6.再び迷い込む先は、駅のホームか異世界か

 神久世駅まで直線距離にして約百メートル。

 立ち止まった律花はリュックを足元に降ろし、肩でゼイゼイと息をしていた。


「……もう、走れない」

「そんな走ってないだろ? よし、間に合うな」

「あきちゃんが、体力、ありすぎなの」


 律花の荷物をひょいっと持ち上げた俺は歩き出した。律花は、待ってと言いながら追いかけてきた律花は、しばらくすると、肩を寄せてひそひそと話しかけてきた。


「……さっきから、誰かついてきてる」

「振り向くな。そこの角を曲がれば駅はすぐだ」


 俺も気づいていた。

 焦る気持ちを押し込め、律花の手を掴んで曲がり角を見据えた。

 重たい足音が重なる。

 ついてくるのは誰なのか。いつから、何のために。

 考えても、全く分からなかった。ただ、だ。金髪の男ルドベキアが何かしてきたとも考えられる。

 狙いは、魔王オレなのか? 

 

 魔王であることを認めている訳ではない。

 ただ、魔王が目的なら、律花と離れれば彼女を守れるとも考えられる。だけど、もしも彼女が狙いだったら──

 手が握りしめられるのを感じ、ちらりと律花の様子を見ると、蒼白な横顔がそこにあった。手を握り返せば、こちらを振り返る。

 何が何でも、守らないと。そう、思わずにはいられなかった。

 

「走るぞ」

 

 小声で合図し、アスファルトを蹴った。

 律花の荒れた息遣いを聞きながら歩道橋を駆け上がり、改札を抜けた。それでもまだ安心できない。

 ホームを駆け抜け、入ってきた電車に飛び乗るとドアが閉ざされた。

 安堵の息をホッとついた直後だった。ビタンッと何かが叩きつけられる音がし、律花が小さな悲鳴を上げた。

 振り返ると、ドアの向こうには見知らぬ巨漢がいた。血走った目が俺たちを見ている。

 

 車内が騒然となり、ホームに現れた駅員によって巨漢は電車から引き離され、ほどなくして電車は動き出した。


「律花、塾の帰り、おばさん迎えに来れないか?」

「聞いてみる」


 震えながら小さく頷く律花がスマホを出す様子を見つめながら、俺は東嶽浜駅までの十三分の距離を、酷く長く感じていた。

 

 駅に着くと、同じ塾に通う顔見知りが何人かいた。


「変質者が出たって!」

「女の子を追いかけてたんでしょ?」

「最近多くね?」


 聞こえてきた会話に、律花は硬直して俺のシャツを掴んできた。

 

「よっ、ご両人!」


 大きな声が響き、振り返ると永春がいた。


「永春……よぉ」

「変質者が出たんだってさー」


 永春の言葉に、律花はどう答えたらいいか分からないようで、視線を逸らした。


「もしかして、追われてたの律花ちゃんだったりしてー」

「おい、永春!」


 ただの揶揄からかいに泣き出した律花は、その場に立ち止まった。

 追いかけられて、よっぽど怖かったんだろう。

 

「えっ……何、この空気? え、もしかして、マジ? ちょっ、何があったんだよ!」


 永春を睨みつけ、律花の手を引っ張った俺は階段を駆け降りた。

 後ろで俺を呼んでいたが、無視だ。

 俺だって、さっきのことをどう説明したら良いか分からないんだ。逃げるしか、ないだろう。

 

 改札を出た後、人通りの多い駅ビルの前を通ろうと、角を左に曲がったその時だ。

 目の前に、血走った眼をした巨漢が現れた。あいつだ。

 律花の悲鳴が響き渡った。


「くそっ、何なんだよ!」


 伸びてきた巨漢の手をよけ、俺は踵を返した。当然、律花の手を引っ張って。

 後ろで悲鳴や騒ぎ声が上がる。巨漢が追いかけてきたんだろう。


「あ、あきちゃん。どうしよ」

「電車に乗れば着いて来れない!」

「で、でも……」

「いいから走れ!」


 改札を目指して走ると、永春とすれ違った。


「とわ!? おい、塾はそっちじゃないぞ!」

「休む!」

「え? はぁ!?」

「また、明日な!」

 

 振り向かず、その言葉に願いを込めていたことを、永春は気付いただろうか。

 おそらく、律花は気付いている。

 今、俺たちは走らないといけない。逃げなければ、だるい受験も、中学生活も、何もかも失ってしまう気がした。そう、掴んでいるこの手も。

 人にぶつかりながら辿り着いた改札を抜けた。その時だ。


 視界が一瞬、ちかちかと明滅した。走り通しで眩暈を起こしたのか。

 軽く頭を振った俺は、四番乗り場を目指して再び走った。

 

「あきちゃん……」

「電車に乗れば、ついて来れねぇ!」

「……違う。ねぇ、何かおかしいよ」

「おかしいって──!?」


 律花に言われ、俺は気付いた。

 ホームに人がいない。乗客が歩いてないってレベルじゃなくて、売店の店員も駅員も、誰もいなかった。

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