5.魔法雑貨屋の主は魔法使い?

 スマホが壊れた訳でも、携帯会社の基地局に問題が起きた訳でもないなら、電波のないだ。

 律花が言うように、異世界に迷い込んだと考えるのが自然に思えてきた。

 だけど、そんなこと認めてなるものか。そんな、非現実的すぎる。

 動揺を隠すように男を睨みつけると、その薄い唇がつり上がった。


「この店には、厄介な魔法道具があるんですよ」

「魔法?」

なんて可愛い代物じゃないですよ」


 淡々と話す男の表情は、子どもを揶揄からかっている顔ではなかった。


「お客様が手にした本は、ある御方の記憶と魔力が封じられています」


 こつ然と、男の手の上に分厚い洋書が

 揺らめく陽炎かげろうに包まれている本は幻想的で、恐ろしいほど綺麗だ。

 革で作られた表紙には金の装飾と文字。古めかしい本は、俺が中で手にしたものだった。


「この本を開けられるのは、魔王様だけです」

「……魔王?」

「あなた様のことですよ、魔王様」


 陽炎に包まれた本は宙に浮かんだまま、俺の目の前に差し出された。


「さぁ、本を手にし、記憶を取り戻してください。皆、ご帰還を心待ちにしております」

「人違いだ。俺は常之原とわのはら暁斗あきと!」

「いいえ。あなた様は本を見つけた。そして、本もまた、魔王様を引き寄せている」

「意味分かんねぇこと言ってんじゃねぇ!」


 カッとなり、目の前に浮かぶ本を力任せに払い飛ばすと、落ちたその表紙が開いた。

 表紙を叩いた手の甲がじんじんと痛んでいる。


「相変わらず、血の気が多いご様子」

「意味分かんねぇって言ってんだよ、ルドベキア!」


 勢い任せに叫んで男を睨んだ俺は、横で「あきちゃん?」と声を震わせた律花を振り返った。


「何の話をしてる、の?」

「それは……」

 

 俺は、どうして、こんなに苛立ちを感じてカリカリしているんだ。なぜ、男をルドベキアと呼んだ。

 男の薄い唇が二ッとつり上がった。


「私の名を思い出してくださいましたね。光栄です。魔王様」

「違う……店の名だ! お前の名前を言ったわけじゃない!」

「おや、そうですか」


 楽しそうな男、ルドベキアは地面に落ちる本を拾い上げると、その黒い瞳をしぱしぱとまたたき、眉間にしわを寄せた。


「どうやら、本の守護者が拗ねたようですね」


 呟いた後、落胆した様子で深いため息をつく。


「魔王様、必ずこの本を全て開いて頂きます」

「俺は、魔王じゃない!」

「今日のところは仕方ありません。表まで、お見送りしましょう」


 涼しい表情に戻ったルドベキアは、俺に背を向けて歩き始めた。


「……あきちゃん」

「行こう。あいつは信用できないが、ここを出る方法が他にない」

 

 律花の手を引っ張り、目の前の大きな背中を睨みながら、俺はついて行くことを選んだ。

 立ち止まったルドベキアが指さした方を見ると、見覚えのある車道があった。来た時、店を探してスマホを開いた場所だ。

 慌ててズボンのポケットに手を突っ込み、スマホを掴んだ。

 画面から、圏外の文字が消えていた。


「またのお越しをお待ちしております」

「二度と来るか!」


 声を上げた時、スマホがアラーム音を響かせた。画面には、始業三十分前の文字が浮かんでいる。


「では、魔王様。お気をつけて」


 本を胸に抱いたルドベキアは微笑むと静かに頭を下げ、きびすを返した。

 その姿が暗い路地に消えた。


「……何だったの、あの人。怖いよ」

「分かんねぇ。分かんねぇけど」


 震える律花の手を握りしめ、歩き始めた俺はスマホの画面をタップした。


「もさもさしてたら遅刻だ。走るぞ!」


 今の俺たちにとって、塾の始業時間に間に合うよう、全力で走るのが最優先だった。

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