№29 彼岸桜の、夢のまにまに

「……さあ、どうするつもりですか、『モダンタイムス』?」


 その名を呼び、様子をうかがう。


 ……『モダンタイムス』の顔からは、血の気が失せていた。こうなることがあらかじめわかっていたかのように笑う表情は、もはや死人のそれだ。


 息をのむハルに、『モダンタイムス』はほろ苦く微笑んで、


「……どうやら、時間切れみたいだ」


 言い終えたとたん、大量の血を吐いてその場に倒れ伏した。ひらり、ド派手な花魁衣装が肩から落ちてひるがえる。


「『モダンタイムス』!」


 慌てて駆け寄り、ハルはその細すぎるからだを助け起こす。口元を血で汚し、蒼白の顔で息を荒らげながら、ゆっくりと鼓動の速度を落としていく『モダンタイムス』。虫の息とはこのことだ。


 ひとが死ぬとき、というものを、ハルはこれまでの経験で理解していた。


 そして今、『モダンタイムス』はその死の淵に立っている。


「……失敗、しちゃったなあ……」


 ハルの腕の中でつぶやき、『モダンタイムス』は茫洋とした眼差しで虚空を見詰めた。


「……うまくいくと、思ったんだけど……ままならないものだねえ……」


 ははっ、と息を吐き出そうとしても、出てくるのは血痰だ。激しくせき込む『モダンタイムス』だったが、それだけの体力も尽きているらしく、次第にごぶごぶと口の中に血がたまっていった。


「人生なんてそんなもんです。いつだってままならない」


 ハルが答えると、『モダンタイムス』は億劫そうに苦笑いして、


「……君が人生を語るかね、面白い……」


「僕だって、ダテに17年間弱生きてるわけじゃありませんからね」


 そう言うと、ハルは『モダンタイムス』の枯れ木のような指を握りしめて続けた。


「たしかに、あなたほど壮絶な人生ではなかったかもしれない。けど、人生の重みは誰だって同じだ」


「……かはっ……言うねえ……さっすが、塚本ハル君……」


 言葉を発するたびに、口にたまった血液がだらだらとこぼれていく。あぶくを立てながら反応する『モダンタイムス』は、まるで遠い水底にいるようだった。


「……小生、ずうっと、自分が一番不幸だなんて思ってたんだよねえ……」


 夢見るような目でつぶやくと、また一段と体温が下がった気がした。


「……けど、正直、こういう結末になって、まあまあしあわせだったなあ、なあんて思うんだよ……お笑いぐさだろ……?」


「いいえ、笑いませんよ、『モダンタイムス』」


 ハルにはそれしか言えず、ただ手を握りしめることしかできなかった。


 『モダンタイムス』。


 数々の罪を重ねてきたパブリックエネミー。


 『影の王国』の首魁にして、すべての『影使い』たちの敵。


 しかし、それでもハルはどうしても『モダンタイムス』のことを憎み切れなかった。


 もちろん、やったことは許されない。それだけのことをしてきた。


 しかし、その生い立ちや人間くさい魅力のせいで、死にゆくその顔に唾を吐きかけるようなことはできなかった。


 『モダンタイムス』は、モンスターではない。


 ただの人間なのだ。


 やりきれない思いのハルを残し、モダンタイムスの意識はさらに混濁していく。


「……そろそろ、お別れだ……塚本ハル君……ああ、辞世の句でも詠んでおこうか……」


 もう自分がなにを言っているのかもわからないのだろう。もしかしたら、その辞世の句とやらも、こうなることをわかっていて事前に準備しておいたものなのかもしれない。


「……『影踏みの、ひと世の王になりそこね……彼岸桜の、夢のまにまに』……ちょっとカッコつけすぎかな……」


「……いいえ、あなたらしいです」


「……そっかあ……」


 苦いものを飲み込んだハルに、『モダンタイムス』は晴れ渡るような笑顔で応じて見せた。

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