第14話 画家志望の男

 彼は、小さい頃から絵を描くのが好きだった。

 しかし、あまり裕福ではないトマスの家では、高価な画材は、なかなか買ってもらえない。

 紙がないときは、拾ってきた棒で地面に絵を描いた。雑草の花や、庭の植木、転がっている石などなんでも描いた。

 年に数回、親が奮発して紙を買ってくれたときには、ずっと同じ紙に向かっていた。彼の絵は、繊細で緻密ながら、自然の雄大さが伝わってくるようであった。

 成人する少し前から、本格的に画家になることを目指した。始めて描いた絵に値段がついたときは、感慨深いものがあった。

 しかし、師匠もいなく人脈もないトマスが見つけた画廊は、あまり評判のよい画廊ではなかった。それから何度、トマスが絵を持ち込んでも、平均月給にも満たない値段でしか買ってくれなかった。

「お前の絵がそんなに高いと思うか?」

 トマスが一月ひとつき以上の時間をかけて描いた絵だ。画材の費用も考えれば、到底暮らしていけるような額ではなかった。

 トマスは一年ほど粘った末、画家の道は諦めざるを得なかった。


 その後選んだのが、金属加工の道だ。

 豪邸を取り囲む柵や門には、綺麗な曲線でできたものがある。蔦の絡まっているようなデザインの門に見惚れてしまったこともある。あんなに綺麗なものが作れたら、そう思った。

 通い始めた近所の工房は、中規模の工房であったが、割安な値段で大量に注文を受ける工房であった。

 同じ形のものをいくつも作らなければならない。少しくらいのズレは構わないから、早くたくさん作れというような工房であった。

 トマスが加工の仕方がわからなくても教えてくれない。それなのに、仕事が遅いと殴られる。それでも力任せに加工できるようになれば、『遅い』『汚い』などと笑われて、殴られて。

 ここも自分の居場所ではないと思ったが、お金がなければ生活をしていけない。仕事をやめることも出来なかった。




 アランがその絵を見つけたのは、友人宅の応接間であった。

 木々の間から差し込む木漏れ日と、枝葉を広げるたくさんの木々。苔むした地面に、獣道が奥へと続く。どこまでも、どこまでも、森が続いていく。軽い気持ちで立ち入ってはいけない神聖さがあった。

 アランはトマスのサインを見つけ、画家を紹介して欲しいと頼んだが、たくさんの人の手を渡ってきた作品で画家を知っているわけではないと言う。

 買った人を逆に辿り、画家を見つけたときには、トマスは絵を描くのをやめていた。

 金属加工の工房に入ったらしい。

 物作りの世界に進んだのなら、彼のやりたいようにやらせた方がいいのではと思いながら工房について調べていると、トマスの働いている工房は、美術品などを扱う工房ではないらしい。魔道具の部品などを、大量に安く作ってくれるが、質が今一だと。

 その頃、エリントン家で事件が起きて、そのままになってしまっていたのだが、良い機会だから声を掛けてみることにした。

 アランの右腕であるイーリスに行かせたのは、確実にトマスを引き抜いてきて欲しかったからだ。多少お金がかかっても構わない。その点、商会のトップで働くイーリスであれば、何を使ってでも上手くやるだろう。




 セレーナは、夕方エリントン家に飛び込んだ。ちょうど仕事から帰ってきたマークも一緒だ。騎士の制服姿のマークを見て、何人かは目を見開いたが、セレーナが居るとわかるとみな自分の仕事に戻った。

「トマスさん! あっ! エミリー様。何があったのですか?」

 エミリーと共に居るウィルの姿に、マークが何か言いたげにモゴモゴ言っているが、今はそれどころではない。

 泣き腫らした目で、悔しそうに口を引き結んだトマスの代わりにエミリーが答えた。

「トマスさんの親方が、トマスさんを取り戻そうと難題を吹っ掛けてきたのよ」

 トマスは、『取り返す』なんてものではなく、ただの意地悪だと思っているが、口を挟む余裕はなかった。

「商品の注文も2件入っているわ」

 他の注文の期日もあるので、かなりギリギリの日程である。

 エミリーは、間に合わない場合、注文してくれた客の分を遅らせるしかないと思っていた。事実を伝えて謝れば、エリントン商会の評判にも多少の傷はつくが、大きく評判を落とすのは親方の工房の方である。

