第32話 頼み事

「使えない!!」

 男がテーブルにジョッキを叩きつけた。中に入っていた琥珀色の液体が跳び跳ねる。

「まさか、こちらの動きがばれているなんてことはありませんよね?」

 向かいに座る男は、グラスには手を伸ばさず腕を組んだままだ。

「それはない! マグダレーナは唆しただけで、こちらの名前は伝えていない。あの女は王妃のときから、自分以外に興味はないからな。唆した相手など眼中に無いだろう」

 イライラとした様子で、ジョッキを呷る。

「それならいいんですが、危なくなりそうなら、引き上げさせてもらいますよ」

「まぁ、そういうなよ。そちらにも旨味があるんだろ?」

「そりゃあね。ただ、旨味よりもリスクが上回ったら引かせてもらいます」

「ふん。小心者だな」

 テーブルの上を、人差し指でトントンと激しくたたく。

「鉄壁の守りを崩してくれないと、どうにもならないんですよ。内乱でも何でもいいんで、内部から崩してください」

「そうすれば、なんとかなるのか?」

 テーブルをたたいていた指の動きが止まる。

「そうですね。貴方に頼むだけでは心許ないので、良いものを取り寄せておきますね。しっかり働いてくださいね。上手く行けば、貴方は大領地の領主ですよ」

「そ、そうだな。大領地か……」

 残された男はジョッキに口をつけ、満足げに口角を上げた。





 その日は朝から屋敷中が浮き足立っていた。使用人達の忙しそうなのは、先触れが届いた二日前からか。

 当主のアランにとっては顔馴染み程度の人物でも、使用人にとっては雲の上の人物だ。

「ようこそいらっしゃいました」

 アラン自ら出迎えて、エリントン家で一番豪華な応接室に通す。

 セレーナはいつも通り、侍女として部屋にはいった。来客の後ろに控えて立っているマークと目が合う。ついつい目元が緩む。


──あら? ウィル様もいるのね。


「あぁ、久しぶりだね。アラン、君は、外交とか興味ないかい?」

 目を剥いたアランだが、すぐに冷静さを取り戻した。

「お言葉ですが、商人として忙しくしておりますので。国王陛下には、優秀な外交官が付いているではありませんか」

「それはね~。君がいれば百人力だと思ったんだけどね~」

「私は、商人として国を支えているつもりですが……」

「わかってるさ~。君んとこの小麦の出来はいいし、変わった野菜も取り扱っているよね」

 出されたお茶やお菓子に検査の魔法を掛けていく。エリントン家が用意しているものに毒など入りようがないのだが、念には念をだ。

「最近は品種改良もうまくいっているので」

「それは、心強い。この前のグラスコートとの話し合いだがな、国としての輸出の量はそう変わらないことが決まったよ。ただ、今年は干ばつがひどいらしい。あっちで反乱を起こされてもいけないし、あまり足元を見ずに取引してもらうと助かるよ」

 グラスコートとは陸続きで国境を超えやすい。反乱を起こしたものがエルグランドに流れ込んでくる危険があった。

「大丈夫です。末長いお付き合いのためには、そんな欲は出しませんよ」

 セレーナは必死で考えていた。その程度の話なら、手紙や使いで済むはずだ。それか、エリントン商会の誰かを呼び出せば済む。


──何故こんなに多くの従者や護衛を引き連れて、わざわざエリントン家に来たのかしら?


「ところで、本題なんだがな、グラスコートの国王に、この種を育ててくれないかと言われてな。どうも、あっちでは気候が合わないらしい。あいつも、ペイズハント帝国で手に入れたみたいなんだが、アランには色々な伝手があるだろ? 良いものだって貰ったみたいだから、育てて来年に持っていってやろうかと思ってだな。もちろん育たないかもしれないし、やってみるだけで構わんぞ」

「はぁ、良いものですか……。情報が少ないですね」

 アランが紙の上に種を出した。小指の先よりは少し小さいコロコロとした種だった。

 セレーナは、つい癖で検査の魔法を掛ける。


──あら?


 違和感がある。種が黒っぽいので、毒を示す警告色が見にくい。種の内側に毒があった場合、殻があるのも見にくい理由だ。


──少しだけ、警告色が出ている気がするんだけれど……。気のせいかしら?種だけ毒があって、育ったものは毒なしってことも考えられるかしら。たくさん食べれば毒だけど、使い方では薬になるのかしら? えぇ~っと、今、指摘するべき? それとも後でアラン様にこっそりと伝えるべき?


 微動だにせずに、種を凝視し続けるセレーナの様子に気がついたマークは、ウィルを肘で小突く。


──やっぱり警戒色は出ていると思うのよね。殻が邪魔で、猛毒なのかちょっとした毒なのかは判断が付かないわ。あぁ~!! 本当にどうしましょう!?


