№28 決定打
一歩先に動いたのは、意外にも秋赤音の方だった。腹に大穴を開けたままでも俊敏な脚運びで間合いを詰め、こぶしを振りかぶる。そのこぶしは影子の顔面を直撃し、モノクロームの世界で白黒の血が飛び散った。
……影子は動かない。ただこぶしを食らったままの体勢で足を踏ん張り、
「……ってえじゃねえか、このマンカスがあああああああ!!」
今度は影子がこぶしを振るう。ロクに動かないであろうこぶしは、しかし同じくロクに動かない秋赤音の顎にヒットした。
白黒の世界に墨汁のような血がばらまかれる。
「……うるさい!! 黙れ、『影』!!」
秋赤音のボディブローが影子の息を一瞬止め、
「……てめえだって『影』だろうが!!」
影子の右フックが秋赤音の頬をぶち抜き、
「……私は特別なんだ!!」
秋赤音の左ストレートが影子のみぞおちに突き刺さり、
「……特別な『影』なんていねえんだよ!!」
影子のアッパーカットが決まる直前、秋赤音ははっとしたような顔をした。
そして、見事に吹き飛ばされる。顎を打ち抜かれ、ざざ、と背中でコンクリートをこすりながら、秋赤音は大の字にダウンした。
影子はそんな秋赤音にも容赦なく馬乗りになり、右、左とパンチを繰り出す。
「なぁに夢見てんだ!! 過大評価っつーんだよそういうのは!! いや、てめえの場合過小評価だ!! 『影』だって生きてんだよ!! だから、てめえもがんばって生きんだよ!!」
「……何も知らぬくせに……!!」
いつまでも殴られてばかりの秋赤音ではなかった。影子の襟首を捕まえると、そのまま巴投げの要領で投げ飛ばしてしまう。
「『影』は実存に対するイデアに過ぎぬ!! 私ごときが……!!」
「いちいちいちいち、卑屈すぎんだよ、イラつく!! 逆に偉そうだぞてめえ!!」
「言っている意味が分からん!! 私たちには私たちなりの事情があるんだ!! それはお前のあずかり知らぬところ!! 邪魔立てするな!!」
「するっつうの!! こちとら未来の旦那様とかわいいベイビーがかかってんだ!! こんなところで終わらせてたまるか!!」
「未来だと!? あるじ様にはそんなもの!!」
「るっせえうぜえええええええええ!! 今からその腐った目覚ましてやんよ!!」
「望むところだ!!」
これが最後の一打になるだろう。
ふたりはこぶしを掲げてよたよたの足取りで相手に飛びかかり、振り下ろそうとした。
その瞬間、秋赤音の視界の端に『モダンタイムス』の姿が映る。
物見遊山でもするかのような、穏やかな表情だった。
そのままの表情で眠ってもらいたい。
いつか見た、赤子の寝顔のように安らかに。
……結局、それが決定的な隙になった。
秋赤音のこぶしが届く前に、影子のこぶしが秋赤音の胴体の残り部分をえぐり、その矮躯がまっぷたつに折れる。
どさりとくずおれる秋赤音の残骸を見下ろし、顔中を腫らして血まみれの影子は残された襟首をつかみ上げた。
「……てめえ、なんで手ぇ抜いた!?!? バカかてめえは!?!?」
怒鳴り散らす影子に、秋赤音はなにも答えない。
ただ静かに、満足げに笑って、はらはらと黒い花びらのように散っていった。散り際に、ちらりと『モダンタイムス』に微笑みかけて。
手のひらからこぼれていく秋赤音の残骸を握りしめ、その手をコンクリートに叩きつける影子。
「……クソっ!!」
その表情は、怒りだけではないなにか別の複雑な感情で苦々しげに歪んでいた。
秋赤音が完全に消え去ると、ビルの屋上から世界に向けて、極彩色の波が押し寄せる。『ノラカゲ』はあるじの影に戻り、夕映えに染まる空が戻ってきた。
色とりどりの、猥雑な世界。
多少不格好でも、それぞれの色で輝いて生きていく世界。
そうだ、ここが自分たちの世界だ。
……決着が、ついたのだ。
勝負の行方を見守っていたハルは、心底影子を信じてよかったと思った。
急いでぼろぼろになった影子のからだを自分の影に押し込めて、改めて気を引き締める。
残るは、『モダンタイムス』のみ。
秋赤音を失った『モダンタイムス』がどう出るかで、ハルの行動は変わる。
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