元魔王様とリュシエルに迫る魔の手 5

 部屋で気持ち良く眠っていたジルだったが、扉をノックする音が聞こえてくる。


「ジル、起きていますか?」


「…ん。朝か。」


 ノックの音で目を覚ます。

部屋を垂らす陽の光りが寝起きの目にはきつい。

思わず閉じて再び眠りたくなるが、訪問者の声を聞いて我慢する。


「聞こえていますか?」


「今起こされた。何か用か?」


 扉の外から話し掛けてきているのはリュシエルだ。

朝から部屋に尋ねてくるとは珍しい。


「起こしてしまって申し訳ありません。ですが今日は大事な日ですから。ジルに私の考えを聞いてもらいたいと思いまして。」


 自分の人生の岐路とも言える日になるかもしれない。

一晩考えた事をジルに聞いてもらいたかった。


「…ああ、あれか。」


「寝ぼけて頭が回っていないみたいですね。私にとっては人生に関わる事なのですよ?」


「取り敢えず距離が遠くて声が聞こえにくい。部屋に入ってきたらどうだ?」


「そうですか?それでは失礼しますね。」


 扉を開けてリュシエルが中に入ってくる。

寝起きのジルとは違ってしっかり服装も着替えている。


「まだベッドの中ではないですか。」


「起きたばかりなのだから仕方無いだろう?それで考えは纏まったのか?」


「はい、昨日自分でしっかり考えて結論を出しました。」


 そう言って頷いたリュシエルの瞳には覚悟が見てとれる。


「ブリオルの下へ嫁ぐのか、それとも話しを蹴るか。それでどちらにしたんだ?」


「私は…嫁ぎたくありません。」


「成る程、一応理由を聞こう。」


 ジルとしてはブリオル達の話しを聞いた後なのでこの答えで安心した。

あんな者に嫁いでしまえば、リュシエルは不幸せなまま人生を終わる事は確実だ。


「私はやっと殻に閉じこもるのを止めて一歩を踏み出したばかりです。せっかく勇気を出したのに早々に投げ出したくはありません。久しぶりに信頼出来る人を見つけられたのですから。」


 そう言ってジルを真っ直ぐに見つめる。

ジルとの出会いはリュシエルの人生を大きく動かした。

それをブリオルとの婚約なんかで失いたくない。


「その判断が多くの者を危険に晒す事になってもか?」


 リュシエルを傷付ける様な尋ね方だがこれは大事な事だ。

ブリオルはリュシエルの返答次第で実力行使に出ると宣言している。

そしてフラムと言う傭兵まで引き連れてきている事をジルは知っている。


「意地悪な言い方をしますね。ですがそれでもです。お父様やお母様を始め、今もなお残ってくれている屋敷の者達や領民は、昔から私の自由を望んでくれている者ばかりですから。優しい皆に囲まれて私は幸せ者です。」


 目を閉じて皆の事を想いながら呟く。

スキルに振り回される人生ではあったが、そんな中でもかけがえのない者達が周りにはいる。

皆がいなければもっと早くに潰れていたかもしれない。


「だからこそ諦める選択肢は取らないか。」


「はい、皆の気持ちを無駄にしない為にも私は諦めません。呪われたスキルがあろうと、前に進むと決めたのですから。」


 誰に何を言われようともこの意見を曲げるつもりはない。

皆が喜んでくれる様に自分が幸せを掴み取るのだ。


「ならばそれでいいんじゃないか?では早速朝食を食べて午前の訓練といくか。貴族の使いが来るまで暇だろうしな。」


「えっ…。」


 ジルの言葉が予想外だったのか、リュシエルは呆気にとられた表情をしている。

こんな大事な時に訓練しようと誘われるなんて思わなかった。


「何を呆けた顔をしている?」


「あの、逃げないのですか?間も無くこの一体は戦場となるかもしれないのですよ?」


 自分の返答でブリオルは実力行使をしてくる。

公爵家に滞在していてはジルにも危険が及ぶ。

ジルが強いのは分かっているが、貴族同士の争いに巻き込みたくは無い。


「そんなくだらん事を気にしていたのか。我が逃げ出す事などあり得んな。我は相手が誰であろうと我の思うがままに行動する。」


 誰にも縛られず自由に行動する、それこそが神々に与えられた魔王と言う前世の役割を終えた今世のジルなのだ。

どこまでも自由に生きていくのがこの人族の人生の目標だ。


「…私の憧れた生き方そのままなんですね。もっと早くジルと出会えていたら私の人生も。」


「何か言ったか?」


 リュシエルが羨む様な視線を向けてきて何かを呟いている。

声が小さくてよく聞こえない。


「いえ、シキの言った通りだなと思いまして。」


「シキ?」


「ジル様が逃げるなんてあり得ないって話しなのです。」


 タイミングよくシキが開いていた扉から中に入ってくる。

この後の事情を知っているシキはニコニコしている。

ジルがいる時点でリュシエルが救われるのは確実だとシキは確信を持って言える。


「それだけでは無いでしょう?そんな事よりも朝食を気にする食いしん坊な主人だと…。」


「わあー!それは内緒なのですー!」


 リュシエルが漏らした言葉に慌てた様子でシキが顔の周りを飛び回っている。


「ほほう、詳しく話しを聞こうではないか。」


「ジル様、朝から怖いのですー!」


 二人のやり取りに覚悟を決めて終始緊張気味であったリュシエルは、肩の力が抜けて思わず自然と笑みが溢れていた。

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