第8話 初めての気持ち

 わたしの家は父子家庭で、お父さんは平日と土曜日の昼間は仕事に行っている。


 そして、わたしに兄弟や姉妹はいないし、ペットも飼っていない。


「……ただいま」


 だから、帰宅時にこんな挨拶をしても当然、誰からも返事は返ってこないんだけど、「女子中学生が一人で家にいると思われたら危ないから」という理由で、一応言っておくことに――


「おかえり、千秋ちあき


 その時、開くはずがないリビングのドアが開き、そこからお父さんがひょっこりと顔を出した。


 四十代半ばの眼鏡をかけた、穏やかな雰囲気の男性だ。


 詳しいことはよく知らないけれど、幼稚園から小学校低学年くらいの子たちの学習に関する研究をしている学者さんらしい。


「お、お父さん!? なんでいるの!?」


「なんだよ、いたら悪いのか? ここは僕の家だぞ」


 驚くわたしに、お父さんはおどけた感じの苦笑で応じる。


「いや、悪いってわけじゃないけど、いるとは思わなかったから……」


「あれ? 今日の仕事は午前中だけだって、言わなかったっけ?」


「聞いてない」


「おかしいなあ、朝ご飯の時に言ったと思ったんだけど……」


「いや、聞いてない」


 もしかしたら、登校中に頭をぶつけた時のショックで忘れてしまったのかもしれないけれど、少なくとも覚えてはいない。


「……こりゃあ、水掛け論にしかならないな。それより、晩ごはんは何が食べたい?」


「なんでもいいよ……」


「なんでもいい、が一番困るんだけどなあ」


「……悪いけど、今はそれどころじゃないの」


 わたしはそう言って、和室でにお線香をあげてから二階に上がり、自室のベッドへと倒れ込んだ。


 そして、枕を抱え込んで横向きに寝っ転がり、机の上に飾られた特撮ヒーロー番組に登場する合体ロボットの玩具を見ながら、別れ際に大鳥さんが言っていた言葉を思い出す。


 ――一緒に、やりたいことやろうよ!


 すると、わたしの胸の奥から、何か熱いものが自然と湧き上がってきた。


 こんな感覚、生まれて初めてだ。


 どうして――どうしてこんなにも、胸の鼓動が高鳴るんだろう。


 単に、「顔がいい大鳥さんに至近距離まで迫られたから」というだけでは、説明がつかないような気がする。


 まあ、あの時逃げ出してしまったのは、間違いなくそれが原因なんだけど――


 その時、額縁に入れて壁に掛けられた賞状が、わたしの目に入った。


 あれは去年、作文のコンクールで佳作を受賞した時のものだ。


 小学校時代の同級生は誰も認めてくれなかったわたしの才能、わたしの取り柄。


 それを、彼女は必要としてくれた。


(ああ、そっか……そういうことだったんだ……)


 自分の気持ちに納得が行ったところで、わたしは改めて考える。


 もしかしたら、さっきの行動で大鳥さんには誤解されてしまったかもしれないけれど、わたしはやっぱり、あの人と演劇部を作りたい――と。

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