№13 『お頼み申す』

 さいわいにも、影子はノートを見られたことに気付かなかった。


 翌日の放課後、連れ立って帰りながら、話題になるのは当然お誕生日会のことだ。


「なあなあ、もしお誕生日会中止になったら落ち込むか? んん?」


「はは、そりゃあとっても落ち込むよ」


「どんくらい?」


「3日はご飯が喉を通らないだろうね」


「そんなにか!」


 それを聞いた影子はうれしそうに、ししし、と笑う。おそらくは、サプライズ成功を確信して内心小躍りしているのだろう。手に取るように透けて見えて、ハルもまた隠れて苦笑した。


「ああー、お誕生日会楽しみだなあ」


 ハルが大げさに言って見せると、影子はきらきらした顔で、


「だろだろ!? けどなー、もしかしたら中止になるかもなー」


 絶対開催するだろ、という口調でそらっとぼけて見せるのだ。


 そんな微笑ましい茶番劇のさなか、不意に行く手に人影が現れた。


 黒いポニーテールに真っ黒な忍び装束、小さな体躯の凛とした女性。


 他でもない、秋赤音だった。


 ハルと影子の緊張が一気に高まる。


 ハルを背後にかばった影子は、通学カバンをハルに預けてにらみを利かせた。


「んだあ? カチコミか? やるってんなら相手してやんよ!」


 いつでも戦えるように自分の影に手を突っ込み、チェインソウを取り出そうとする。ハルもまた、最強の『影』に対抗する手段をあれこれ考えた。


 が。


「違う、待ってくれ。今日は話がしたくて、私ひとりでやってきた」


 秋赤音は両手を上げてそう言った。


 …………。


 その場に、きょとん、とした空気が立ち込める。


「……はあ?」


 とっくの昔に戦闘モードに入っていた影子は、出ばなをくじかれたように間の抜けた声を上げた。


「『モダンタイムス』の野郎のメス犬が、今更なんの話だってんだ? あの野郎が今まで何やってきたか、忘れたとは言わせねえぜ?」


「…………っ!」


 痛いところを突かれた秋赤音は、なにも言葉を返さなかった。今更話し合いができる関係性ではないことくらい、秋赤音もわかっている。


 しかしその上で、秋赤音は単独でやってきた。そこには相当な決意があったはずだ。話を聞いてもらえないかもしれない。争いになるかもしれない。それらの憂慮をすべて抑え込んで、秋赤音はここまでひとりでやってきたのだ。


 その覚悟を汲んで、ハルは影子を手で制止て一歩前に出た。


「わかった。話があるなら聞くよ」


「……おい……!」


「いいから」


 なにか言いたげな影子を一言で沈黙させて、ハルは秋赤音と対峙する。


「それで、話ってなに?」


 ハルが問いかけると、秋赤音は言いにくそうにもじもじと口ごもり、なかなか話をしようとはしなかった。それでも、ハルは辛抱強く秋赤音が口を開くのを待った。


 いい加減影子が焦れてきたころ、秋赤音は突然その場に土下座をした。額をアスファルトにこすりつけて、それでもなお足りないと平身低頭する。


「……頼む……どうか、あるじ様を助けてくれ……!」


 唐突な願いに、ハルはつい目を見開いて、


「……助けて、くれ……?」


「そうだ! 頼む、塚本ハル!!」


「と、とりあえず頭を上げてよ!」


 このままではロクに話もできない。ハルが必死にとりなすと、秋赤音はようやく頭を上げてくれた。


 路上に正座する秋赤音に視線を合わせるようにかがみ込み、ハルは再度問いかけた。


「助ける、ってどういう意味? それは君にはできないことなの?」


 おそらく秋赤音もテンパっていたのだろう、冷静に尋ねられて、頭の中を整理するようにぽつりぽつりと話し始めた。


「……あるじ様に残された時間は、もうない。病がいのちを喰ってしまうまで、あと少しだ。それまでに、あるじ様は世界を道連れにしようとしている。死ぬ前に、白黒写真の世界でただひとりの極彩色の王になろうとしている」


