから、先生の言いたいこともわからなくはない。
けど、やっぱり圭夏ちゃんと中島先輩で扱いの差がある――特定の生徒を依怙贔屓している感じが気に食わない。
「でも、やっぱり先生が生徒にお金を貸すのは良くないんじゃ……」
「あれは中島さんを納得させるためにそう言っただけで、返してもらうつもりなんてないわよ。最初から自腹を切るつもり」
まあ、それはそうなんだろう――というか、返してもらうつもりがあったらドン引きだけど。
「榎本さんは、子ども食堂って知ってる?」
「はい、一応……使ったことはないですけど」
先生がいきなり話題を変えたことに少し面食らいながらも、わたしは答えた。
「あれって、要は行政の支援が十分じゃないから、民間の人間が善意で身を削っているわけでしょ?」
「先生は公務員なんですから、行政側の人間なんじゃ……」
「そうだけど、お給料として受け取ったお金はもう税金じゃなくて私財でしょう……子ども食堂の例えじゃ伝わりにくかったんなら、アファーマティブ・アクションって言えばわかる? お父さんが教育学者なら、聞いたことはあるでしょう」
「……はい」
アファーマティブ・アクションっていうのは、簡単に言えば『積極的な差別是正措置』のことだ。
中島先輩は別に差別を受けているわけではないけれど、先生の言いたいことはなんとなくわかる。
だって、「人種や民族を理由に差別されている人間は助けなきゃいけないけど、家庭環境の問題で苦しんでいる人間は助けなくていい」なんてことはないだろうから。
「まあ、要するにそういうことよ。榎本さんがモヤモヤするのもわからなくはないけど、手当を不正受給してるとかじゃないんだから、大目に見てちょうだい」
そう言って去っていく松平先生を棒立ちで見送りながら、わたしは考える。
確かに、先生は政治資金を着服している政治家みたいに、私腹を肥やそうとしているわけじゃない。
むしろその逆で、生徒のために身を切ろうとしている。
頭ではそう理解できるんだけど、感情的な部分でどうしても納得できない。
やっぱり、圭夏ちゃんと中島先輩で、露骨に扱いの差があるからだろうか……。
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