3.ようこそ、ルドベキア魔法雑貨店へ

 律花に連れられて電車を降りたのは、塾のある東嶽浜ひがしたけはま駅の二つ手前、神久世かみくぜだった。

 駅から二十分ほど歩いた丘の上にある神社が縁結びの神様だとかで、夏祭りに賑わいを見せる町だ。通常時に賑わっているのは大型スーパーと病院ぐらいだろう。

 流行りに興味のない俺だって、ここが女子の遊びに来るような町でないことくらいは分かる。


「神久世なんて、何もないだろ?」

「流行りの雑貨屋さんがあるの!」

「……雑貨屋?」

「文房具とか、コスメとか、可愛いものがあるんだって。陽菜ひなちゃんが教えてくれたの」


 陽菜と呼ばれた少女は誰だったか。

 あまり女子の名前を憶えていない俺は、律花が教室で誰かと話していたことを思い出した。おそらく、あの子だろう。


「凄いんだよ! 魔法のペンを使ったら成績が上がったとか、お守りを買ったら身長が一年で十センチも伸びたとか! それと──」

「勉強すりゃ成績は伸びるし、小さきゃ背も伸びるだろ?」

「そうやって、夢のないこと言う!」

「ペンだけで、模試がD判定からA判定に跳ね上がったら、も信じてやるよ」

「おまじないじゃなくて魔法! あきちゃんは現実主義すぎだよ!」

「そんなことねぇよ」

「本当? じゃぁ、夢ってある?」


 律花は興味津々にくりくりした目を俺に向けてきた。

 閑散とした商店街から路地裏に入り、さらに人通りがなくなった道で、俺は小さくうなった。

 夢って何だろう。

 

「つーか! 本当に道、あってるのか?」

「話そらさないでよ!」

「だってよ、人気の雑貨屋があるにしちゃ、人通りがないだろ?」

「えー、そんなこと……」


 立ち止まった律花はスマホを取り出すと地図アプリを立ち上げた。

 俺は横から画面を覗き込み、検索ワードを目で追った。──ルドベキア魔法雑貨店。

 背筋がざわりと震えた。

 初めて見たはずの文字に、ものすごい拒絶反応を覚えていた。


「……ルドベキア?」

「うん、お店の名前だよ。聞いたことあるの?」

「ないけど」

 

 けどと言ったことにも違和感を覚え、困惑に顔をしかめながら、俺は地図を覗き込んだ。

 地図の上で、店の位置を示すマークは、すぐ傍にある。


「ほら、あってる! こっちだね」

 

 自信満々で細い路地に入っていく律花の後ろをついていき、俺は小さく「ルドベキア」と呟いた。

 その店は、こつ然と現れた。

 車の入り込めない狭い路地に面した店の前には、古びた自転車がある。そのカゴには黄色の花が飾られていた。真ん中が黒く、何だかこっちをじっと見ているような花だ。

 軒先を見上げると、小さな看板が下げられていた。花と杖のエンブレムが描かれている。

 入り口横のガラス窓に並ぶ、商品を見る律花は目を輝かせ、ドアノブに手を伸ばした。

 

 店内に踏み入った俺たちは感嘆の声を上げた。

 天井から下がるランタンの中には、星のような形をした光が灯されている。それがあまりにも幻想的だった。

 棚にはペンや豪勢な装飾が施された本、スプーンやフォークなどの食器カトラリー、凝った装飾品、様々な商品が並んでいる。

 街中のビルに入っている店とは違うだろうけど、こういうのも雑貨屋なのか。

 感心しながら見ていると、律花が話しかけてきた。


「本当に魔法にかかっちゃいそうだね」

「まぁ……で、何を買いに来たんだよ」

「それは、これから探すの!」


 少しだけ頬を赤らめた律花は、俺に背を向けると、文房具が並ぶあたりを真剣に見始めた。

 ふと、古い地図の模様が描かれているノートが目についた。もしもノートがなくなっても、これを学校や塾に持っていくのは勇気がいりそうだ。女子は平気なのか。

 そんなことを考えていると、豪華な本の並ぶ棚が目に入った。

 一冊に手を伸ばした時だった。


「いらっしゃいませ」


 低いがよく通る男の声が響いた。

 背後から声をかけられたことに驚き、俺の鼓動が跳ね上がった。

 振り返ると、長い金髪を後ろで結った長身の男が立っていた。

 日本人離れをした顔立ちと、まるで物語に出てきそうな魔法使いのローブを纏った姿は、この店の雰囲気に馴染んでいる。


「どうぞ。手に取ってご覧ください」

「え、あぁ、はい、どうも……」


 綺麗すぎる営業スマイルに、ぞわりと悪寒を感じた。

 思わず棚に顔を向けるふりをして、俺は男から視線を逸らし、手を伸ばした先にあった本の背表紙に指をかけて引き出した。

 重厚な革で出来た表紙には、金色の文字が刻まれている。


「それ、何の本? 豪華だね」

「ルーキス・オリトゥスの記憶」

「英語?」

「分かんねぇ、けど、そう書いてあるような気が……」


 金色に輝く文字を、なぜ読めたのか。

 得体の知れない恐怖を感じ、表紙にかけていた指を放した俺は、その本を元の棚に押し込めた。


「律花、そろそろ塾に行くぞ」

「まだ時間あるよ?」

「休みの日に、また来ればいいだろう」

「また、一緒に来てくれるの?」


 律花の手を掴むと、後ろから「またのお越しをお待ちしています」とかけられた。だけど俺は、その声に振り向くことなく、店を飛び出した。

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