第20話 四人目の部員

 中島先輩が完成度の高いチラシを作ってくれたおかげか、新しい入部希望者が現れるまで、それほど時間はかからなかった。


 夕暮れ時、下校時刻が迫る中――


「こんにちは。演劇部の活動場所って、ここで合っていますか?」


 空き教室で発声練習をしていたわたしたちに、礼儀正しくも堂々とした態度でそう尋ねてきたのは、流れるような長い黒髪が目を引く、すらりとした長身の女子生徒だった。


 清楚で上品な、どこかの高原でフルートでも吹いていそうな風貌の女性だ(まあ、うちの学校に吹奏楽部はないんだけど)。


 こういう人のことを、「お嬢様系」って言うんだろうか。


 わたしの同級生たちに比べると、だいぶ落ち着いた雰囲気をしているから、この人もたぶん上級生だろう。


「イエス」


 右手でVサインを作りながら、不敵に笑う圭夏ちゃん。


「よかった。わたし、三年の永井ながい雪江ゆきえって言います。軽音楽部で部長をやっているんですけど、掛け持ちでもよければ――」


「……ちょっと待って。この声、それに軽音部でユキエって、まさか……」


「ええ。永井先輩は、歌い手のYUKIEと同一人物よ」


「……マジで!?」


「あの……すみません。わたし、歌い手のYUKIEさんについて、よく知らないんですけど……」


 圭夏ちゃんが驚く中、おそるおそる手を挙げながらわたしは言った。


「……YUKIEは中学生でありながら、自分で作詞作曲した歌のMVが百万回以上再生されている天才よ。十代の歌い手としては、今一番勢いがあるんじゃないかしら」


 一瞬、「あなた、本気で言ってるの?」という顔をしつつも、丁寧に説明してくれる中島先輩。


「ひゃ、百万回……!?」


 そんなすごい人が、どうしてうちみたいな公立の小さな中学にいるんだろう。


「…………」


 わたしがそう疑問に思いながら視線を向けると、永井先輩は急に推し黙ってしまった。


「あの、先輩……?」


「ああ、ごめんなさい。わたし、こういう時どう答えたらいいのかわからなくって」


「へ?」


「だって、『運が良かっただけよ』って謙遜しても、『わたしの実力ならそれくらい当然よ』って偉そうな態度を取っても叩かれそうじゃない?」


「まあ……確かに。下手に謙遜しても嫌味っぽく聞こえるかもしれませんし、ネット上で有名な人なら当然の悩みですよね」


 圭夏ちゃんの言葉には同意しつつも、それと同時に「有名人がそういうこと気にしてるのって、なんだかかわいいかも」と、わたしは永井先輩にかすかな親近感を抱いた。


「ちなみに実際のところ、先輩はどう思ってるんですか?」


「どう、って?」


 永井先輩が、圭夏ちゃんの質問に首を傾げる。


「百万再生は運なのか、それとも実力なのかってことです」


「……半々、かなあ。運も実力の内って言うけど、実際、優れた作品だって評価されるかどうかは運とタイミング次第だから」


 つまり、この人は自分の作った曲を、「優れた作品」だと思っているわけだ。


 それも驕り高ぶっているわけではなく、ごく自然に。


 なんだか、勝手にシンパシーを感じていたことが、急に恥ずかしくなってくる。


 さっき、わたしは「この人と自分は、もしかしたらちょっと似ているのかもしれない」なんて思ったわけだけど、それは大きな間違いだった。


 永井先輩は褒められるのに慣れていないんじゃなくって、炎上のリスクを気にする癖がついてしまっているだけだ。


 それはそうと、こういう自然体で自信に満ちあふれている人は、役者向きかもしれない。


 人前に立つことにも、それなりに慣れていそうだし。


「それには同意しますけど……音楽でそこまで成功している先輩が、どうして兼部なんかを?」


「……わたしね、実は最近スランプ気味なの」


 中島先輩の問いに、少し視線を落として永井先輩は答えた。


「……だったら、なおさら音楽活動に集中するべきでは?」


「いや、今までと同じことをしてても抜け出せないから、スランプなんだけど……」


 棘のある中島先輩の物言いに、苦笑する永井先輩。


「よーするに、永井先輩はえっと……イン……イン……イン……」


「……インスピレーション?」


 言葉に詰まる圭夏ちゃんに、わたしは助け舟を出す。


「そう、それ。インスピレーションが欲しくって、演劇をやろうと思ったってことですか?」


「うん。役者さんとして演技をしたり、劇伴を作ったりすれば、いい刺激になるかなって思ったの」


 先程とは打って変わって、永井先輩はにこやかな表情で返答した。


「ダメかな、こういう動機じゃ」


 そして、中島先輩のほうに向き直って尋ねる。


「ダメでは……ないですけど」


「全然オッケーですよ、先輩。演劇部は誰でもウェルカムですから」


 中島先輩が言いよどむ中、圭夏ちゃんは明るい笑顔で、永井先輩の手を握った。


「ありがとう。えっと……」


「大鳥圭夏ですっ!」


 快く握手に応じる永井先輩に、圭夏ちゃんが名乗る。


「ありがとう、大鳥さん。よかったら、あなたも」


 と言って、わたしに右手を差し出してくる永井先輩。


「あっ、はい……榎本千秋って言います、よろしくお願いします……」


 わたしがおどおどと右手を出し返すと、永井先輩はその手を優しく握ってくれた。


「よろしくね、榎本さん」


 先輩の手は、見た目通り柔らかくて肌触りが良かったものの、人差し指と中指の先端だけは異様に硬かった。


 中島先輩は彼女のことを歌い手だって言っていたけど、たぶん、この感じだと軽音楽部ではベースを弾いているんだろう。


 ギタリストはピックを持って演奏するので、左手はともかく右手の指は角質化しないはずだし。


 でも、バンドでベースがボーカルを担当するのって珍しい気がする。


 わたしは音楽に関してはあまり詳しくないので、理由まではよくわからないけど、普通はギターが歌うものなんじゃ――


「……あの、榎本さん?」


 あれこれ考えながら手を握り続けていたわたしの名前を、永井先輩は怪訝そうに呼んだ。


「あっ、す、すみません」


 慌てて手を離すわたしに、永井先輩は穏やかで上品な微笑みを向けてくれる。


 圭夏ちゃんの笑顔が真夏のひまわりだとしたら、この人の微笑は白い百合の花って感じだった。


 中島先輩は綺麗だけど棘のある紅い薔薇で、わたしは――道端でひっそりと咲いている、ツクシかタンポポってところだろう。


「迷惑でなければ、あなたも」


「……中島三春です、先輩」


 白百合カサブランカがにこにこしながら差し出した手を、紅薔薇ロサ・キネンシスがしぶしぶといった調子で握る。


「兼部になるから毎日は来られないけど、手を抜いたりサボったりするつもりはないから、お手柔らかにお願いします」


「あっ、はい……」


 にこやかな顔のまま宣言する永井先輩に、すっかり毒気を抜かれてしまった様子で、中島先輩は答えた。

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