第29話 スランプの原因

 昼休みに一年生が一人で、三年生の教室を訪れる。


 そのハードルの高さを、わたしは今初めて、身を以て実感していた。


 三年生の教室は、一・二年生の教室とは別の――図書室や音楽室があるのと同じ校舎にある。


 それもあってか、永井先輩のクラスがあるフロアは、わたしにとってはまるで異世界のように感じられた。


「う、うう……」


 教室の入口から少し離れたところで、尻込みをするわたし。


 こういう時、永井先輩のクラスメイトたちにはなんて言えばいいのかわからない。


 普通に「永井先輩いらっしゃいますか?」って、尋ねるだけでいいのかな。


 それとも、「一年二組の榎本千秋って言う者なんですけど」って、名乗らないと失礼だろうか。


 いや、わたしは部活の後輩なわけだから、「演劇部一年の榎本千秋」って名乗ったほうがいいかもしれない。


 でも、永井先輩が軽音部と掛け持ちで演劇部にも入ってるって、クラスの人たちは知らない可能性もあるわけだから――


「……君、一年生だよね? 何か用事?」


 その時、廊下で不審者と化していたわたしに気が付いた男子生徒が、教室の中から声をかけてくれた。


 この先輩は知らない人だけど、これで質問に答えるだけで良くなったのでありがたい。


「あっ、あの……ちょっと永井先輩と、お話をさせていただきいんですけど……」


「永井? ああ、部活の後輩の子?」


「は、はい」


「おーい、永井ー、後輩ちゃんが話だってー」


 男の先輩が、教室の奥に向かって大きな声を発する。


「はーい」


 すると、ほどなくして永井先輩が出てきてくれた。


「あっ、榎本さん。どうしたの?」


「あの……ここだと少し話づらくって……場所を変えてもいいですか?」


「? 構わないけど……」


 わたしの提案に、永井先輩は少し不思議そうな顔をした。



×       ×       ×



 三年一組の教室から少し離れた階段の踊り場に移動して、わたしは昨晩感じた悩みを永井先輩に話した。


「……って、感じなんですけど」


「うーん、わたしみたいに世の中に訴えかけたいテーマがないとダメ、ってことはないと思うけど……ただ、『観客にどういう気持ちになってほしいか』は、意識したほうがいいんじゃないかな」


「観客にどういう気持ちになってほしいか……ですか?」


「うん。榎本さんは、後味の悪いお話が嫌いなんでしょ? だったら、少なくともそういう話は書かないだろうけど……でも、お客さんの楽しませ方にも色々あるじゃない? 面白おかしく笑わせたりとか、切ない話で泣かせたりとか、怒涛の展開でハラハラドキドキさせたりとか……」


「永井先輩もそういうこと……いや、それに近いことを考えながら、作詞や作曲をしてるんですか?」


 お客さんの感情をどう揺さぶろうか、みたいな。


「……ええ。少なくとも、作曲に関してはね」


 つまり、作詞については違うってことらしい。


「そういえば、先輩はどうして社会派な感じの歌詞を書いていらっしゃるんですか?」


「……榎本さんになら、話してもいいかな」


「えっ?」


 先輩が小声で呟いた言葉、それ自体は確かに聞き取れたものの、どうしてわたしになら話してもいいと思ってくれたのか、その理由がよくわからず、わたしは困惑する。


「なんでもないわ。それより榎本さん、3S政策って知ってる?」


「さんえすせいさく……?」


「三つのS……スクリーンs c r e e nスポーツs p o r t sセックスs e xで国民を骨抜きにして、政治に関心を持たせないようにしようって政策のことよ」


「せ、せ、せ……」


 清楚で上品なイメージの永井先輩が平然と「セックス」という言葉を使ったことに対する衝撃が大きすぎて、話がうまく頭に入ってこない。


「……要するに、映画とかスポーツとかの娯楽でガス抜きをして、政治への不満を有耶無耶にしちゃおう、ってこと」


「ああ、なるほど……」


 どうやら、先輩はそういうふうに自分の曲を利用されるのが嫌だから、権力者を批判する歌詞を書いている、ということらしい。


 それにしても、永井先輩は3S政策の話題になってから、ずっと浮かない顔をしているような――


「もしかして、スランプの原因って……」


「別に、3S政策そのものが原因ってわけじゃないわ。その言葉を知っただけで絶望するくらいヤワだったら、『革命』なんて曲作らないもの」


「あっ、確かに……」


 じゃあ、何が原因なんだろう。


「問題は、『革命』のMVに書き込まれた、『上司からのパワハラがキツくて仕事行きたくなかったけど、この曲を聴いてたら元気出てきました! これでしばらくは耐えられます!』ってコメントよ」