「国王様、発言をお許しください」

 護衛であるウィルが声をかけたことに数人驚いたようだが、セレーナには見えていない。

「ウィルよ。お父様と呼びしなさいといっただろ?」

 これには数人どころか、半分ほどが驚き、半分ほどが呆れた。

「国王様、仕事中です。そのような呼び方はプライベートなときだけでよろしいかと」

 この状況で驚かなかったのは、マークと国王専属の騎士だけだが、それすらもセレーナは気がつかない。


──やっぱり、おかしいわ。警告色は確定だとしても、薬かどうかがわからない。


「その種を一度調べた方がいいかと」

「そうかい? お友達から貰ったものだけど、ウィルか言うのならそうしようかね」

「セレーナさん。潰してみた方がわかりやすいですか?」

「はっ!!」

 まさか、話しかけられるとは思っていなかったので、検査の魔法と考え事に没頭していたのだ。

「セレーナさんは、これのことを考えていたんですよね? 潰して中身を出しましょう」

「よろしいのですか?」

 アランの指示で木槌を持って来させると、紙の上でたたき潰された。

 中身は、明らかな警戒色。この色であれば、猛毒か精神に作用する毒か。

「も、申し訳ございません!!!」

 国王の従者が、土下座でもしそうなくらい低頭している。

 彼が、国王の口にするものに検査の魔法を掛ける担当だったのだろう。

 従者があまりに平身低頭するので、訝しげにセレーナに問いかける。

「どういうことだ?」

「猛毒、もしくは精神に作用する毒です。中身だけに毒があったので、検査の魔法を掛けてもはっきりはわかりませんでした。自信が持てず、すぐにお伝えできなくて申し訳ありません」

 本当に微妙な警告色だったのだ。口に入れるものではないし、気がつかなくても仕方がない。

「まぁ、よい。グラスコートの国王には手紙を書いて、手に入れた場所などの詳細を聞くとしよう。まぁ、他国のことだ。はっきりしないかもしれないがな」

 猛毒という言葉に、アランがそっと残りの種を袋に戻して、国王に返した。

「慎重に育ててみることもできますが、かなり厳重にしないと持ち出される危険があります。国内に広まったら一大事でしょうから、グラスコート国王の返事を待ってからでも遅くはないでしょう」

 国王は納得したようだ。この場では従者も咎められなかった。

「ところで、ウィル坊。ここに座りなさい」

 目を丸くして、国王の隣に座る。

「ここからは、仕事ではなく、プライベートだ。アラン、うちのウィルと、そなたの娘がちょうど良い歳だと思うのだが、どうだろうか?」

「い!?」

 ウィルは、目が飛び出るのではないかと言うくらい驚き、変な声をあげた。

「何を驚いているんだ? そなた、いつまでも結婚しないつもりではないだろうな? 恋人の一人や二人、いてもおかしくない歳なのに、まったく浮わついた噂がないのはどうかと思うぞ。今は、皇太子の補佐ができるように育てている途中だが、まぁ、筋はいいと思うぞ。専属護衛もダリウスの息子だし、心強いだろ? 結婚を前提に何度か会って、相性が悪いわけではなければ、話を進めていきたいんだが」

 ウィルは、ものすごく文句をいいたそうな顔をしているが、大勢の前ではいくら父親でも国王に文句は言えないのだろう。

 セレーナは、少しだけ、本当に少しだけだが、笑ってしまいそうになった。


──ウィル様って、どう転んでも、エミリー様と婚約って話になるのね。


 頬は少し赤いのに、眉間にシワを寄せて斜め上を睨み付けているウィルに、アランは笑った。

「はは。ウィル様は、うちに何度も来ていますよ。今までは、母親の言いつけで通っていたのですが、これからは自分の意思で来ればいいのではないですか。エミリーも喜びますし」

 「エミリーも喜ぶ」の言葉に、ウィルがわかりやすくアランを見つめたので、アランはまた小さく吹き出した。

「国王様、うちはもう貴族ではありません。きっかけは親でも、最終的に決めるのは本人です。エミリーが良いのであれば、構いませんよ」

「おっ! ということは、ウィル坊が落とせばいいんだよ。ウィル坊、仕事帰りには顔を出して、毎日甘いこ・・・」

「わぁ~!! 父さん、子供ではないのでそこまで教えていただかなくても大丈夫です!」

「そうかい?ウィル坊は、まだ子供なのに~」


──国王様って、こんなお方だったのね……。


 チラリと見れば、マークが笑いを堪えて、肩を震わせていた。

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