第22話 雪江の実力

「今日は、軽音部の活動を見学しに行きましょう」


 中島先輩がそう提案したのは、永井先輩の入部が決定した日の翌日、昨日と同じ空き教室でのことだった。


「トートツですね……」


「あなたたちは知らないでしょうけど、彼女の生歌と生演奏は本当にすごいから、いい刺激になると思うわよ。特に、ネット上でもYUKIEの歌を聴いたことがない榎本さんにとっては」


 困惑する圭夏ちゃんに意図を説明していた中島先輩に、いきなり話を振られて、わたしは少し驚いた。


「そ、そうですね……」


 この人の言葉を素直に解釈するのであれば、「永井先輩が演劇部の活動でインスピレーションを得ることができるのであれば、その逆もまた然りである」ってことになるんだろうけど、たぶん、中島先輩が軽音楽部の活動を見に行きたがっている本当の理由は、別のところにある。


 自分は入部時にスケッチブックを見せたのだから、永井先輩も演劇部の部員たちの前でスキルを披露するべきだ。


 そうしなければ、不公平である。


「本当は、別の理由があるんじゃないですか」なんて聞いても、中島先輩が素直に答えてくれるかどうかはわからないし、機嫌を悪くする可能性が高いので聞かないけど、おそらく、これが本音なんじゃないだろうか。


 まだ知り合ってから日が浅いのに、彼女の心情をここまで推し量れることは、自分でも不思議だった。


 もしかすると、一緒に演劇部を作ろうとしている仲間だから、ただ漠然と同じ教室で学んでいるだけのクラスメイトとは少し違うのかもしれない……。



×       ×       ×



 わたしたちは空き教室の黒板に、「ご用の方は音楽室まで 演劇部」と書き残し、軽音楽部の活動場所を訪れた。


「失礼します」


 中島先輩がそう言って、ノックしてから扉を開く。


「……あら?」


 すると、男子生徒にドラムの叩き方を教えていた永井先輩がこちらに気付いた。


「ごめん、ちょっと待ってて」


「はい」


 男子生徒に断りを入れて、小走りで音楽室の入口までやって来る永井先輩。


「す、すみません。アポ無しでいきなり……」


「いいのよ。でも、どうして?」


 慌てて謝罪するわたしをフォローしつつ、永井先輩は尋ねた。


「ちょっと、先輩の生歌と生演奏をこの子たちに聞かせてあげたくって」


 と言ったのは、もちろん中島先輩である。


「いいけど……今、うちの部にはドラムがいなくって……」


「え? でも先輩、今ドラムの叩き方教えてましたよね?」


「うん。でも、流石に歌いながらドラムを叩くのは難しいかな……ギターもバッキングならいけるけど、リードは流石に無理だし」


 圭夏ちゃんの質問に、苦笑いしながら永井先輩は答えた。


(やっぱり、ボーカルはメインじゃないほうのギターが兼任するんだ……)


 でも、それなら、どうして永井先輩は右手の指先が硬くなっていたんだろう。


 いや、もしかすると、彼女はギターしか弾かない、弾けないってわけじゃなくって――


「ひょっとして、先輩は軽音楽で使う楽器を、一通り扱えたりするんですか……?」


「うん。だって、作曲や編曲も自分でやってるし」


 そう思ってわたしが問うと、永井先輩は頷いた。


「……先輩って、ホントに中三ですか? 実は人生二周目だったりしません?」


「まさか」


 怪訝そうな圭夏ちゃんの言葉を、永井先輩は笑い飛ばす。


 この年で、メインで演奏するわけじゃない楽器の練習で指先が角質化するなんて、どう考えても普通じゃない。


 文字通り、血が滲むほどの努力をしてきたはずだ。


 いくら音楽が好きとはいえ、どうしてそんなに頑張れるんだろう。


 そこまで練習してきた人が、なんでスランプになってしまったんだろう。


(永井先輩と二人だけで話す機会があったら、その時に聞いてみよう……)


