№25 沈む世界

 寝不足気味のハルと影子を乗せて、エレベーターは屋上へとまっすぐに上っていく。この街で一番高いビルは56階建てのオフィスビルだ。


 屋上へと向かうひとはおらず、エレベーターの乗員はふたりだけだった。そのふたりも無言で移り変わっていく階数表示を見上げ、決戦の地へと向かう。


 ふいに、影子がハルの手を握った。その手を握り返していると、アナウンスと共に屋上への扉が開く。


 びょうびょうと風が吹いていた。昼下がりの空は晴れ渡り、雲ひとつない。


 極彩色は、探すまでもなく屋上のど真ん中に立っていた。


 手をつないだままで対峙すると、ハルはにこにこと笑う『モダンタイムス』に向かって最後通牒を突き付ける。


「……これが最後です。まだ、戻れますよ?」


「言っただろ、もう戻れないよ」


 やはり、『モダンタイムス』はその通告を拒絶した。その決心は揺るがないらしい。こればかりはハルにどうにかできることではなかった。


 軽いため息をついて、ハルはうなずき返す。


「……わかってましたけど、さみしいですね」


「さみしい? なんだってそんな感情が沸いてくるんだい?」


「同じ人間同士、分かり合えないのか、って」


 答えるハルに、『モダンタイムス』は困ったような笑みを浮かべた。


「同じ組成で出来た肉人形同士、ってんならわかるけど、あいにく小生はモンスターでねえ。からだは似たようなもんなのに、今や小生と君はパブリックエネミーとそれを倒すセイギノミカタってわけさ。分かり合えるはずがない」


「僕は自分のことを正義の味方だなんて思ったことはないし、あなただってただの人間だ。立場が違えば僕だってそっち側に行っていたかもしれないし、あなただって世界を敵に回すこともなかったかもしれない。それだけの違いなのに、どうして……?」


「決まってるさ。そんなのはたらればの話で、現実の小生は世界に無視され続けた透明な存在であることに変わりないからだよ。こうすることでしか世界に爪痕を残せないから、こうするまで」


「けど……!」


 声を荒らげそうになるハルの言葉を遮って、『モダンタイムス』は両手を広げて舞台役者のように声を張った。


「賽は投げられた。小生を無視し続けたファックな世界にさようなら、だ。小生はこれから、モノクロームの世界のたったひとりの極彩色になる。王様になって世界を征服するんだ」


「やめろ、『モダンタイムス』!!」


 ハルの制止もむなしく、『モダンタイムス』はそばに控えていた秋赤音の背中をそっと押して、


「さあ、秋赤音。世界中の『影』に呼びかけてくれ。主人を喰え、世界をモノクロームに染め上げよう、ってね」


「……承知」


 複雑そうな顔をしながら、秋赤音は膝を突き、己の影に手を乗せた。


「『影』たちよ。あるじを喰らえ。世界を我らの色にしよう」


 秋赤音がそう告げた瞬間、その影を起点に世界が白黒に変わっていった。


 うららかな春の日差しは真っ白に変色し、影と物質がモノクロームのコントラストに浮かび上がる。


 その現象は、津波が陸地をさらうようにビルの屋上から下界へと急速に広がっていき、とたんに街は白黒に沈んだ。


 あちこちで影が主人を喰い、じゃぶん、じゃぶんと音がする。白と黒の世界の中で『ノラカゲ』が続々と生まれ、躍動した。


 それだけにとどまらず、モノクロームの侵食は全国、全世界に及び、青かった地球は一瞬にして白黒の星となる。


 もはや、少数の『影使い』を残して、地上には動く人間は残っていなかった。その代わり、幽鬼のように揺らめく『ノラカゲ』たちが新しい世界の住人となる。


 まるで漫画の紙面のような世界の中で、唯一モノクロームに侵食されていない『影使い』として、ハルは己の肌色を確かめるようにこぶしを握った。


 とうとうこのときがやって来てしまったか。


 あとはハルたちを倒してしまえば、宣言通り『モダンタイムス』は世界でたったひとりの極彩色の王様になってしまう。


「あははははははは!! 世界ぃ、見てるう!? ざまあみろ!! あはは!!」


 もろ手を広げて哄笑する『モダンタイムス』は、目的を達した。今はただ、白黒の世界の中でド派手な花魁衣装ばかりが目に痛い。


 こんなの、どうしたらいい?


 モノクロームに閉じ込められた世界を解放するには、一体どうしたら……!?


 そのとき、隣にいた影子がハルの手を強く握った。


 そして、白黒になっていないその頬を、いつものようににやりとゆがめる。


「面白くなってきたじゃねえか……! こうやって、おもくそ勝ち誇ってやがる相手にアッパーカットキメんのが一番スカッとすんだよな」


「か、影子!?」


 なにがあっても不敵に笑う。


 望む未来のためならば、なんだって蹴散らして見せる。


 そうだ、そんな影子が隣にいるじゃないか。


「大丈夫だ、アンタならやれる。やってやれ!」


 ばしん!と背中を叩く手に、鼓動が反応した。


 自分の中に未知のちからを感じる。


 間違いない、ハルもまた『影喰い』としてのちからに目覚めているのだ。


 だとしたら、このどうしようもない事態をひっくり返すことができるかもしれない。

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