私が選んだ世界
元の世界に戻りたい気持ちの方が強かったら、ご主人様に執着していなかったと思う。
出会い方はどうであれ、私にとってご主人様は大切で、かけがえのない人になった。
迷わない。
もう答えは決まっていた。
「私はご主人様のような人に買われて、幸福でした。いいえ、幸福です、とこれからも言わせてください!」
言いながら、私はご主人様を押し倒す。
そして、上着を脱ぎ始めた。
「ちょっと、いろはさん、駄目です! あなたのいた世界に戻れなくなりますよ!?」
「良いんです」
「えっ?」
「ご主人様が悪いんですよ。あなたが優し過ぎるから、ここが心地よすぎるから、私は帰りたくなくなったんです」
私は言いながら、ご主人様の服を脱がした。
「落ち着いてください! 僕はもうすぐ死にます!」
「死にません!」
私は根拠のないことを力強く宣言した。
「ご主人様が出会った女性は私を買えば、運命が変わる、と言ったのでしょう。たった一年足らず家族のように過ごしたことを運命が変わるなんて、言うわけがありません。ご主人様は死なない、とんでもない奇跡が起きて、絶対に生きて帰ってきます」
「…………生きて帰って来ても、多分、この国は敗戦国です。酷い仕打ちが待っているかもしれませんよ?」
「それでもご主人様がいれば、乗り越えられます。本当にまずそうだったら、別の国へ逃げちゃいましょう」
私は軽い口調で言うとご主人様は笑った。
「いろはさん、大胆ですね」
「なんだったら、今すぐに逃げても良いですよ? 私にとって、この国なんてどうでも良いです」
軍人のご主人様にこんなことを言ったら、怒られるかも、と思ったけど、また笑ってくれた。
「実は僕もそうしたいです。でも、出来ません」
「責務、だからですか?」
「それもありますけど、僕には逃走した際に発動する魔法が掛けられているんです」
「え!?」
「士官学校で、無料で勉強をする交換条件に受けた契約魔法です。僕も奴隷みたいなものですね」
ご主人様は儚げに笑った。
「逃げられないんですね……」
「はい、だから、僕は戦争に行かないといけません。でも、生きて帰って来れたら、また一緒に暮らしてくれますか?」
「当たり前のことを聞かないでください」
言いながら、私はさらに服を脱ぐ。
「今更、駄目、なんて言いませんよね?」
「…………本当に良いんですか? 本当に戻れなくなるんですよ?」
「とうに覚悟は出来ています」
私は真っ直ぐにご主人様を見る。
そうだ、私にはもうご主人様のいない生活は考えられない。
「…………分かりました。でも、ちょっと待ってください」
「これ以上、何を待つと……!?」
ご主人様は私を抱き抱えた。
「僕の部屋で、ベッドで、ちゃんとしましょう……」
ご主人様の顔は真っ赤だった。
「はい……」
私の顔も真っ赤だったと思う。
ご主人様は部屋へ着くと、私をベッドの上に優しく降ろしてくれた。
そして、小さな明かりをつける。
「すいません、真っ暗でする自信が無いので、これくらいの光は付けさせてください」
「はい……」
「…………」
ご主人様は緊張した様子で私に覆い被さった。
「あの、いろはさん、頼みを聞いてもらえますか?」
「な、なんでしょうか?」
「僕のことを名前で呼んで欲しいんです」
ご主人様は遠慮気味にあった。
「分かりました。ナイトハルト様」
ご主人様の名前を呼んだ。
でも、ご主人様は不満そうだった。
「もっと親しいそうな言い方をしてくれませんか?」
「え? それではナイトハルトさん……でどうでしょうか?」
「もっとです」
もっと?
「そ、それでは失礼します。ナイトハルト君」
これ以上の呼び方は無いと思った。
でも、ご主人様は、
「もう少しです」
と言いながら、笑う。
「しかし、これ以上は……」
「駄目ですか?」
ご主人様は悲しそうな表情になる。
その表情は反則だ。
「わ、分かりました。でも、まずはご主人様が先に私を呼んでください。私も同じように返します」
私の言葉にご主人様は少し迷ったみたいだった。
深呼吸をして、決心し、私を真っ直ぐに見る。
「いろは」と呼ばれた。
「!!?」
ただ名前を呼ばれただけなのに体が熱くなった。
「や、約束ですよ。僕のことも同じように呼んでください」
「分かりました」
今度は私が深呼吸をする番だった。
「ナイトハルト」
言った瞬間、ご主人様は……ナイトハルトは破顔する。
「口調も砕けた風に出来ますか?」
「ナイトハルトがしてくれるなら、良いですよ」
「――――じゃあ、お願い」
「――――うん、分かった」
私とナイトハルトは見つめ合ったまま、固まった。
もうお互いに服は着ていないし、私に覆い被さっているナイトハルトがもう少し体を沈めれば、私たちは密着する。
でも、私たちは肌が触れ合うギリギリのところで止まっていた。
「いろは、その、僕は初めてで……」
「うん、そんな気がしていた。私も初めて。上手くは行かないかも。それでも良い。それが良い」
私はナイトハルトの頬に手を伸ばした。
とても熱い。
火傷しそう……
「いろは……!」
私が触れたことが合図になった。
ナイトハルトは私に抱きつく。
「キス、して……」と私は懇願する。
「わかった……」
ナイトハルトは恐る恐る自分の唇を、私の唇に近づけた。
唇が触れて、舌が触れて、絡み合って、身体がさらに熱くなって……
そこから先は何が何だか……
初めてのことばかりで頭がグルグルした。
痛いし、苦しいし……でも、なんだか安心して、幸せで……
全てが終わった私は体力の限界だった。
気絶するように眠ってしまう。
意識を失う直前、ナイトハルトが腕枕をしながら、もう片方の手で頭を撫でてくれるのが分かった。
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