第26話 完全下位互換
次の日の昼休み。
わたしはネタ探しのために、一人で学校の図書室を訪れていた。
小説は年間で五十冊以上は読むし、映画の脚本も一応、アニメ映画の入場特典でもらったものなら読んだことがあるわたしだけど、演劇の脚本を読んだことは一度もないので、まずは有名どころを読んでおくことにしたのだ。
どの辺に置いてあるのかは知らないけど、そんなに広いわけじゃないし、すぐに見つかるはず――
そう考えつつ、わたしが図書室の中を見回していると、机に向かいながらハードカバーの本を読んでいる永井先輩の姿が目に入った。
こういう時、人はどうすればいいのだろう。
読書家としては「本を読むのを邪魔したら悪いんじゃないか」と思う一方で、部活の後輩としては「気づいてるのに挨拶をしないのは失礼なんじゃないか」って気がする。
まずい。
小学生時代、委員会も習い事もやっていなかったわたしは、年の近い先輩と縦の繋がりを持ったことがないから、正解がわからない。
(え、えっと……)
こういう時、部活もののラノベの主人公は、どうしていただろうか――
などと、わたしが延々と迷っていると、読書を中断して顔を上げた永井先輩と目が合った。
おいで、と言わんばかりに、軽く手招きをする先輩。
「榎本さん、ネタ探し?」
それに従ってわたしが隣に着席すると、永井先輩は小声でそう尋ねてきた。
「は、はい」
答えながら、彼女が先程まで読んでいたハードカバーをわたしはちらりと見る。
意外なことに、それは音楽関係の本ではなく、歴史書だった。
それも小説ではなく、小難しい学術書だ。
作詞も自分でやっている永井先輩は、こういう普通の若者は読まないような本からヒントを得るようにしているんだろうか。
「ごめんね、邪魔しちゃった?」
「あっ、いえ……」
むしろ、永井先輩とは一度、二人だけで話してみたいと思っていたのでいい機会だ。
「よかった。なら、せっかくだから少し話さない? もちろん、目当ての本を借りてからで大丈夫だから」
× × ×
カウンターでシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を借りる手続きを済ませたわたしは、永井先輩と一緒に図書室を出て、階段の踊り場で話すことにした。
「榎本さん、昨日はお疲れ様」
「……その節は、お世話になりました」
「えっ? ああ、もしかしてコンクールに出るかどうかって件のこと?」
深々と頭を下げるわたしに、永井先輩は不思議そうに尋ねた。
昨日のことって言ったらそれしかないと思うんだけど、何が意外だったんだろう。
「はい。わたしが中島先輩を怒らせちゃいそうになってたところを、先輩になんとかしていただいて……すごく助かりました」
疑問に思いながらも、わたしは会話を続ける。
「ああ……中島さんは、忖度されたり気を遣われたりするのが嫌いなタイプみたいだからね」
「えっ?」
「榎本さん、多数決で彼女が孤立するのを避けるためにああ言ったんでしょう? あんまり人前に立ったり、人と競い合うことが好きなタイプには見えないし」
「は……はい」
それはその通り――なんだけど。
「普通……ていうか大多数の人が相手なら、あの対応は間違いじゃなかったと思うんだけど……中島さんの場合は、変に遠慮されるよりも、真っ向から意見を戦わせたかったんじゃないかな」
「先輩はどうして、中島先輩の考えがそこまで読めるんですか……?」
さっきは学術書を読んでいたみたいだったけれど、小説もわたし以上に読んでいるんだろうか。
「ロックバンドって、ブラバンやオーケストラと違って指揮者がいないでしょう?」
この人はいきなり、何を言い出すのか。
「そ……そうですね」
そう感じながらも、わたしは相槌を打った。
「だから、演奏中はアイコンタクトで意思疎通をしなきゃいけないのよね。それで、目や表情を見れば、その人の感情がある程度読めるようになったのかも」
「ああ、なるほど……」
「それから、わたしと似たタイプだから、っていうのもあるかな」
「先輩と、中島先輩が……?」
わたしとしては、真逆のタイプに見えるんだけど。
「うん。兼部か移籍かって違いはあるけど、元々他の部活に入ってたのに演劇部に入部したって点は同じだし。それにわたしも彼女も、新しい何かを掴んで成長するために、演劇を始めることを選んだわけだから」
「い、言われてみれば……」
表面的な性格や雰囲気ではなく、もっと深い、本質的な部分が共通している――
永井先輩が言いたいのは、そういうことだろう。
「実際、大鳥さんが『めんどくさいから』『やりたくないから』って理由で部長を押し付けようとしてた時の中島さんは、かなりイライラしてたみたいだったけど、コンクールに出るかどうかで意見を戦わせていた時の彼女は、そうでもなさそうだったし」
「…………」
会話を続けるのは苦手なわたしだけど、小説をたくさん読んでいるから、想像力や人間観察能力に関してはそれなりに自信があったのに、得意分野でも完敗だなんて。
これじゃあ、わたしは先輩の完全下位互換みたいじゃないか――
「あっ、そうだ。榎本さん、大鳥さんに何かを耳打ちしていたみたいだけど……あの時、何て言ってたの?」
「あ、あれは……」
中島先輩に対してはともかく、永井先輩に隠しても意味がないことなので、わたしは圭夏ちゃんに話した内容を正直に伝えた。
「なるほど……榎本さん、
「……へ?」
「徳川家康は関ヶ原の戦いの時、外様大名たちを強引に従わせるのではなくって、入念に根回しをして『自分の意志で東軍についた』と思わせたそうよ。そうしたほうが脅して言うことを聞かせるよりも士気が上がるし、裏切りに遭うリスクも抑えられるでしょう?」
「えっと……つまりこの場合、圭夏ちゃんがその外様大名たちに当たるってことですか?」
「ええ。榎本さん、なかなかの人たらしね。外交官とか営業マンとか、向いてるんじゃないかしら」
「そ、そんな仕事、わたしみたいなコミュ障には無理ですよ……」
演劇部でネゴシエーター役を務めることにしたのは、居場所を守るためにはそうせざるを得なかったからであって、好きでそうしたわけじゃないし、同じ部の仲間たちの仲を取り持つくらいならまだしも、不特定多数の相手と交渉するなんて、うまくできる気がまったくしない。
「コミュ障? わたしは榎本さんって、むしろコミュ強だと思うけど」
「え……?」
ロックバンドには指揮者がいないって話や徳川家康の話を始めた意図は、補足説明を聞いたらすぐに理解できたけど、今度ばかりはどれだけ言葉を尽くされてもわかる気がしない。
このわたしが、コミュ強?
演劇部のメンバー以外、誰も友達がいないのに?
「コミュニケーションが上手い人って、イコールよく話す人ってわけじゃないし。もちろん、大鳥さんみたいな積極的に行動するタイプのコミュ強もいるし、そういう人のほうがコミュ力高いってことはわかりやすいけど、でも――」
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り響いた。
「いけない、もうこんな時間? 榎本さん、また部活でね」
「あっ、はい……」
早歩きで階段を下りていく永井先輩の後を追いながら、わたしは考える。
彼女はなぜ、わたしのことを「コミュ強」だと言ってくれたのか。
そういえば先輩はさっき、目や表情を見れば人の考えていることがある程度わかると話していた。
(ってことは……)
たぶん、先輩はわたしが劣等感を覚えていることを見抜いて、気を遣ってくれたんだろう。
今のわたしには、そうとしか思えなかった。
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