第25話 勝利至上主義
「で、こっからが本題なんですけど……」
そう前置きして、圭夏ちゃんはチョークで「コンクールに出るかどうか」と書いた。
「どうします? これ」
「どう、って……わざわざ話し合うようなこと? 出るのが当たり前でしょう」
「市大会までもう二ヶ月くらいしかありませんけど、それでもですか?」
即答する中島先輩に、圭夏ちゃんが尋ねる。
「ええ」
「……あたしら、はっきり言って素人の寄せ集めなんですよ? 他の学校と違って、ノウハウの蓄積とかが一切ないんです。そんな部が、脚本もできてない状態で、たった二ヶ月の準備期間でコンクールに挑むなんて……」
今日の圭夏ちゃんは、いつになく弱気だなあ――
「あなたらしくないわね、できない理由ばっかり考えて。勝ち目が薄くたって、挑戦することに意味があるんじゃないの?」
わたしがそう感じていると、中島先輩が言った。
たぶん、先輩もわたしと似た気持ちだろう。
「それなんですよねー、もう一つの問題は……」
「……どういうこと?」
腕を組んで唸る圭夏ちゃんにそう聞いたのは、永井先輩である。
「永井先輩、野球って見たことあります?」
「ええ。親が好きだから、たまには……どうして?」
「あたし、二つ下の弟がいて、そいつが野球やってるんですよ。で、試合がある日は応援に行ったりするんですけど……野球って、勝ち負けの基準がハッキリしてるじゃないですか」
「そうね」
頷く永井先輩。
言うまでもなく、野球は試合終了までに一点でも多く点を取ったほうが勝ちだ。
「でも、演劇のコンクールは違う。勝ち負けを競うスポーツじゃなくっても、どの学校も同じ課題曲を演奏する吹奏楽のコンクールとかなら、演奏の上手い下手を比べるのは、そんなにおかしなことじゃないと思いますけど……」
「どの学校も違う演目を
圭夏ちゃんは永井先輩の問いに、黙って首を縦に振った。
「気持ちはわかるかも。わたしも、他のバンドや歌い手と競ったり、比べられたりするのはあんまり好きじゃないし……」
「でも、プロの役者や演出家を目指すのであれば、他人と競うことも比べられることも、避けては通れないでしょう」
永井先輩が圭夏ちゃんに同意する中、そう指摘したのは中島先輩である。
「そりゃそうですけど……あたしは、勝利史上主義……でしたっけ? そういうのに囚われたくないっていうか……ぶっちゃけ、『審査員に気に入られるための演劇』をするのが嫌なんですよ。だって、ハッキリとした評価の基準がないってことは、結局は審査員の好き嫌いってことじゃないですか」
圭夏ちゃんの言葉に、わたしはハッとさせられた。
演劇ではなく漫画の話だけど、出版社Aに持ち込んで門前払いを食らった作品が、出版社Bに持ち込んだら社会現象クラスのヒットを記録した例なんかもあるくらいなんだから、実際、審査員とか評論家とか編集者の評価なんて、その人の好き嫌いによるところが大きいだろう。
大手出版社の編集部ですら、そういうことが起きるんだから、中学演劇の市大会に来る審査員の質なんて、推して知るべしだ。
「そうかもしれないけど……コンクールには、審査員以外のお客さんも大勢来るわけでしょう? 多くの人たちに、自分たちの劇を見てもらいたいとは思わないの?」
自分のデザインした衣装を多くの人に見てもらいたいからか、なおも食い下がる中島先輩。
「あたしは自分が納得できてないクオリティの劇を、人に見せたいとは思いませんけど……」
しかし、圭夏ちゃんの反応は希薄なものだった。
「……そう。榎本さん、あなたはどう思う?」
「……えっ?」
いきなり中島先輩に話を振られて、わたしは困惑する。
「さっきからずっと黙ってるけど、あなたの考えはどうなのって聞いてるのよ」
「え、えっと……」
正直に言うと、わたしは圭夏ちゃんの考えに賛成だ。
彼女に作文のコンクールで佳作を取ったと自慢気に話してしまったことを、恥ずかしく思い始めているくらいである。
でも、永井先輩が圭夏ちゃんの考えに同調しているこの状況で、わたしが正直に意見を言ってしまうと、中島先輩が部内で孤立することになってしまう。
部の方針は多数決で決まるかもしれないけれど、少し前に先輩の仲間になってあげたいと思ったばっかりなのに、果たしてそれでいいんだろうか。
「わ、わかりません……」
だからといって、本心と真逆のことを言ってまで中島先輩の味方をすることもできない半端者のわたしは、曖昧な態度でお茶を濁すことにした。
「は?」
当然、怪訝そうな顔をする中島先輩。
「だって、圭夏ちゃんの言うことにも中島先輩の言うことにも一理あるって言うか……こういう問題って、何が正しいとか何が間違ってるとか、そういう話じゃないと思いますから……」
「それはそうだけど……それを踏まえた上で、あなたの意見はどうなのって聞いてるのよ」
まずい。
曖昧で不誠実なわたしの態度は、中島先輩をかえって怒らせてしまったかもしれない。
わたしはただ、先輩を一人にしたくなかっただけなのに――
「え、ええと……ええと……」
「ストップ、ストップ。中島さん、榎本さんは大鳥さんと違って、昔から演劇に興味があったわけじゃないんだから、コンクールに対してはっきりとした意見を持っていなくても、仕方がないんじゃないかしら」
なんとかこの場を取り繕う言葉をひねり出そうとして、冷や汗で背中をぐっしょりと濡らしながら必死に目を泳がせていたわたしに、優しい口調で助け舟を出してくれたのは、永井先輩だった。
「……そうですね。じゃあ、うちの部はコンクールには出ないってことでいいの? 部長さん」
中島先輩があっさり引き下がってくれて、わたしはホッとする。
今日この場に永井先輩がいてくれて、本当に良かった。
もし、軽音部の活動に行っていて不在だったらと思うと、想像するだけで恐ろしい。
「……あたしとしては、そうしたいと思ってます」
自分の考えとは異なるものであっても、熱意に溢れた中島先輩の意見を封殺するのは心苦しいのか、少し辛そうな表情で圭夏ちゃんは言った。
「……そう。まあいいけど……その分、文化祭での公演はクオリティの高いものを目指すのよね?」
「そりゃあ、もちろん。倍以上の時間をかけるわけですから」
文化祭が行われるのは十月上旬なので、今から準備を始めても、四ヶ月以上は時間に余裕がある。
「…………」
中島先輩はしばらく難しい顔をして黙っていたが、やがて口を開いて、
「なら、いいわ。その代わり、妥協は一切なしでやるわよ」
と、どこか挑発的な笑みを浮かべながら言った。
「望むところですよ、センパイ」
そんな中島先輩に、圭夏ちゃんも「ニッ」って擬音が聞こえてきそうな、口角を大きく上げた笑顔で答える。
部長決めでもコンクールに参加するかどうかでも揉めるなんて、一時はどうなることかと思ったけど、丸く収まって何よりだ。
けれど、今後も圭夏ちゃんと中島先輩の意見が対立することは何度もあるだろうし、その時、軽音部と掛け持ちの永井先輩がいてくれるかどうかはわからない。
(わたしが部内の意見を、うまく調整できるようにならないと……)
と、わたしが決意した直後のことだった。
「あ、そうそう、千秋。来週は演目について話し合う予定だから、脚本家としてある程度アイディアをまとめといてね」
圭夏ちゃんが宿題を出し、わたしに「自分はネゴシエーターではなく脚本家である」ということを思い出させたのは。
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