№15 鉄拳正妻

「……カゲコ、ちょっといい?」


 宣戦布告の翌日、『お誕生日会計画書』に向かっていた影子は、深刻な顔をしたミシェーラに呼びかけられた。


「んん? なんだ? お誕生日会は今週の土曜日になったぜ?」


「そうじゃなくて……いいから、ちょっと」


 煮え切らない様子のミシェーラに腕を引かれて、影子は体育館裏までやってきた。辺りには相変わらずひともおらず、誰かが果し合いでもしていれば面白いのに、と影子はいつも思うのだ。


「……んで、なんの用だよ?」


 少し不機嫌そうな影子の手を、ミシェーラの両手が握りしめた。ずいっと身を寄せると、


「カゲコ、落ち着いて聞いてネ」


「んだよ、改まって」


 ちょっと引く影子に、ミシェーラは決意を込めた眼差しを向ける。


「カゲコ、実は……」


 


「おいこら一体どういう了見だ!?!?」


 ばしーん!と放課後帰宅の準備をしている生徒たちであふれる教室のドアが開かれる。その中のひとりだったハルも、その勢いに目を丸くした。


 そんなハルに向かって一直線にずかずか歩み寄り、影子はその胸倉をつかみ上げた。ものすごい剣幕に、なにがなにやらわからずまばたきを繰り返すハル。


「どうしたんだよ、急に!?」


「どうしたもこうしたもあるか!! アンタ、浮気してんだろ!!」


「う、浮気!?!?」


 その言葉に、ハルの方が驚いてしまった。とっさに言葉が出てこない。


「しらばっくれんな!! こっちには証拠写真だってあるんだからな!! 言い逃れできると思うなよ!?!?」


 突き付けられたスマホには、ハルと女性がラブホに入っていく瞬間の様子が写っていた。それを見て、ああ、とようやく合点がいく。おそらくはミシェーラたちがつけてきたのだろう。


 しかし、混乱するハルには申し開きの言葉がなかなかうまく出てこなかった。


「ただのバイトだよ!」


「はあ!?!? ただのバイト!?!? 他の女とホテル入ることの、なにがバイトだってんだ!?!? 初めてはアタシに捧げるんじゃなかったのかよ!?!?」


「そうだよ! けど、その……」


 どうにもやりにくい。ここは教室だ、他の生徒がたくさんいる。ハルの『事情』を説明するには、もっとひと目のない場所でなくてはならなかった。


 ハルが言いよどんでいるうちに、影子はどんどん熱くなっていく。


「まさか、ママ活ってやつじゃねえだろうな!?!?」


「違うって!! 普通のバイトだよ!! ただ、たまたま……」


 言葉を探しあぐねているうちに、影子が沸点に達してしまった。


「もういい腐れヤリチンが!! 言い訳なんて聞きたくねえ!!」


 そう言うと、影子は机の上に広げてあった『お誕生日会計画書』をまっぷたつに引き裂いてしまった。びりびりに破いて、その破片を憎々しげに踏みにじる影子。


「違うんだよ!! 話を聞いてよ、影子!!」


「……っ!!」


 引き留めるハルの腕を振り払い、影子はそのまま教室から走り去ってしまった。去り際、涙のきらめきが見えた気がした。これから適当な影にもぐって、夜になるまでにハルの影に引きこもってしまうのだろう。


 止める間もなかった。ロクに話も聞いてもらえなかった。


 己が招いた失態に、ハルはただ茫然と立ち尽くす。


「……ごめんネ、ハル……」


 とぼとぼとミシェーラがやってきて、捨てられた子犬のような顔をする。


「ミシェーラ……」


「ホントはこんなことしたくなかったけど……カゲコがかなしい思いをするのは、見てられなくて……」


 すべての事情が明らかになった今、ミシェーラの気持ちも痛いくらいにわかった。きっと板挟みで相当悩んだことだろう。自分がややこしいことをしたばかりに、苦労を掛けてしまった。


「違うんだ、ミシェーラ。ここじゃなんだから、別のところで話そう」


 ここまで弁明するハルに、なにかおかしいと思ったのだろう。影子と違って、ミシェーラは不思議そうな顔をしながらも耳を貸してくれた。


 先ほどと同じ体育館裏ですべての事情を説明すると、ミシェーラはまず深々と頭を下げて手を合わせ、


「ごめん、ハル!! ホントにごめん!! まさか、そんな事情があったなんて……!! ごめん、ホントにごめん!!」


 何度も何度も頭を下げてくるミシェーラの肩を叩き、ハルは苦笑いした。


「ね、種明かししたら案外シンプルな事情だったでしょ?」


「ああー! なのにワタシったらなんてことを!!」


「仕方ないよ。誤解されるようなことをした僕も悪いし」


「……うう……!!」


 涙ぐむミシェーラを、ハルはまあまあととりなした。


「……最初からハルを信じてれば、こんなことには……!」


「これだけ材料がそろってたら、誰だって勘違いするよ。だから、もういいって」


「じゃあ、せめてカゲコとの仲直りのお手伝いさせてヨ!」


「……いや」


 ミシェーラの申し出に、ハルはふっと笑って見せた。


「これは僕らふたりの問題だ。これから先、こういうことはたくさん起こると思う。そのたびに誰かを頼ってちゃいけない。だから、僕の口から説明するよ」


「……カゲコ、出てきてくれるカナ……?」


 不安げなミシェーラを逆に勇気づけるように語気を強めた。


「大丈夫だよ! 影子ならきっとわかってくれる。今は話を聞いてくれるのを待つばかりだけど」


「……ウン……」


 本当は、それが一番難しいことなのだが。


 事実ではなく真実を知らされて肩を落とすミシェーラを連れて、ハルはひとりで家に帰るための支度をしに教室に戻っていくのだった。

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