№24 記憶の海

 ……これが、影子の言っていた『罪』の記憶か。


 ひとつに溶け合った今、影子の苦しみが痛いほどにわかった。理不尽な運命への怒りが、かなしみが、我がことのように感じられる。


 これほどの『罪』、たしかに影子が『罰』を受けたがるのもうなずけた。


 しかし、影子は『罰』を受けて終わりにするよりも、その『罪』を背負って前に、未来に歩き続けることを選んでくれた。


 その強さに、ハルは心底感謝した。


 そして、『影』の集合的無意識に封じられた記憶はそれだけにとどまらない。


 他の『影』たちの記憶、情報、感情が、一気にハルの中に流れ込んでくる。


 その中には、もちろん秋赤音の記憶もあった。


 『モダンタイムス』が弱っていく様子。世界に反旗を翻してやると憎々しげに笑う様子。赤子のような安らかな寝顔。泣いて笑って、ひどく人間くさい表情をする『モダンタイムス』。


 そのたびに、秋赤音のこころはちくちくと痛んだ。そしてその痛みが積み重なり、耐えがたいほどの苦痛になった。


 あるじを助けたい。


 これで終わりなら、せめていっしょに安らかに眠りたい。


 だからこそ、ハルに膝を折って頼み込んだのだ。


 自分たちを止めてほしい、と。


 これを見た以上、情を抱くなという方が無理な話だった。


 『モダンタイムス』はたしかに世界の敵だ。


 しかし、それ以前に単なるひとりの人間なのだ。


 言葉が通じて、感情を共有できて、対等に尊重されるべき人間。


 それを最も理解していないのは、ほかならぬ『モダンタイムス』自身だった。


 自らを『透明な存在』と自虐し、世界にしいたげられてきた取るに足らない弱者であると認識している。


 だからこそ、他の人間が生きる世界を破壊して、たったひとりの王様になろうとしているのだ。悪い意味で、自分は他の人間とは違うと思っている。


 そんな『モダンタイムス』を何とかして引き上げたかったが、もう遅いのだろう。自分は人間ではないとすら思っているパブリックエネミーは、すでにルビコンを渡った。


 でも、なんとかして……


 考え込もうとすると、他の『影』からの情報が無数に入り込んできた。


 あらゆる『影』の集合的無意識の情報量は圧倒的で、ハルの頭は弾け飛びそうになる。このままでは精神崩壊思想だった。


 そんなとき、じゃぶん、という音と共にからだの感覚が戻ってくる。気が付けば、元の自室だった。


 息を乱しながら冷や汗をかき、ようやくハルは自分の手を引っ張り上げた影子の細腕を認める。


「……どうだった?」


 珍しく心配そうに尋ねてくる影子に、青い顔をしながらもハルは笑いかけ、


「……ああ、思い出したよ、なにもかも」


「じゃあ……!」


「あのとき、君のおかげで影ふみができるようになったんだ。ありがとう、影子」


 茜色に染まる部屋の中で、ハルは自分を喰ってくれた影子を抱きしめた。


「……ありがとう」


「アタシも、あのとき帰る場所を手に入れたんだ。ありがとな、ハル」


 影子もまた、ハルの背中に腕を回して抱きしめ返す。しかしどれほど強く抱き合っても、皮膚の感覚が邪魔をした。さっきみたいに境界線を消して溶けあうことはできない。


 しかし、それゆえにハルと影子は違う存在で、ハルがいて、影子がいて、そのふたりが思いあうという関係を築くことができた。ひとつになってしまえば、そんなことなどできはしない。


 そんな思いで影子を抱きしめ、ハルは影子のくちびるに小さく口づけを落とした。ついばむように返されるキスに、この上ないよろこびを覚える。


 そしてふたりは夜が訪れるまで無言で口づけを交わし合い、やがて影子はハルの影の中で眠ることとなった。


 ハルもまた、明日の決戦に備えて眠ることにする。


 ……ハルが『影喰い』として覚醒したのかどうかはわからなかった。明日の戦いで『モダンタイムス』が『影喰い』としてのちからを発揮してみなければ、対抗策たりうるのかは判然としない。


 だが、伸るか反るかはいつものことだ。


 明日はきっと勝つ。勝って、影子と未来へ進むのだ。


 そうこころに決めたが、ハルはなかなか眠れず、夜がかなり更けてからようやく眠りにつくのだった。

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