#3.妹よ、兄はサンドバッグではない

 イケメン転校生こと天宮寺が転校してきた次の日、休日に部活動がない俺は土曜の朝から寝ているつもりだった。

 しかし、人生とはそう上手くいかないもので俺の願いをぶち壊すかの様にドアを開け勢いよくショートカットの活発系と言われる雰囲気を纏った少女が現れる。


「お兄ぃ! 朝だぞ! 起きろ!」

「小春、お兄ぃはまだ布団から出たくないんだ。分かってくれ」


 それでもなお俺を揺さぶりながら起こそうと試みるこの少女の名は千島小春ちじまこはる。俺の妹であり、家庭内ヒエラルキーの頂点に位置していると言っても過言ではない人物である。


 実際の所、母さんと父さんが同じくらい。小春が少し発言力が強く、俺は一番下。特に逆らうこともせず、ただ流れに身を任せている。


「お〜き〜ろ〜!」

「分かった、分かったから耳元で叫ぶんじゃない!」


 しかし、こうして休日の朝から叩き起こされるのはどうにかしてほしいものだが恐らく何を言っても変わらないのが目に見えている。ここは大人しく起きよう。


 高校一年生ともなればそろそろ「お兄ぃキモい!」とか言われそうな時期なのだが、なぜか小春はそう言ったことはなく幼い頃から変わらず俺を叩き起こしに来る。

 変わったことといえば昔は後ろをついて回っていたのが今となっては俺よりもしっかり者になったことだろう。


 だからこそ、この家の中で俺が一番権力がないのだが。


「はぁ……眠い」

「ほらほらお兄ぃ、そんなんじゃ生きてけないぞ! 今日は久しぶりに付き合ってもらうからね!」

「げっ、まじかよ」


 中学二年の頃、とある事がきっかけで小春は柔道部へと転部。柔道が性に合っていたのか、初めて半年も経つ頃には全国大会へと出場していた。

 もちろん、高校に入学した今でも柔道は続けており俺は時々小春のサンドバッグ──相手をしている。


 俺は手を抜いてはいないし、負けるつもりもない。

 ただ俺と小春は柔道経験者と未経験者と言う圧倒的な差があるわけで、気持ちだけでどうこう出来るわけではない。

 俺は全敗している。


 ただ、それはそれで受け身の練習になっているし小春は小春で技の練習になっているためそう悪いわけでもない。

 一つ懸念点を挙げるとすればそれは俺のメンタルが削られていくことだろう。


「今日はどのくらいするんだ?」

「ん〜、午後から予定もあるしな……二時間くらいかな」

「了解、準備するから先行っとけ」

「ほ〜い」


 俺と小春がいつも練習に使っているのは近くにある道場。

 父さんの知り合いでやる気に満ち満ちている小春を気に入った様で、朝練の場所として快く提供してくれている。


 俺も流れで柔道をやらないかと言われたが人を投げ飛ばすのは気が引けると言ったら、思いの外あっさりと引き下がってくれた。

 結局、小春の練習に付き合うために柔道着を着ることにはなるが妹のためと思い日々投げ飛ばされている。


 楓にはMなのではないかと心配されているが、断じてMではない。ましてや、シスコンでもない。小春がどう思っているかは分からないが俺としてはただ仲のいい兄妹というだけだ。


