第57話 一人雇えば
「では、妹さんを雇いましょう」
「ありがとうございます」
大きく頭を下げるイルに、
「い、嫌よ。兄さんも一緒に」
涙をいっぱいにためて、イルに懇願するネル。
「ネル。この方々のいうお店は、見たことがあるよ。最近改修しているところだと思う。職員さんの対応を見ても、信頼していいと思う。そりゃ、今言っているほど良い条件じゃないかもしれないが、一生懸命働けば、食うには困らないだろう。しっかり働けよ」
最後にふと悲しそうな顔をした。
それを見たネルが、「嫌、嫌」と首を振るが、イルはまっすぐとエミリーを見て、「お願いします」と頭を下げる。
セレーナが、扉から顔だけだし職員に声をかけ、契約書をもらうと、エミリーはサラサラと条件を書き込んでいく。
給金や、仕事内容など、今決められることだけだ。
「住む場所など、他に希望があったら少しずつ決めていきましょう。これにサインをお願いします」
ネルの前に契約書を差し出しても、首を振るだけでペンをもとうとしない。
「ネル。良い条件だと思うよ。ここに名前を書くんだ」
イルが説得しても、頑なに首を振るばかり。
「今回だけ特別に、お兄様のサインでもよしとしましょう」
二人が兄弟だと知ったときに、驚きはなかった。だから似ているのかと、納得したほどだ。
貴族制度がなくなった今でも、娘の仕事や結婚は父親に委ねられている家はある。今回はその制度を使ったのだ。父親ではないが、年長の男性のサインで契約する。
イルは、ペンを手にもつと、迷いなくサインをした。
「あぁ~!!」
ネルが悲痛な声をあげる。
契約書を受けとると、エミリーが確認する。
「これで、ネルさんは、うちの従業員です。これからよろしくお願いしますね」
そういうと、ネルのほうに体ごと向き直り、真剣な表情をした。
「ところで、ネルさん。うちの従業員になったのだから、困り事はなんでも相談してくださいね。助けられることでも、相談してくれなければ、こちらは動けないわ。お金のことでも、家族のことでも。手助けできない問題もあるかもしれませんが、一人で悩むよりは随分と良いと思うわ。私も、従業員が沈んだ顔をしているのは嫌だから、全力でサポートするつもりよ」
エミリーがゆっくりと話す言葉に、優しい気持ちがあるのを感じ取ったのか、ネルの悲しそうな表情は徐々に溶けていき、すがるように声をあげた。
「ご主人様!! 兄さんを助けてください!!」
「エミリーよ。それで、どうしたのかしら?」
イルが、「ネル!」と止めるが、一度開いた口は、止められない。
「うちには、借金があって、死んだ母が、
「あら、そういうこと~。ちなみにいくらなのかしら?」
「えっと、うんと~」
ネルはしっかりとした金額を知らないらしい。
「イルさん。打ち明けてしまった方がいいのではありませんか? 貴方たちが職を探していたということは、ギリギリ返せる金額、まぁ、多く見積もっても身売りを強要されるほどの金額ではなかったということですから」
イルが肩を落とし、ポツポツと話し出した。
「最初は大きな金額ではなかったようなんです。母が急死し、一年ほどしたとき、取り立て屋が家にきて、初めて借金があることに気がつきました」
そのときには年収の半分くらいだったそうだ。
まだ成人していない妹を養いながら、大きな金額を返済できるわけもなく、半年後の更新のときには増えてしまった。
まさか、半年借りるために、倍の金額返さなければならないような、とんでもない契約だとは思わなかったからだ。
そのまま、借金は増え続けてしまう。
エミリーの提示した給金が安いとは思わないが、全てつぎ込んでも利子すら払いきれないところまできてしまった。
「その金額だったら、セレーナよりはちょっと多いわね」
なぜ、把握されているのかと驚くが、
「一人当たりでは、私より少ないですよ」
と、軽い調子で返す。
その一言に、イルもネルも、ポカンと口を開けている。
多少の借金で、どうこう言う雇い主ではないことは伝わっただろう。
「あぁ、誤解の無いように一応言っておきますが、私の借金は、エミリー様に立て替えていただいておりません」
「私は立て替えるって言ったのよ~」
「私のは、悪徳ではありません!!」
エミリーの言葉に、ネルの顔に希望が宿った。
「そうなのよね~。でもこっちは悪徳よね~」
「そうですね。最悪の部類ではないですか?」
セレーナの言葉に、エミリーは怒りをにじませた。
「では、私が肩代わりしましょう。利子は、無利子でも構わないのよ。感謝の気持ちくらいあれば。稼ぎがよければ、ボーナスも出すわ。兄弟なら二人で住めば、生活費もそこまでかからないと思うし、少しずつ返してくれればいいわ。だから、イルさんもうちで働きませんか?」
しばらく沈黙が続いた。
「破格の条件ではありませんか?」
イルが呆然としたまま呟く。
「あら? 借金はちゃんと返してと言っているのよ。全然破格じゃないわよ」
エミリーの艶やかな微笑みに、その場にいる全員が見せられてしまった。
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