「それは知ってる」


 ハルがそう答えると、秋赤音はほぞを噛むような表情をして、


「……私は……! あるじ様を、世界滅亡の大罪人として死なせたくない……! あるじ様のいのちが尽きるときは、私が消えるとき……最後までお仕えすることはこころに決めている。いや、死してなお、地獄までお供するつもりだ」


 大した忠義心だ。感心するハルをよそに、秋赤音は続ける。


「そんなあるじ様は、死ぬ間際まで争いの中にいることを選んだ……しかし、それで良いものか? もっとあたたかく、安らかな、人間らしい死にざまというものがあるのではないか?……私は、そう思ってしまった」


「……それは……」


「思ってしまったらもうおしまいだ。どうやってあるじ様の最期を平穏なものにするか、そればかり考えてしまう。立派な旅立ちでなくとも良い。せめて、人間らしく眠りについていただきたいのだ。世界と心中することなく、ただひとり私だけを共に連れて」


 そして秋赤音は、再度頭を深々と下げた。


「頼む、どうかあるじ様を止めてくれ……! ただの『影』である私は、あるじ様の命とあらば世界と敵対しなくてはならない。だから、どうか私たちを止めてくれ……! これは、同じ『影使い』のお前たちにしか頼めないことなのだ……!」


 そういう『話』か……中身が見えてきたハルは、土下座をする秋赤音を見下ろして言った。


「僕たちだってそうしたいけど、『モダンタイムス』当人がやるって言ってる以上、やるしかないよ……」


「重々承知している。その上で、この私を倒して、あるじ様の野望をくじいてほしい……道連れにするのは、私ひとりでいい……この通り、お頼み申す……!」


 それは痛切な願いだった。聞いているこっちの胸まで苦しくなってくるような。


 しもべである秋赤音には、『モダンタイムス』に逆らってまで止めることはできない。たとえ世界を滅ぼしたくないと思っていても、『モダンタイムス』の願いならば従わざるを得ないのだ。


 ゆえに、敵であるはずのハルたちにこうして頭を下げているのだ。


 影子とは違った意味でプライドの高そうな秋赤音が、敵対しているハルたちにここまでして頼み込んでいるのだ。あるじ以外の人間に頭を下げるなど、相当な覚悟が必要だったに違いない。


 なんとかしてやりたい。切実にそう思った。


 『モダンタイムス』が納得できる最期。秋赤音が納得できる最期。


 その両方を叶えるためには、やがて来る決戦でハルと影子が『モダンタイムス』の野望を止めなくてはならないのだ。


 敵も全力でかかってくるだろう。最強の『影』である秋赤音も、『影喰い』のちからも使って。


 今までは、単に大好きなみんなのいる世界を守るため、だった。


 しかし今、敵である『モダンタイムス』のためにも、戦いに勝たなくてはならなくなった。


 誰もふしあわせにならない、最適解のために戦う。


 ベストエンドは望まない。が、ベターエンドを目指して。


 ……なんとしても勝たなければならない理由が、またひとつ増えてしまった。


「……頭を上げてよ、秋赤音」


 ハルが告げると、秋赤音はくちびるを噛んでハルを見上げる。


「わかった。僕たちも全力を尽くす。君も、手加減する必要はない。全力で立ち向かって、全力で倒す。それで『モダンタイムス』も君も納得して消えてけるならね……約束する、なんとしても勝つよ」


「……ありがとう、塚本ハル……どうか、頼んだ……!」


 膝を突いた秋赤音に向けて、ハルは手を差し伸べた。その手をつかんで立ち上がる秋赤音のからだは、世界の滅亡を、あるじの死を背負うにはあまりにも小さすぎた。


 必ず勝たなければ。そう改めてこころに決めて、ハルは秋赤音の小さな手を強く握った。

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