ご主人様

 私は奴隷オークションの会場を出て、魔力を動力にした車のような乗り物に乗せられた。


 これは青年の私物らしく、彼が運転をする。


 私は助手席で縮こまっていた。


 奴隷オークションの会場ではかなり強気だった。

 まぁ、心の中でだけど…………


 でも、本当は不安で押しつぶされそうになっている。


 奴隷は物のように扱われる。

 使えなくなったら、捨てられる。


 それが私の知っている奴隷の扱い。

 奴隷の生活は悲惨で、幸せなんてありえない。


 今から、そんな生活が待っている。


「着きましたよ」


 こんなことなら、異世界転移なんてしたくなかった。

 私TUEEE、な展開が出来ない絶望的な状況に堕とされるくらいなら、深海の貝にでもなりたかった……


「あの、着きましたよ」


「えっ、あっ、はい……」


 私はやっと青年の言葉に反応し、下車する。


 でも、身体が震えてうまく歩けない。


「ここがあなた……ご主人様の家ですか?」


 青年の家は一軒家だった。


 私はさらに不安になる。


 私と同じくらいの青年が一戸建ての家に住んでいるなんておかしい。


 家の中には家族がいるのではないか?


 または青年の仲間がいて、私は複数人に弄ばれるのかも……


 そんなことを想像したら、震えが酷くなった。


「あっ……!」


 うまく歩けなくて、玄関の段差で躓いてしまう。


「危ない!」


 転びそうになった私を青年が受け止めてくれた。


「あ、ありがとうございます。申し訳ありません……」


「良いんですよ」


 青年は私を気遣ってくれる。


 しかし、私はこの優しそうな青年が怖かった。


 優しそうだけど、本当に優しかったら、奴隷なんて買わないと思う。


「緊張とか、恐怖がありますよね。でも、安心してください、僕はあなたに酷いことはしません」


「はい……」


 私は青年の顔をまったく見れない。

 どんなに優しい言葉を掛けられても怖かった。


 この人は私のご主人様で、私は奴隷。


 奴隷には人権が無く、死んだところで大した問題にならない。


 この家に入ったら、一生出れないのではないか、とさえ思ってしまう。


 それでも抵抗なんて出来るはずもなく、家の中へ入る。


「…………」


 家の中はとても静かだ。


「他の方は住んでいないのですか?」


「はい、僕しか住んでいません。さぁ、こちらへどうぞ」


 そのまま居間へ案内された。


「座ってください」と言われ、私は椅子へ着席する。


 青年は対面に座った。


「自己紹介がまだでしたね、僕はナイトハルトです。あなたには名前がありますか?」


「…………いろは、です」


「いろはさんですね。不安もあると思いますが、安心してください。改めて言いますが、僕はあなたに酷いことをするつもりはありません」


 何度言われたって、私はまったく安心できない。

 言葉なんて、なんの担保にもならない。


「ですけど、僕はあなたを買ったのですから、僕の言うことは聞いてもらいます」


 青年は緊張した様子で言う。


 ほら来た。

 単純なアメと鞭。


 結局は優しい言葉をかけておいて、私を性欲のはけ口にするつもりなんだ。


 酷いことをするつもりはない、というのは私が抵抗しなければ、の話だろう。


「覚悟は出来ています。どうぞ、お好きなようにお使いください」


 私の精一杯の強がりだった。


 別に構わない、と意思表示をする。


 でも、体の震えは全然止まらない。


 青年に何を要求されるか、ううん、どこまで要求されるか、私はとても怖かった。


 痛いとか、苦しいのは嫌だ。


「えっと……そうですね、まずは疲れているでしょうし、緊張もしているでしょうから、お風呂に入りましょうか」


 お風呂……


 奴隷として売られていた時は冷たい水を掛けられるだけだったので、魅力的な提案だ。


 でも、いよいよ、という気がしてきた。


「分かりました……」


 私は覚悟を決める。


 こんなことで動揺していても仕方ない。


 今更、裸を見られるくらいなんだって言うんだ。


 どうせ、私は奴隷。

 もっとすごいことをさせられる。


「こっちですよ」


 青年に案内されて、私は廊下をフラフラと歩く。


 気持ち的には十三階段を上っている気分だった。


「ここが浴室です。お湯も出ます。使い方を説明しますね」


 んっ?

 なんで、わざわざ使い方を説明するの?


 どうせ、一緒に入るんでしょ?


 私がそんなことを思っていると青年が丁寧に浴室の使い方を説明してくれた。


「……ここをひねるとお湯が出ます。温度はこっちで調整してください」


 使い方は簡単だった。


 というか、蛇口をひねれば、お湯が出るのには驚いた。


 中世ヨーロッパくらいの文明だと思っていたけど、車みたいな乗り物もあるし、私の想像よりも文明は進んでいるのかもしれない。


「大丈夫ですか?」


「は、はい。だ、大丈夫です!」


 私は返事をすると青年は微笑んだ。


「良かった。それじゃ、僕は出て行きますね。ゆっくりしていて大丈夫ですよ」


 青年は言い残して、出て行く。


 え?

 一緒に入るんじゃないの??


 それで性的な要求をされるものだとばかり……


「こんな汚い身体じゃ、欲情しないってことかな?」


 ボロボロの服に、埃っぽい身体。


 確かに魅力はまったく無い。


 でも、それはそれでなんだか悔しい。


「……って、私は何を考えているの? 良いじゃん。久しぶりの一人の時間」


 私は服を脱いだ。

 出来れば、首輪も外したかったけど、こればかりはどうにもならない。


 久しぶりにお湯で体を洗えた。


 それに石鹸もある。


「…………」


 体を洗って、落ち着いたら、急に涙が出て来る。


 この世界に来て初めて人間らしいことをした。


「私ってチョロいなぁ…………こんなにチョロかったっけなぁ…………これじゃ、ラノベとか、なろう系のヒロインのことをチョロインって馬鹿に出来ないなぁ…………」


 私は暫くの間、泣く。


 青年のことをあれだけ警戒していたのに信じてもいいかな、と思い始めていた。

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