第33話 配役会議

「ああ、それは決めておかないとダメね」


 と、納得する永井先輩。


「はい。というわけで……」


 そう言って、圭夏ちゃんは黒板に「主人公」「ヒロイン」「主人公の上司」と、線がガタガタの字で書いた。


「舞台装置的なモブキャラについてはともかく、メインのこの三人をどうするかは、今日のうちに決めておいちゃったほうがいいと思うんです」


「主人公は関所で働く下級役人……足軽で、ヒロインは江戸から逃げてきた伊豆の村娘、主人公の上司は関所の伴頭ばんがしらよね?」


 と、確認したのは永井先輩である。


「バンガシラ? っていうのはよくわかりませんけど……たぶん、そうだと思います」


「伴頭っていうのは関所の現場責任者で、今で言う警察署の署長みたいなものよ」


 頭の上にクエスチョンマークを浮かべる圭夏ちゃんに、永井先輩が解説した。


「なるほど……まあ、署長は一番重要度が低いので後回しとして……まずは主役ですけど、これはあたしで良いですよね?」


「そうね。主役は台詞も多いでしょうし、演劇に一番詳しい大鳥さんが適任だと思うわ」


 圭夏ちゃんの提案に、中島先輩が賛同する。


「あざます。永井先輩と千秋も、それでいいですか?」


「ええ」


「う、うん」


 永井先輩とわたしが頷くの確認して、圭夏ちゃんは黒板の「主人公」という文字列の下に「あたし」と書き足した。


「んじゃ、次に重要なヒロイン役ですけど……あたしとしては、千秋がいいんじゃないかなって思ってます」


「えっ……? わ、わたし……!?」


 突然、そして意外すぎる指名に、わたしは驚愕する。


「うん。村娘の素朴な感じには、この中じゃ千秋が一番合うでしょ?」


「で、でもわたし、大勢の前で演技をするなんて……」


「だいじょぶだいじょぶ、どうせ文化祭なんてうちの生徒とその家族くらいしか来ないんだから。集まっても、せいぜい二百人くらいだよ」


「じゅ、十分、多いと思うんだけど……それに永井先輩がライブをするんだから、それ目当ての人も結構来るんじゃ……」


 二百人って言ったら、うちのクラスの人数のほぼ十倍だ。


 授業中、クラスのみんなが見ている中で何かをする時ですらガチガチに緊張するわたしが、そんな大人数の前で演技なんてできるわけがない。


 想像するだけで、手のひらが汗でぐしょぐしょになる。


「あー、確かに……」


 頷く圭夏ちゃんは、そのことを完全に失念していた様子だった。


「そ、それに、ヒロインは罪人なのに主人公が好きになっちゃうくらいかわいくないといけないってことを考えると、わたしなんかより永井先輩のほうがいいと思う……」


「わたしは榎本さん、十分かわいいと思うけど……」


 自分がかわいいということは否定せずに、永井先輩は言った。


「そ、そんなことは……」


「……こういう場合、大事なのは本人の意思でしょう。榎本さんがヒロイン役をやってみたいのであれば、頑張って人前に立てるようになるべきでしょうけど、そうじゃないなら無理強いする必要はないんじゃないかしら。元々、彼女は役者志望じゃないんだし」


 と、またしても的確な気遣いを見せる中島先輩。


(なんで今日に限って、こんなに優しいのかな……)


 もしかして、中島先輩は言いたくないことについて詮索されたり、望まない役割を押し付けられたりするのが嫌なんだろうか。


 いや、もちろん、そういうことは誰だって嫌だろうけど、先輩の場合は人並み以上というか。


 彼女と出会い、家までお邪魔した日のことを思うと、なんとなくそんな気がする。


「まあ、そーですね……ちなみに永井先輩は、ヒロイン役やってみたいと思ってます?」


「人前に立つのは慣れてるし、台詞も覚える自信はあるけど……どうしてもやりたい、ってほどではないかな。やりたくないってわけではないから、榎本さんがやらないのであれば、引き受けるのは一向に構わないけど」


 永井先輩は圭夏ちゃんの質問に、平淡な口調で答えた。


 たぶん、この人は本当に、ヒロイン役を「やりたいわけでもやりたくないわけでもない」んだろう。


「なるほど……あたしとしては、永井先輩だとオーラがありすぎて、村娘ってよりお姫様みたいになっちゃうんじゃないかと思ってたんですけど……でも、千秋がやりたくないんだったら、しょうがないか」


