第7話

「だめぇ!」


 魂子が塩を投げつけて、姉の手の力が緩む。


「お前! 姉さんに何するんだ!?」


 激昂した黒星が胸倉を掴んだ。


「心ちゃんを殺さないで! お願いだから……」


 涙でぐしゃぐしゃになった顏に気勢を削がれる。


「……古旗心はもう死んでる。あそこにいるのは彼女の無念が生んだただの怪異だ。彼女自身じゃない」

「あんな醜いバケモノを姉さんだって大事にしてる人に言われても納得出来ない! 白神君だって本当はそんな風に思ってないんでしょ!?」

「じゃあどうしろって言うんだよ! 滅ぼす以外に僕には出来ない! 他に手があるって言うんなら、今すぐ僕に教えてくれ!」

「一分でいいの。心ちゃんと話す時間を頂戴」


 ボロボロと泣きながら、それでも魂子の目は力強い意思の光を宿して黒星を見つめていた。

 その眩しさに気圧されながら。


「……素人の君に何が出来る」

「それでもあたしがやらなきゃダメなの。だってあたしは心ちゃんのクラスメイトだから。今度こそ絶対に見殺しになんかしたくない」


 毅然とした態度で告げると、魂子が巨大な手の中で暴れる心の元へと歩いていく。


「……どうしてだよ! クラスメイトなんかただの他人だろ! 君がイジメてたわけでもない! そこまでする理由がどこにある!」

「ないかもしれない。でも、あたしにはそうは思えない。思いたくない。思っちゃったら、一人で死んだ心ちゃんが浮かばれないよ」


 止めるべきなのは分かっていた。

 だが、止められなかった。


「……勝手にしろ! 30秒だ! それ以上は一秒だって待つ気はないぞ!」

「……ありがとう。わがまま言ってごめんね」


 そう言うと、魂子は心のそばに立ち、何かを囁いた。

 そして不意に、明後日の方向に歩いていく。


「……おい。なにする気だ」


 魂子は答えず歩き続ける。

 その先にある物に気づいて黒星は戦慄した。

 正確には、そこにない物に気づいて。

 先程の突撃で、屋上を囲うフェンスの一部が破壊されていた。


「おい! バカな事考えてるんじゃないだろうな!」


 破れたフェンスに手をかけて魂子が振り返る。


「ごめんね、白神君。最後まで迷惑かけちゃって。でも、他に方法見つからなくって」

「よせ! やめろ! そんな事してなんの意味がある!?」

「なかったら……あとは任せた!」


 優しすぎる笑みを浮かべると、魂子は屋上から身を投げた。


「やめろおおおおぉぉぉぉ!」


 黒星が駆けだす。

 そんな事をしても間に合わない事は分かっていた。

 屋上の端に着く。

 下を見るのには勇気が必要だった。


 どうして?

