第6話 そして朝はくる

そして朝はくる。

「おはよう、恵子ちゃん」

「お、」

 恵子は職員のマネをしてしゃべりかけてみた。話すことに興味が出たらしい。でもしゃべれなかった。発作的に出たのではなく、自分で話そうとすると難しい。

 その日恵子は五十音を習った。これからは単語を教わっていく。今まで話すことはしてこなかったし、言葉もかけられなかったけど言葉のセンスはあるように見受けられた。少なくひらがなはもう習得した。そしてよく言う言葉が、

「イラナイノニ」

 恵子が初めて口に出したこの言葉は印象的だった。言葉の意味を知ったら、傷つくのは彼女だ。それでも彼女の中ではインパクトのある言葉だった。職員は何も言わなかった。少し寂しそうな目つきをしながら、ただ彼女の頭をなでた。

「勉強時間の後、自由時間。また葉月がやってきた。

「恵子ちゃんだよね。私は葉月。昨日のこと覚えてる?」

――からかってやろう。

「こんばんは」

 恵子は非常に努力をして、一言の挨拶は言えるようになった。まだ間違えることが多いが。

「あれ? しゃべれるの?」

 昨晩黙り込んでいたので、意外だったらしい。

「昨日は黙っていたよね。無視してたの? 本当は話せたの? 昨日黙ってたのに、なんで今日は話せるの?」

 恵子は困った顔をして微笑んだ。まだなんて言われているかはよく分かっていないのだ。ただ研究所で詰め将棋のプログラムを受けていたため、理解力、吸収力はある。もともと脳が知識を欲していたため、スポンジが水を吸収するように知識を手に入れた。まだ発信はさほどうまくないが、これなら数週間ほどでスムーズに話せるようになるかも、と先生から言われていた。

 恵子が葉月の相手に困っていると、いきなり恵子が転んだ。葉月が足をひっかけたのだ。聞こえよがしに大きな声を出す。

「ごめんね、恵子ちゃん。大丈夫?」

 恵子はよく分かっていない様子で葉月を見た。にやにやしながら謝っていた。

 分からないなりに不快さを感じて、恵子は歩き去ろうとした。だが、自分に二度も話しかけてくれた葉月には、何かを感じ微笑みかけた。感じたのは悪意だが、憎めないかわいさを無意識に感じ取っていた。なんとなく口角が上がって話しかけていた。

「ありがとう」

「へ?」

 葉月は戸惑った。足をひっかけた。悪気も分かっていたはず、不愉快な空気も感じさせた。

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