「ご、ごめんね、圭夏ちゃん……」


 黒板の「ヒロイン」という文字列の下に「永井先パイ」と書き足していた圭夏ちゃんから視線を向けられて、わたしは慌てて謝った。


「いいよいいよ、気にしないで。どうせ、この中の一人は慶美ちゃんと一緒に裏方やらなきゃいけないんだし」


「裏方?」


「うん。大道具の移動なんかは幽霊部員たちにやってもらえばいいとしても、照明や音響に関しては、流石にそういうわけにもいかないからさ」


「あっ、なるほど……」


 松平先生が照明や音響の仕事を引き受けてくれるかどうかは怪しいんじゃないかな、とわたしは思ったものの、話が脱線すると嫌だったので、口には出さないでおいた。


「で、配役に話を戻すと……消去法で署長は中島先輩ってことになっちゃいますけど、大丈夫ですか?」


「伴頭ね。どうせ私には、悪役がお似合いよ」


 圭夏ちゃんの言葉を訂正し、中島先輩は吐き捨てるように言った。


「いや、別に悪役ってわけじゃ……」


「この話の伴頭って、主人公やヒロインと敵対する、体制側を象徴するようなキャラなわけでしょ? 榎本さん」


 視線を圭夏ちゃんからわたしに移し、中島先輩は尋ねてきた。


「……立ち位置としては、そうなると思います」


 わたしとしては、正直にそう答えるしかない。


「だったら、やっぱり悪役じゃない」


『…………』


 場の全員が黙り込む。


 たぶん、誰も口には出さなかったけれど、メインキャラ三人の人物像を共有した時点で、「伴頭役は中島先輩が適任だ」って、圭夏ちゃんも永井先輩も、中島先輩自身も感じていたんだろう。


 正直、わたしも主人公は圭夏ちゃん、ヒロインは永井先輩、伴頭は中島先輩が適任だと思っている。


 でも、望まない役割を押し付けられることに、先輩が強い拒否感を抱いているのなら、無理にやってもらう必要はない。


「な、中島先輩がどうしても嫌なのなら、わ、わたしがやりましょうか……?」


 そう判断したわたしは、なけなしの勇気を振り絞って提案した。


「……あなた、さっきは大勢の前で演技をするなんて……って言ってたじゃない。それに、悪役ってガラじゃないでしょ、あなたは」


「まあ、榎本さんが伴頭じゃ、迫力が足りないでしょうね……」


 呆れ気味の中島先輩に、永井先輩が同意する。


 言われてみれば、確かにそうだ。


 中島先輩に無理をしてほしくないって気持ちで頭がいっぱいで、そこまで考えが及ばなかった。


「ですねー。中島先輩がやりたくないんだったら、先輩には千秋と一緒に裏方に回ってもらって、みんなで慶美ちゃんに頭下げに行きますか」


「……そんなことしなくっていいわよ、別にやりたくないってわけじゃないし。ただ、私ってやっぱりそういうキャラなんだな、って思っただけ」


『…………』


 どこか寂しそうな様子の中島先輩に、場の空気が再び重くなる。


 こういう時、普通の女子中学生が相手なら、「そんなことないですよ」って言ってあげればいいんだろうけど、中島先輩は頭が良いから、「そんなことないなら、どうして私が伴頭役なのよ」って、筋の通った反論をしてくるはずだ。


 たぶん、圭夏ちゃんはこういう事態を避けるために消去法ってことにしたんだろうけど、その回りくどさが逆効果だったのかもしれない。


 中島先輩の性格的には、最初に伴頭役として指名されていれば、ここまでへそを曲げることはなかった……と思う。


 いや、たらればの話をしていてもしょうがない。


 問題は、どうやって今の中島先輩をフォローするか、だ。


 でも、どうすれば――


「……身分の高い役人の役が務まるってことは、それだけ中島さんがしっかりしていて、気品があるって証拠じゃないかな?」


 良いアイディアが思い浮かばず、わたしが焦っていると、永井先輩が穏やかな口ぶりで言った。


「…………」


 中島先輩は一瞬、意外そうな顔をした後、


「しっかりしてるって言われたことは何度かありますけど、気品があるって言われたのは初めてですよ」


 と、少しだけ表情を和らげて答えた。

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