「問題……ですか?」


 曲を聴いた人が元気になれたのなら、アーティストとしては冥利に尽きるんじゃないだろうか。


「ええ。だって、わたしはパワハラ上司とか、そういう地位や権力を振りかざして横暴に振る舞う人の言いなりにならないでほしい、行動を起こして現状を変えてほしいってメッセージを歌詞に込めたのに、それが伝わらなかったのよ? これじゃあ、まるで……」


「3S政策に加担しているようなもの……ですか?」


 永井先輩は苦虫を噛み潰したような表情で、こくん、と頷いた。


「…………」


 わたしの頬を、冷や汗がたらり、と伝う。


 同じ部の仲間が困っているんだから、力になってあげたい、とは思う。


 でも、悩みのレベルが高すぎて、どうしたらいいのかわからない。


 そもそも、3S政策という言葉自体、わたしはさっき知ったばかりなのだ。


(もしかして、難しそうな学術書を読んでいたのも、このスランプを抜け出す方法を探してたからなのかな……)


 単に歴史が好きってだけなら、小説を読んだっていいはずだし。


「……ごめんなさい。わたしが榎本さんの相談に乗るはずだったのに、愚痴を聞いてもらうことになっちゃって」


「い、いえ……むしろ、先輩が愚痴ってくれるの、うれしいです……」


 だって、愚痴というか悩みを話してくれるのって、信頼してくれてる証だろうし。


 まあ、どうして先輩が知り合ってからまだ日が浅いわたしのことをそんなに信頼してくれているのかは、よくわからないんだけど。


「そう?」


「は、はい」


 どもりながらも、わたしは大きく、はっきりと頷く。


 正直、今のわたしには永井先輩のように、スランプに陥ってしまうほど、国や社会のことについて真面目に悩むことはできない。


 いや、この先も、そこまで広い視野を持てるようになるかどうかはわからない。


 でも。


 だけど。


 国や社会といった得体の知れない強大な存在が、仲間や友達のことを抑圧するというのであれば、わたしは全力で抗うつもりだ。


(ああ、そうか……)


 やっとわかった。


 というか、心の奥底ではもっと前からわかっていたであろうことが、今、ようやくはっきりと理解できた。


 抑圧への抵抗。


 これが、わたしの表現したいテーマだ。


 スランプの原因として挙げなかったってことは、本人はあんまり気にしていないのかもしれないけど、永井先輩と知り合った後、YUKIEについてネットで調べていたら、「歌は好きなんだけど思想の強さがちょっと」とか、「アーティストはSNSをやらずに曲だけ作っててほしい」とか、そういう「同調圧力によって口を封じようとする」ような書き込みをいくつも見かけた。


 主張している内容の是非を問うのであればまだしも、意見を発信することそのものを否定するのはおかしいとわたしは思う。


 永井先輩だけじゃない。


 わたしの仲間たちは、誰かしらから何かしらの抑圧を受けている。


 圭夏ちゃんは、部活動に蔓延る勝利至上主義に。


 中島先輩はたぶん、世間体ばかり気にしているお母さんに。


 そういう抑圧を跳ね返すのは、簡単なことではないかもしれないけど。


 たとえ微力であっても、抵抗することには意味があるはずだ。


 そう考えたわたしは、永井先輩の右手を両手で包み込むようにしてぎゅっと握った。


「え、榎本さん? 何をしてるの?」


「ぱ、パワーを送ってます……!」


 先輩の悩みを解決するのに直接役立つ、建設的な意見なんてわたしには言えそうもないけれど、こうすれば少しは元気になってくれるはずだ。


 そう思っての行動だったんだけど、こういうスピリチュアルみたいなやり方は、現実主義者の永井先輩には逆効果だったかもしれない――


「……ありがとう、榎本さん」


 と、不安を感じ始めたわたしに、永井先輩は優しく微笑みかけてくれた。

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