「しっかし、我が妹は色恋沙汰の一つもないものかねぇ」


 高校に入ってから告白の一回や二回されるかとは思っていたが、今のところそう言った話は聞いていない。


 俺と違って小春は可愛い顔をしているし、楓ほどではないが胸もある。性格もいいし、好き嫌いもない。

 いわゆる優良物件と言うやつだ。


 しかし、そんか小春だが告白されたという噂すら聞いた事がない。それなのに学校では偶に話題に出るほど男子に人気がある。


「ただ俺が聞いた事ないだけなのか、本当にモテてないのか……いやそれはないか」


 シスコンではないが可愛い妹に告白してこない男子はもはや男子ではないのではないかと思う。もう一度いうが、決してシスコンではない。


 まぁそれぞれ人の好みと言うのがあるのは知っているし、俺だって好みの一つや二つはある。だが、そこまで浮いた話がないと不安になってくるものだ。


「行ってきま〜す」


 まだ寝ているであろう父さんを起こさない様そこまで大きな声を出さずに家を出る。道場はここから五分もかからないほどの距離にあり、気軽に通える。


 道場に向かうとこの道場を開いている父さんの友人である小町二郎さんが出迎えてくれた。


「よう陽仁、今日は小春ちゃんの相手か?」

「おはようございます二郎さん。そうですね、あさから叩き起こされまして」

「はっはっは! 小春ちゃんは朝から元気だなぁ!」


 豪快に笑う二郎さんと話していると、道場の奥から既に道着に着替えている小春が姿を現した。


「お兄ぃ、遅い!」

「悪かった。色々準備しててな」

「準備って、ただお兄ぃの準備が毎回遅いだけでしょ」

「返す言葉もございません」


 本当に小春には頭が上がらない。というかこの状況、どちらが年上なのかわからなくなって来た。いや、明らかに小春の方が年上だろこれ。


「? お兄ぃ、何で落ち込んでるの?」

「いや、お兄ぃは己の不甲斐なさに落ち込んでるんだ……気にしないでくれ」

「そう? お兄ぃはしっかりしてると思うけどな〜」

「ううっ、小春っ! 流石我が妹っ!」


 その優しさは素直に嬉しいが励まされる事でより惨めな気持ちになって来ているなんて口が裂けても言えない。

 全く、小春はいい子すぎるからそこらへんの変な人に引っかからないからお兄ぃは心配です。


 小春に急かされながら道着に着替え、畳の上で小春と対峙する。先程まではあんなに太陽の様な笑顔を浮かべていたにも関わらず、戦闘モードになった途端に目つきが鋭くなっている。

 これがいわゆるギャップ萌えってやつだね。


「それじゃあ行くよ、お兄ぃ」

「なるべく手加減をして欲しい……です」


 * * * *


 朝練を開始して約二時間、俺は道場のど真ん中で大の字になり天井を見上げていた。


「もう無理、動けない」

「お兄ぃ体力無さすぎ。もうちょっと走るとかしないの?」

「ふっ、甘いな小春。インドア派に運動するなんて選択肢ないのさ!」


 前々から運動しようと言って結局はしていない。なんてことはざらで、仮に一度取り組んだとしても三日坊主で終わってしまう。

 そんな訳で基本運動するのは小春の朝練に付き合う時くらいになる訳だ。


「でも、お兄ぃ成長して来てるね。そう簡単に投げ飛ばされなくなって来たと言うか」

「そりゃ流石に定期的に相手してれば嫌でもな。まぁ攻めはからっきしだけど」


 結局、俺は小春のサンドバッグもとい技の練習台と成り果てた。初めこそ取っ組み合いをしながら小春の隙を狙っていたが、インドアで体力のない俺は案の定速攻で体力が尽きてしまいその後はお察しの通りだ。


「それにしてもまた一段と上手くなったな。動きに無駄がなくなって来たと言うか、迷いがなくなったと言うか」

「えへへ〜、お兄ぃにサンドバッグ──相手になってもらってるんだし頑張らないとね!」

「妹よ、兄はサンドバッグじゃないぞ?」


 サンドバッグに等しい存在ではあるし、自分自身はサンドバッグだと思っているが小春からもサンドバッグ扱いされるとそろそろこころが折れる。

 そのお陰で小春が強くなったと考えると、俺も少しは鼻が高いがあくまでも技の練習台。小春は実力があって上に行っているし『俺のおかげ!』と言う感覚は一切ない。


「さて、朝練で腹減っただろ? ほら、食いな」

「お兄ぃのお握り! やったー!」

「ただの塩おにぎりなのに、うまそうに食べるよな」

「だって、お兄ぃが作ってくれたんでしょ? お兄ぃが作ってくれたものはなんでも美味しいよ!」


 笑顔でおにぎりを頬張る小春を見ながら、家から持って来たお茶を飲んで一息つく。

 守りたい、この笑顔。


「そういや最近俺のクラスに天宮寺って言ってイケメンが転校して来たんだけどさ、楓といい雰囲気になりそうなんだよね」

「え?! お兄ぃそれやばくない?!」

「? やばいって何が?」

「楓ちゃん取られちゃうよ!」

「取られるって、別に俺たちの物でもないだろ?」

「あぁ、もう! お兄ぃの馬鹿!」

「突然の罵倒?!」


 え? なんで小春が怒ってるの? なんかやばいこと言ったっけ? そもそも楓が俺たちの物じゃないのは当たり前だとして、その前か? いや、何も思い浮かばない。

 じゃあなんで小春が怒ってるんだ? ますます分からん。


 理由を聞こうにも、小春は残りのおにぎりを頬張るとそのまま更衣室の中へと消えていってしまった。


「小春のやつ、なんだったんだ?」


 結局、その日小春が怒っていた理由はいくら考えても分からず謎は闇の中へと葬られたのだった。

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