 人が死ぬ姿を見るのには慣れているはずなのに。

 ……それは嘘だ。

 何度見たって、そんなもの慣れるはずがない。


「……クソ。クソ、クソクソクソ! なんでだよ! どうしてこうなる! 君が死ぬ必要なんてどこにもなかったじゃないか!?」


 錆びたフェンスに指をかけ、手の皮が破れる程に激しく揺らす。

 無力感が黒星の胸を苛んでいた。


「……だから僕は嫌なんだ。どうしようもない出来損ないの落ちこぼれだ。姉さんみたいに上手くなんか出来ないよ……」


 がっくりとその場に膝をつく。

 気が付くと、黒星は涙を零していた。

 そんな物は、とっくに枯れたと思っていたのに……。


「………………あー。白神君?」

「うわぁあああ!?」


 突然の声に驚いて尻餅を着く。

 顔を上げると、目の前に墜落死したはずの魂子が浮かんでいた。


「………………どうして? 君まで幽霊になったのか?」

「ううん。よくわかんないんだけど、心ちゃんが助けてくれたの」

「……なんだって?」


 言われて見ると、魂子の背後に古旗心がいた。

 どうやら後ろから抱えるようにして浮いているらしい。

 それで振り返ると、姉の手は内側から爆破されたみたいに指が消し飛んでいた。


「……そいつを助ける為に、無理やり姉さんの手から抜け出したってのか?」

「そうみたい。やっぱり心ちゃん、悪い幽霊じゃなかったんだよ」


 誇らしそうに笑いつつ、魂子が屋上に着地する。


「そんな、バカな。悪霊が生者を助けるなんて……」


 黒星は心底唖然とするが。


「そんなに驚く事? 白神君のお姉ちゃんだって白神君の事助けてるでしょ?」

「だって姉さんは……」


 特別だ。

 そう言おうとして、黒星は言葉を飲み込んだ。

 事実として、古旗心の悪霊は魂子を救ってみせたのだ。

 不可解でも、納得する他ない。


「結界解いて白神君。心ちゃんはもう大丈夫だから」


 無表情で虚空に浮かぶ心の霊を振り返り、魂子が呟く。

 黒星が迷っていると「大丈夫だから」と繰り返す。

 それで仕方なく、「……姉さん」と呟いて結界を説いた。

 世界を染めていた闇がカサブタのように剥がれ落ちる。


「バイバイ、心ちゃん。次に生まれ変わったら、今度こそお友達になろうね」


 心の霊は俯くと、微かに頷き、サラサラと砂のように溶けて消えた。


「……本当に成仏したのか?」


 そう呼ばれる現象がある事は知っている。

 だがそれは、滅多にお目にかかれない稀な例だ。


「わかんないよ。あたし素人だもん」


 ケロッと言って、魂子は一番星の輝く夜空を見上げた。


「でも、そうならいいなって思うから。そういう事にしておこう」

「……何をしたんだ? というか、なんでこうなったんだ。さっぱり意味が分からない」

「約束したの」


 魂子は言った。


「あたしも死ぬから一緒に天国に行こうって」

「………………それで飛び降りたのか?」

「バカだと思う?」

「思わない。流石にバカに失礼だ」

「あははははは!」


 冗談だと思ったのだろう。

 魂子は腹を抱えて笑った。


「あたしもそう思う。今思い出しても怖くて足が震えるし。でも、間違ってたとは思わない」

「……だとしたら、頭の病院に行けよ」

「変な所に腫瘍とかあったらどうしよう」

「……よく笑っていられるな。一歩間違えれば死ぬ所だったんだぞ」


 というか、普通は絶対に死んでいる場面だ。


「生きてるからね」


 事もなげに魂子は言う。

 震える足を見るに、見た目ほど平気ではないのかもしれないが。


「それが分からない。なんで古旗はお前を助けたんだ」

「それがさ、心ちゃんてば酷いんだよ! 地面すれすれであたしの事キャッチしてこう言ったの! あなたの事が嫌いだから、天国には一人で行くって」


 なんとなくわかる気がして、黒星の鼻が笑った。


「あ、笑った所初めて見た」

「……うるさいな。僕だって笑う事くらいある」

「ムッツリしてるよりその方がいいよ。折角可愛い顔してるんだからさ」

「………………忘れたのか? 僕に色目を使うと姉さんに殺されるぞ」


 ハッとして魂子が振り返る。

 背後にはびっしりと目玉を浮かべた姉の霊が立っていた。


「ち、違うの白神君のお姉ちゃん! 今のは色目とかじゃなくて! 普通に褒めただけ! あたし顏とかそんな気にしないし! それより中身で選ぶ派だから! 捻くれ者の白神君は全然タイプじゃないので安心してください!」


 姉の霊はパチパチと瞬きをすると、あっさり黒星の影に戻っていった。


「姉さん!? 納得しないでよ!」

「あははは! お姉ちゃんにも捻くれてるって思われてるんだ!」

「う、うるさい! ほっといてくれ!」


 騒ぎを聞きつけたのだろう。

 校舎の前にパトカーが集まりだした。


「……わぁ、警察だ。屋上めちゃくちゃにしちゃったし、あたし達怒られちゃうかな?」

「僕は仕事で来てるんだ。怒られるとしたら君だけだろ」

「え~! そんな薄情な事言わないでよ! クラスメイトでしょ!?」

「仕事で調査しに来ただけだ。もうクラスメイトじゃない」

「え。明日から来ないって事?」

「来る理由がないだろ」

「やだやだやだぁ! 折角同じ六感持ちの子と友達になれたのに! 解異士の事とかも色々聞きたかったのにぃ~!」

「知らないよ。僕は忙しいんだ。ごっこ遊びなら他所でやってくれ」

「遊びじゃないし! 本気だし! 素人の割に、あたし結構頑張ってたでしょ? 白神君も才能あるって言ってたじゃん!」

「……才能だけは、な。それ以外は最低だ。あんなやり方を続けてたら、命が幾つあっても足りない」

「その辺は今後の課題って事で! 怪異庁にコネあるんでしょ? あたしの事売り込んでよ! 凄い原石見つけちゃったって!」

「やなこった。生憎僕は捻くれ者なんでね。君みたいにお人好しをやる趣味はない」

「拗ねないでよ」

「拗ねてない」

「拗ねてるじゃん!」

「うるさいな。悪霊は成仏したんだ。事後処理は僕がやるからさっさと帰れよ」

「やったー! って言いたいんだけど。今更怖くなっちゃって。腰が抜けて立てないんだ」


 苦笑いで魂子は言う。

 黒星は忌々しそうに舌打ちを鳴らした。


「鬱陶しいな」

「そんな事言うなら白神君があっちに行けばいいじゃん」

「………………姉さんは燃費が悪いんだ」


 ジト目で睨まれ、黒星は呟いた。


「え?」

「動けないんだよ! 誰かさんのせいで無駄に力を使い過ぎた! 本当なら、古旗心の霊を喰らって補給するつもりだったんだ」

「謝った方がいい?」


 本気と冗談の中間の顔で魂子が尋ねる。


「……必要ない。ないならないで、その辺の低級怪異を喰らって凌ぐだけだ」

「……大丈夫ならいいんだけど。寂しくなるなぁ。これでお別れなんて」

「たった一日だろ。すぐに忘れる」

「たった一日でも、友達は友達だよ」

「勝手に友達にしないでくれ」

「や~だぷ~。自分が友達だって思ったら友達だもん。白神君がどう思ってるかなんて関係ないし」

「……勝手な奴だ」

「お互い様」


 二人で穴だらけの屋上に座り込み、警官がやって来るまでもう少しだけ話をした。

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