第27話 古典的名作
土曜日の午後。
自室にて、学校の図書室から借りてきた「ロミオとジュリエット」を読み終えたわたしは、名作を読み終えた読後感の心地よさに浸って――おらず、むしろモヤモヤとしたものを感じていた。
(なんか、思ってたのと違う……)
あらすじしか知らないわたしのイメージだと、ロミオは「繊細で一途な好青年」って感じだったんだけど、実際の彼は全然そんな人物じゃなかった。
本編開始時まではロザラインという女性のことをずっと好きだったのに、ジュリエットに一目惚れしてあっさり乗り換えてしまったり、カッとなってライバル貴族と決闘して斬り殺してしまったり、粗野で短絡的な、視野の狭い人物という印象だ。
まあ、リアルな十代の男子なんてこんなものなのかもしれないけど、物語の主人公として好感が持てるかというと、正直かなり怪しい。
(どうして、この話が世界中で人気なの……?)
現代日本で生まれ育ったわたしの視点で読むと、色々と違和感があるというだけで、中世や近世のヨーロッパの人間であれば、感情移入できたということなんだろうか。
(まあ、それはそれとして……)
問題は、この感想を正直に圭夏ちゃんに伝えていいのかどうか、ってことだ。
彼女は演劇が好きなわけだし、わたしのような素人が伝説的作家の古典的名作を批判したりしたら、怒る――かどうかはともかくとして、あんまりいい気はしないんじゃないかと思う。
でも、一昨日のミーティングでは中島先輩の機嫌を取ろうとして失敗してしまったことを踏まえて考えると、下手なリップサービスをするよりは、本音でぶつかっていったほうがいいような気もする。
(こういう時、永井先輩ならどうするんだろう……)
あんまりあの人に頼りすぎるのも良くはないんだろうけど、昨日、踊り場で話した時に、連絡先を交換しておけばよかったとわたしは感じた。
× × ×
週明けの火曜日。
「……って、感じなんだけど」
放課後の部室にて、わたしは永井先輩も含めた演劇部の全員の前で、「ロミオとジュリエット」の原作を読んだ感想を正直に話した。
先輩たちもいるし、そんな揉めたりとかはしないだろうけど、やっぱり、圭夏ちゃんには不快な思いを――
「あー、わかるわかる。確かに、ロザラインの存在ってノイズになってるよね」
などと、勝手に不安を感じていたわたしに、圭夏ちゃんはあっけらかんと言った。
「……へ?」
案ずるより産むが易し、ということわざが、わたしの脳裏をよぎる。
「? どしたの、千秋」
「だ、だって、わたしみたいな素人がシェイクスピアの名作に意見するなんて……頭に来ないの?」
「いや、別に? 『面白かった』とか『感動した』とかそういう『ただの感想』だったら、『部活の時間に言わないでよ』って思ったかもしれないけど」
「…………?」
「それに実際、ロザラインに焦点を当てた劇とか映画もあるしね」
わたしが懸命に圭夏ちゃんの意図を理解しようとしている間にも、彼女はどんどん話を進めていってしまう。
「……大鳥さん、榎本さん話についていけていないみたいよ」
その時、そう言ってくれたのは、やはりと言うべきか永井先輩だった。
「えっ?」
「たぶん、どうして頭に来なかったのかが説明不足で、ピンと来ていないんじゃないかしら」
「あー、なんて言ったらいいのかなあ……これ、ある人の受け売りなんだけど、あたしはクリエイターって人種は
「けど、わたしは『ロミオとジュリエット』を読んで感じた違和感を話しただけで、『自分ならこうする』って代案までは……」
むしろ、批判するだけで代替案を提示しないって、一番ダメなパターンじゃないだろうか。
「それはこれから話し合って、考えていけばいいんだよ。でも、『ここは変だな』とか『変えたほうがいいんじゃないかな』って思わなかったら、それすらできないでしょ?」
「それは……確かに」
「で、千秋。この『ロミオとジュリエット』っていう、大筋のプロットは美しいけど、今の日本で生きてるあたしたちからすると色んな違和感がある物語を、あんたならどう脚色する?」
圭夏ちゃんは不敵な笑みを浮かべながら、わたしに尋ねてきた。
そこまで長い付き合いってわけじゃないけど、彼女のこんな顔を見るのは初めてだ。
挑発的な態度ではあるけれど、裏を返せばそれだけわたしに期待してくれているってことだろう。
「え、ええと……」
「さっきも言ったけど、ロミジュリを脚色した話なんて、それこそ掃いて捨てるほどあるからねー。別に名作だからって遠慮する必要はないけど、逆に言えば他の脚色作との差別化も難しいわけだから――」
「……ちょっと待って。なんだか、いつの間にか『ロミオとジュリエット』を脚色した劇をやる前提で話が進んでいるような気がするんだけど、いつそう決まったの?」
興味のある話題だからか、早口で喋る圭夏ちゃんの言葉を遮って、中島先輩が言った。
