紅葉

カッパ

第1話

紅葉


藤沢裕貴が行方不明になってから2日が過ぎた。捜査は一向に進まない。8月も下旬になるいうのにむし暑さの残る部屋の中で白峰は最後に風呂に入ったのはいつだったかなと考えていた。こんなんだから。30過ぎにもなるというのに独り身なのでは無いか。風呂のせいか。ということは職業のせいか。

「おい、堀田。お前結婚考えるような相手、いるか。」

「居るわけないじゃないですか。こんな職業で。風呂にも入れないんすから。」

後輩刑事も同意見のようだった。

「この狭い部屋で先輩と防犯メラの映像との人生なんて...あたっ」

頭をはたいてやった。


藤沢裕貴。大学生4年生。遺書のようなものもなく、大学での人間関係に問題もないと思われた。 当然、事件の可能性が視野に入ってくる。事件で2日経過ともなると身代金の要求があってもおかしくないと思うが。実家暮らしだった藤沢はその日、病院に行くと言って出掛けて言ったという。家出の線も薄いと思われた。実際、病院の防犯カメラには藤沢と思われる人物が病院に入っていく様子が映っていた。時間帯も家族の証言と一致していた。だが、病院から出てくる映像がないのだ。病院の職員はその日、藤沢は来ていない、いや、少なくとも受付は通らなかったと言う。白峰は手帳に黒丸を2つ加えた。

・受付を通らなかったのだとしたらその理由は。

・本当は受付を通っていたとしたら病院側が嘘をつくどんな理由が一大学生にあるというのか。

それから2日後、病院で藤沢と会ったという環境科学部の斎藤志織という人物が現れた。

「裕貴くん、あの日は特にいつもと変わった様子はありませんでした。だから自殺とかってことは無いと思います....。誘拐ですか。裕貴くん、生きていますよね!?」

白峰は堀田に目配せし、藤沢の人物像の方に話を向けるよう促した。

「裕貴君は植物が好きで...。どの講座も一番前の席に座って、この学部の誰よりも熱心に話を聞いていました。研究室の田中教授とも、常に人間と自然の共生を話題にして話していました。」

その後も気になる発言は無かったたが、お礼と電話番号を渡し、他にも何か思い出したことがあったら電話を下さい、とお決まりのセリフを口にしてその場を後にした。やはり藤沢はこの病院に来ている。病院の中にいる間に何があったのか。職員との間に何かあったか。病院内の聞き込みも行わなければならないが、まずは藤沢のスマホに入っていた暗号が掛けられている3つのファイルを開けることが優先だと思われた。その日のうちに2つのファイルが開けられた。1つ目のファイルには植物研究の予定が書かれ、2つ目のファイルも同様の内容だった。


藤沢が姿を消してから5日。

白峰はまだ風呂に入れていない。堀田も同様だろう。防犯カメラ映像の反復とファイルの解析で家に帰る暇もない。

「白峰さん。遂に3つ目のファイルが開きます。」

「そうか。どんなヒントが隠れているか楽しみだな。」

22時を回った頃、今日一日の成果が現れようとしていた。堀田と白峰は全く期待していなかったが、ローディング中のパソコンの画面の前で待った。



田中教授へ。

持続可能な社会のための人間の生き方について。



卒業論文か。田中教授宛に書かれたファイルにはこのさきも暗号を入力しなければいけなくなっており、見られるのはファイル名までだった。


「これ、田中教授とやらへ直接持って行ってみませんか。」

田中教授宛なのだから暗号を知っているのでは。そう考えさっそく田中教授に連絡し、明日の14時、大学近くの、新しい木の下に新しいベンチが設置されたという公園で話を聞くことになった。


その日の夜、白峰は久しぶりに風呂に入った。生き返ったような心地がした。


13時30に公園に着いた2人は田中の指定した場所がすぐに分かった。公園には木が1本しか無かったからだ。その基にある紅いベンチは日に当たっているせいか生ぬるい。20分後、この公園に3人目の人間が現れた。あの白髪の老人が田中教授らしい。

「おい、堀田。」

「分かってます。」

田中の顔には見覚えがあった。藤沢が姿を消した前日に病院を訪れる様子が防犯カメラに映っていたのだ。

「お待たせしてすみません。田中です。藤沢のことで何か分かりましたでしょうか。」

ファイルは探りを入れてから見せることにした。

「いえ、まだ捜査中です。一刻も早く藤沢君を助けられるよう警察で動いています。」

堀田はお決まりのセリフを口にした。

「田中さんは藤沢君と一緒に研究を行っていたと聞いています。研究内容をお伺いしても?」

「藤沢くんとは、自然と人間の、具体的に言うと植物と人間の共生についての研究を行っていました。地球には人類が多すぎる。食料不足が起き、土地の開拓で木々が伐採され、地球温暖化も急激に進んでいる。所謂、持続可能な社会を目指した研究ですね。藤沢くんも同じ考えだったので議論や研究がとても楽しかったんです。そして何より彼は植物を愛していました。狂気的な程。」

「藤沢が植物に興味を持ったきっかけはなんだったんだろう」堀田が呟いた。

「私も気になって聞いてみたことがあります。藤沢くんは紅葉が綺麗だと思えないと答えました。赤、黄、緑、茶。あの色達が混ざり合った風景を綺麗だと捉えられる感性が自分には備わっていない、と。黄々としたイチョウ、赤々としたモミジ、1本1本で見ると綺麗だと思える。モミジはずっと赤くいればいいのにと思う程綺麗だと。だから、自分は違う色の木と一緒に並んで綺麗だと言われるより、寂しくても一本だけで立つ木のように生きていきたいと言っていました。私は彼の考えに感銘を受けました。だから彼の望むように生きられるよう、協力してきた。」