 みんながいる前で口にするには、少々デリケートな話題なので、わたしは心の中でそう決意した。



×       ×       ×



 永井先輩は音が混ざらないように音楽準備室や第二音楽室で練習していたメンバーたち(ギターの女子、ベースの男子、キーボードの男子の四人)を招集すると、アンプに繋いだギターのチューニングをしながら、


「とりあえず、ドラムパートは録音したものでもいいかしら?」


 と、演劇部の面々に尋ねた。


「はい」


「うん」


「構いません」


 わたしたちが口々に承諾すると、永井先輩は短く「ありがと」と答え、小型の音楽プレイヤーを取り出して操作を始めた。


 コードは見当たらないけれど、うちの学校の備品にBluetoothスピーカーなんてハイテク機器があるとは思えないし、値段を考えると部費で購入することも難しいだろうから、たぶん、先輩が私物のスピーカーを持ち込んでいるんだろう。


「じゃあ、まずは『革命』をやりましょう」


「え、マジで?」


「いきなりアレやんの?」


 永井先輩の提案に、困惑するベースとキーボード。


「いいでしょ? この曲が一番自信あるし」


「あんたがいいならいいけど……後輩ちゃんたちびっくりしない?」


「僕は大丈夫ですよ」


 呆れ気味のギター(永井先輩はリードギターを担当しながら歌うのは無理だと言っていたので、たぶんこの人がリードギターなんだと思われる)に、いつの間にかわたしたちと並んで立っていた、近い未来このバンドのドラム担当になるであろう男子が、軽く手を挙げながら言った。


「いや、あんたじゃなくて、演劇部の子たちがね……」


「あたしは大丈夫ですけど……うーん、千秋はびっくりするかもしれないなあ」


「?」


 圭夏ちゃんの発言に、わたしは首を傾げた。


「永井先輩のイメージとは、ちょっと違うかもしれないから」


「ど、どういうこと……?」


「まあ、聴けばわかるよ」


 その圭夏ちゃんの言葉をOKのサインだと解釈したようで、永井先輩率いる軽音楽部は、ほどなくして演奏を開始した。


 イントロからして激しい、アップテンポな曲だ。


 音楽に関する知識なんてゼロに等しいわたしでも、先輩たちの演奏が上手いということはすぐにわかった。


 そして、お待ちかねの歌唱パートが始まり――圭夏ちゃんの言っていた意味が理解できた。


 永井先輩の歌は、確かに上手だ。


 音域の広さも声の伸びも、明らかに学生の領域を逸脱している。


 演奏のレベルもかなり高いんだけど、それよりも二段階くらい上というか。


 部員たちの演奏が高校野球強豪校のレギュラーくらいだとしたら、永井先輩の歌はプロ野球の一軍で主力を張れるくらいというか。


 でも――歌詞がなんというか、かなり過激だった。


 権力者に搾取される奴隷になるなとか、現状を変えたいなら行動しろとか。


 映画「スクール・オブ・ロック」でも言われていたように、ロックの基本は反権力、反権威であることを考えれば、ある意味極めて真っ当な歌詞ではあるんだけど、これをあの柔和で温厚な永井先輩が作詞したのかと思うと、驚きを禁じ得ない。


 けど、そのギャップがまた良いというか。


 いかにも「清楚なお嬢様です」って感じの先輩が、技術面のみならず精神面でも、本気でロックをやっているのが格好いいというか。


 などと、わたしがギターを弾きながら歌う永井先輩に、すっかり魅了されていた時のことだった。


「羨ましいわね……」


 中島先輩が、小声でそう呟いたのは。


 羨ましいっていうのは、真面目に部活をやっている仲間がいることが、なんだろうか。


 それとも、様々な楽器を練習できる――つまりは買ってもらえる、お金持ちの家に生まれたことが、なのか。


 状況的には前者の可能性が高そうだけど、彼女の家庭環境のことを考えると、後者の可能性も否定はできない。


 もし後者の意味で言っていたのだとしたら、わたしにはどうしようもないけれど、前者の意味で言っていたのだとしたら、同じ演劇部のわたしが、そういう仲間になってあげたい――


 先輩相手に上から目線で失礼かもしれないけど、この時わたしはそう感じた。

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