「別に決まってないですよ。ただ、千秋を中心にしてアイディアを出し合えば、いい予行演習になると思いません? 実際に演目を決める時の」
「……まあ、一理あるわね。そんなに急いで、演目を決める必要はないわけだし」
「でも、いつまでに演目を決めて、いつまでにプロットを作って、いつまでに台本を書き上げるかは、決めておいたほうがいいんじゃないでしょうか……?」
圭夏ちゃんの答えに中島先輩が納得する中、わたしは口を挟んだ。
「あー、それはそうだね。うーん、夏休み中はみっちり稽古したいから、七月の中旬までには台本を完成させるとして、そこから逆算すると……」
「演目は来週末までに、プロットは六月下旬頃までに決めれば大丈夫じゃない? 短編だからプロットさえできていれば、台本を書くのはそんなに難しくはないでしょうし」
指を折り、天井を見ながら考える圭夏ちゃんに、永井先輩が提案する。
文化祭でライブをしたことがある人のものだからか、その言葉には説得力があった。
「ですね。じゃあ、締切はそんな感じでオッケー?」
「う、うん」
圭夏ちゃんの問いに、わたしは頷いた。
「よし。んじゃ、話を戻すけど……千秋、あんたならロミジュリをどう脚色する?」
「う、うーん……」
「ああ、そんな難しく考えなくっていいよ。適当でいいってわけじゃないけど、素人がいきなりプロ並みのアイディアを出すなんて、無理に決まってるんだから」
首をひねるわたしに、圭夏ちゃんは軽い口調で言った。
「そ、そうだよね……それじゃあ……わたしなら、ロザラインの存在はなかったことにして、ロミオとジュリエットは幼馴染で、ロミオは昔からジュリエットが好きって設定にするかな。そのほうが、悲恋って感じが強調できると思うし」
「ふむふむ……他に、変えたほうがいいと思う部分ってなんかある?」
「そうだなあ……しばらく仮死状態になった後に生き返る薬っていうのも、ちょっとご都合主義過ぎるかなって気がするかも。現代医学ならそういうことも可能かもしれないけど、それにしたってただ薬を飲むだけじゃ無理だろうし……」
「言われてみれば、その通りね。心肺停止の仮死状態になっても、五分くらいで蘇生処置を施せば助かる可能性はあるかもしれないけれど、ロミジュリみたいに長時間死を偽装するっていうのは無理があるでしょうね」
「はい。魔法とかが出てくるファンタジーな世界のお話であれば、別に構わないと思うんですが、そういうわけでもないですし……」
中島先輩の言葉に、わたしは頷く。
「なら、いっそのこと、魔法がある世界の話ってことにしてしまうのはどうかしら?」
「先輩、それはやめたほうがいいと思います」
と、中島先輩の提案を否定したのは、圭夏ちゃんだった。
「どうして?」
「プロジェクションマッピングとかが使えるんなら話は別ですけど、設備も技術もないあたしたちが魔法とか超能力とか、そういうのが出てくる話をやるのは難しいからです。いや、厳密に言えばやれないこともないんですけど、役者の演技力がプロ並みじゃないと、チープで見てらんないものになると思います」
「つまり、なるべく地に足がついた話をやるべきだってこと?」
「そうですね……まあ、千秋がどうしても魔法の世界を描きたいっていうのであれば、あたしは全力でそれに応えるつもりですけど」
「えっ? べ、別にそういうわけじゃ……」
それまで中島先輩と話していた圭夏ちゃんに突然、真剣な表情でそう言われて、わたしはドキリとしながら小刻みに首を左右に振った。
「そう? まあ、でも、あの薬の存在がご都合的だっていうのにはあたしも同意かなー。悲恋を成立させる方法が何か別にあるなら、そっちのほうがいいかもね」
「別の方法かあ……」
わたしはうーん、と腕を組んで唸ってみるが、いいアイディアはなかなか思い浮かばない。
けど、それでも、わたしは今この時間が、これまでの人生で一番楽しいと感じていた。
これまでのミーティングは、部員をどうやって集めるかだとか、活動方針はどうするかだとか、演劇の内容とは直接関係のないものばかりだったけれど、今回は違う。
仲間たちと一緒に、演劇についてのアイディアを出し合うことが、こんなに楽しいだなんて知らなかった。
(やっぱり、わたしの居場所はここしかない……)
改めて、強く、強くそう思う。
ただ、この幸せな時間が、そう長く続くものではないこともわかっている。
永井先輩は文化祭での公演が終わったら、きっと引退してしまうだろうから、この四人で部活をやれるのは、たぶんあと半年くらいしかないはずだ。
だからこそ、これからの半年間は部活に全力を注いで、悔いのないように過ごさないと――
この時、わたしは密かにそう決心した。
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