木の下の紅いベンチに座る白峰と田中と、立って話を聞く堀田の足元の間に紅い葉ははらりと降った。紅葉。もうそんな時期か。


「藤沢は姿を消す前、S病院に入っていくのが確認されています。田中さんはその病院をご存知ですか。」

「はい。S病院に知り合いが働いています。中島っていうんですけどね。大学の同級生で、植物サークルで知り合いました。彼も植物が好きでね。リラックス効果がとか綺麗な空気を患者にとかなんとか理由を見つけては、病院内に植物を運びこもうとしているのを何度見たことか。病院から許可は下りないようですが。」

納得がいった。藤沢が姿を消した次の日、大きな木が病院から運び出される映像が防犯カメラに映っていた。印象的だったので白峰の頭の中にその光景が残っていた。病院に持ち込んではみたものの許可が下りなかったのだろう。

「彼は医学部でしたが考え方が似ていまして。今でも良い話し相手で、彼の休憩時間と私の空き時間が重なると時々ふらっと寄ったりするんです。」

「最後にS病院に立ち寄ったのはいつの事ですか。」

「藤沢くんがいなくなる前日、ですかね。」

「その日もそのお知り合いと?」

「はい。その日の彼はなんだか興奮しているように感じました。理由は私には分かりません。手術が上手くいったりしたんじゃないでしょうか。」

そろそろファイルを出してみるか。白峰は堀田に目で指示した。

「実は今日、こうしてお時間を取らせていただいているのにはお話を聞くことと、もう1つ理由がありまして。」

堀田はパソコンを取りだし、ファイル名を田中に見せた。


「田中さんに向けたファイルのようです。このファイルには暗号がかかっているのですが、暗号、ご存知ですか。」

田中は驚いたような顔をした。

「いいえ。このファイルの存在自体知りませんでした。」

嘘はついていないようだった。

「そうですか。では今日はこれで。他にも藤沢について何か思い出したことや不信なことがあったら電話を下さい。」と電話番号を書いた紙を渡し、お決まりのセリフを口にして田中と別れた。



田中はS病院に向かっていた。あのファイル名を見ていてもたってもいられなくなったのだ。

中島は何か知っている。

あの日興奮していた様子の中島。

次の日病院に入ったまま出てこない藤沢。

そしてあのファイル名。

私は興奮していた。

病院に入るとすぐに中島は見つかった。中島に表情はなかった。まずは藤沢の無事を確認したかった。

「生きているのか。」

「あぁ。」

何も読み取れない表情のまま、中島は私の近くまでツカツカと歩いてきた。私のポケットに何か入れたのが分かった。手紙か。藤沢からのものであることを確認して顔を上げた。中島は微笑んでいた。

「良かったな。」そう言って中島は仕事に戻った。


田中は先程まで座っていた赤いベンチまで戻り、手紙の内容を確認した。


1637372630484028101016484028



ただ、それだけだった。


先程もらった番号に電話をかけなければ。



堀田と白峰は車内でS病院で働いている中島について調べ始めていた。血管系手術の腕は彼の右に出るものはおらず、めったに笑わない人であるらしかった。大学、学部、サークル名などは田中の証言と一致した。直接話を聞きに行こうと車を走らせようとした時、電話が鳴った。



白峰と堀田は車を降り、紅いベンチに腰かける田中の元まで走った。

「暗号、分かったんですね。誰からの情報ですか。」

「自分で思い出しました。メモしてきたのでファイルを開かせてください。」

田中はなんとなく、中島の名前を出さなかった。


田中は数字を打ち込みファイルを開いた。

俯きながらパソコンの画面を見ていたが、白峰は田中が泣いていることに気が付いていた。悲しんでいるのか。遺書的な内容なのか。だとしたら既に藤沢は生きていないのか。

パソコンを閉じて顔を上げた田中を見て、白峰はぞっとした。その顔は悲しんでいる人のそれではなかった。喜びか。田中は達成感のようなものさえ感じさせる表情をしていた。その顔を見て藤沢が生きていると分かり田中が笑っているのだと思ったのだろう、堀田は田中に明るい声で聞いた。

「藤沢がどこにいるか分かったんですね。」

「そういうことになりますね。」

白峰は半ば強引にパソコンを取り上げた。

「見せて頂きますね」

有無を言わさない口調とその表情に堀田も画面を覗き込んだ。



田中教授へ。

持続可能な社会のための人間の生き方について。


藤沢裕貴


田中教授が大学にいらっしゃった頃、サークルで考えていたという計画を卒業研究として行うことに致しました。私は1年前から、教授が私との対話の中でヒントを与えて下さっていることに気が付きました。教授という立場であるために核心的なことは言えなかったのだろうと考えておりましたが、自分で気付き、動け、という指示を暗になさっていると考え、準備してきました。腕のいい協力者がいないとのことで断念されたようですが、幸運なことに私は協力者を見つけることが出来たので、実行しようと思います。田中教授の協力を得て成せるこの計画が、どうか後世に伝えられ、教授と語り合った自然との共生でこの地球が持続可能になるよう、このファイルに記録を残しておきます。


木部樹液を血液に変え通...心臓の役割を果たす外部装置....共生は脳のみとし導管と血管を....


2人は顔を上げた。後半は白峰と堀田には分からなかった。紅葉の葉がまたはらりと降った。


「藤沢は、今、どこに...」


生ぬるいベンチに座った田中は上を見上げた。






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