「ずびまぜん」

 酷い声の出所を見れば、トマスが必死で涙を拭っている。

「大丈夫ですよ。私も手伝います」

 品物さえ出来上がれば、エミリーが何とかすると言う。親方が来る日は、近くにイーリスも待機してくれる。「うちの権力を舐めちゃいけないわ」と小悪魔のように微笑んだ。

 セレーナはトマスのための夕飯を食堂に取りに行く。落ち着くまで待とうと思ったのだ。デザートまでつけてもらって、トマスの作業場に戻ると、少しは落ち着いた様子だった。


 エミリーに頼み、トマスが食事をしている間、ウィルとマークに話す時間を作ってもらった。二人は今の状況を確認しあった。

「母さんがこのまま暴走すると、共犯者として罪になるかもしれない」

 ウィルが悲しそうにいう。母の説得はすでに試みたが効果はなかったらしい。

 ウィルとしては、王族に戻りたいわけでも、貴族社会に戻したいわけでもないという。今のままの身分で十分だと。

 マークはしばらく考えていた。

「状況がわからなければ、助けることが出来ません。手紙でいいから逐一俺に報告してください。それから、相棒に俺を指定してもらえますか?」


 そんな話を聞いていると、トマスが食事を終えたようだ。

「すみません。僕だけ食べてしまって」

「気にしないで、ねっ。それで、セレーナさん。何か作戦があるのよね?」

「作戦ってほどではないのです」

 期待の籠った顔をしていたトマスは、ガックリと肩を落とした。

「皆さんには、本当に感謝しています。こんな僕に優しくしてくれて……。僕は、魔力は少ないし、鈍臭いし……。でも、皆さんには迷惑をかけたくありません。寝ずに作って、それでも無理なら、工房に戻ります……」

「それについては、謝らせてください。本当にごめんなさい。本当はもっと早くにお伝えしなければならなかったんです」

 セレーナが、深々と頭を下げる。

「な、な、な、な、何でセレーナさんが謝るんですか!?」

「まとまった時間が取れないからというのを理由に、後回しにしてしまったのですが、魔法理論を理解できれば、普通に金属加工が出来ますよ」

 微笑むセレーナに、トマスの顔に驚きと笑顔が広がっていく。

「いや!? でも! だって!? あのっ! 」

 まだ少し信じられない様子で、モゴモゴと言葉をつまらせている。

「少し、お時間いただいてもよろしいですか?」

「は、はい!」

 トマスは、ビシッと姿勢を正した。

 エミリーも説明を聞いていくと言う。

「この金属の形を変えようと思うと、ついつい押すようにイメージし勝ちですが、それだと回りの空気を動かしますし、金属は固いのでなかなか押すことは出来ません。指で押しても形は変わらないでしょう。それと同じです。魔力なので少しは動きますが、時間と魔力がたくさん必要です」

 不思議そうに首をかしげながら、それでも一生懸命頷きながら聞いてくれている。

「全ての物は小さな粒から出来ています。物を加工するときにはその粒に働きかけて、動かすようにイメージします。この鋼は、鉄が主成分の合金です。鉄に働きかけるようにすれば、うまく行くと思いますよ。こんな風に手を翳して、魔力を込めます。これを・・・」

 手振り身振りを交えて優しく説明していく。トマスは真剣に聞き入っていた。




 すっかり日も暮れてしまい、エミリーは「実践しているところも見せてね」といい残して、ウィルと共に住居区域に戻った。ウィルを帰さなければならないし、出来上がっているはずの料理も冷めてしまっただろう。


 トマスは、鋼に向き合って大きく深呼吸した。真剣な顔で、セレーナに言われたとおりに魔力を動かしてみる。

 今までよりも形の変わる速度が早い。

「もう少し、粒を転がすような感覚です」

「う~ん。こうですか?」

 鋼が生きているように、自然に形を変える。

「そうです!そうです!」

 スゥーっと延びて一本の枝となった。

 他にも自分が実践しているコツを説明し、魔力回復のためにしっかり休むよう念を押してから帰宅した。


 

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