№9 スニーキング・ミッション

「……対象が動いたヨ」


 物陰で声を潜めるミシェーラに、倫城先輩と一ノ瀬がうなずき返す。その視線の先には、自宅から私服で出てくるハルの姿があった。


 そしてミシェーラたちは、街灯のまぶしい夜更け、いそいそと外出するハルのあとをつけ始める。


 ……影子の頼みだった。


 夜間のバイトをするというハルがどうしても心配で、しかし『影』である影子は夜の間は眠らなければならず、動けない。そこで、ミシェーラに密かに不安を打ち明け、様子を探るよう頼んできたのだった。


 ほかならぬあの塚本影子が、頭を下げてきたのだ。


 以前の一件でミシェーラたちとの間にあった一線は消えたとは思っていたが、まさかここまでこころを開いて相談してくれるとは。影子としても断腸の思いだろう。頼れるのは影子が『影』だと知っているミシェーラたちだけだ。


 影子に頼りにされている。その事実が、ミシェーラの背中を押した。


 正直、親友であるハルの尾行をするということに罪悪感がないわけではなかった。心配している、ということは、疑っている、ということだ。まさかハルに限ってそんなことはないだろう、とは思っていても、なにか後ろ暗いことを見つけてやろうと後をつけているのだから。


 なにごともなく終わればいいのだが、とため息をつきながら後を追うミシェーラたち。ちなみに、先輩や一ノ瀬にはミシェーラから相談した。


「ったく、なんで私たちがこんなこと……影子様のご命令じゃなければ絶対家帰って寝てたのに」


「……ところで、なんでこの服なんだ?」


 素朴な疑問を投げかける倫城先輩は、サングラスに黒いソフトハット、黒いスーツ、黒いネクタイと全身フォーマル黒づくめの姿である。ミシェーラと一ノ瀬も同じ格好だった。エージェントスミスかMIBか、といったところである。


 ハルを見失わないようにしながら、ミシェーラはつい語勢を強めて言った。


「何事も形から入るべきだヨ! 古来より尾行っていうのはこういうスタイルで行われてきたノ! 先人の作った様式美は踏襲しなきゃいけないんだヨ!」


「わかった、わかったから……」


 鼻息荒いミシェーラをなだめつつ、先輩もまたハルのあとを追う。


「ミシェーラ、それじゃバレる」


 物陰に隠れながらハルの背中を必死に見つめるミシェーラに、先輩の冷静な指摘が入った。


「エ? これじゃダメなの?」


 なにせ、ミシェーラは尾行の素人だ。その点、倫城先輩はそれなりの訓練を積んだプロフェッショナルだった。先の戦いで一線を退いたとはいえ、曲がりなりにも元『猟犬部隊』、尾行についても一家言あるようだ。


 先輩は人差し指を立てると、


「いいか? あんま対象に意識や視線を向けるな。科学的には立証されてないけど、気配ってやつはたしかにある。感づかれやすくなる。さりげなく視界の端に入れときゃいい」


「わ、わかった……!」


「それと、いちいち物陰に隠れながらついてったんじゃ逆に目立つし、疲れる。夜闇や人波に紛れるだけでいい。ただ、足音は立てるな。呼吸の音は風が消してくれるから、息を殺す必要はない。けど、足音ってのは絶対的にその人間特有のリズムのあるノイズだからな。いくら雑踏でも特定の足音ってのは気付かれやすい」


「……先輩、塚本のストーカーでもしてたんですか?」


 何も知らない一ノ瀬が冷たい視線を倫城先輩に向けると、先輩は照れくさそうに笑って、


「バレたか」


「うっわ、キモ」


 ばっさりと斬り捨てられながらも、先輩はさわやかに笑っていた。


 世を忍ぶASSBの高校生エージェントも、おそらく最後になる仕事でこんなことを言われるとは思ってもみなかったろう。


 先輩とこころもち距離を取る一ノ瀬も、なんだかんだでいつものメンツとして影子の願いを聞き届けようとハルを追っている。ミシェーラもそれに倣って、先輩の指南を受けながらハルの尾行を続けた。


 どうやらハルは住宅街を抜けて、駅前の繁華街へ行くようだ。夜の街では酔っ払いたちが陽気な笑い声を上げ、客引きのホストがミシェーラたちを怪訝そうに見ている。水商売らしい女が中年男性を腕を組んで歩くヒールの音が耳の奥に刺さった。


 こんな場所でバイトを? 居酒屋かなにか?


 どうかそうであってほしかった。


 しかし、ミシェーラの希望をよそに、ハルはどんどん繁華街の奥まったところへと歩いていく。


 やがて、薄暗い路地にネオンサインがまぶしく光るホテル街にやってきた。


 いわゆるラブホ地帯というやつである。


 いよいよイヤな予感がしてきたミシェーラたちの前に、決定的な光景が突き付けられる。


「……あれ……!」


 ミシェーラは思わず声を上げてしまった。


 ハルはラブホの前で待っていた女に片手を上げてあいさつをしている。きれい目の年上女子だ。ふたりともにこにこしながら談笑をして、ラブホの看板などを指さして見ている。


 そして、なんとふたりでそのラブホに入ってしまった。


 呆気に取られるミシェーラをよそに、抜かりない先輩はその様子をばっちりスマホのカメラに収めていた。


 そんな……あのハルに限って……!


 けど、たしかにハルは女性とふたりでラブホに入っていった。


 これはまさか、浮気というやつでは……!?


「決定的だな」


 無慈悲につぶやく倫城先輩に向かって、なぜかミシェーラが弁明を始める。


「まさか! なにかの間違いだヨ! ハルに限って、そんな……! 第一、あんなにカゲコのこと大切にしてたのに!!」


「いや、どうかな? 男ってのはそんなもんだよ?」


「つぅぅぅぅぅぅぅぅぅかぁぁぁぁぁぁぁぁぁもぉぉぉぉぉぉぉぉぉとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 冷静に事実を見詰める先輩に、影子に対する裏切り行為に怒髪天を突く一ノ瀬。


 ミシェーラはどうしていいかわからなくなった。


 ハルを信じたいことに変わりはない。


 しかし、目の前で起こったことはどう考えても……


「あいつ!! 八つ裂きにしてやる!!」


「落ち着け、一ノ瀬。ほら、ひっひっふー」


「ラマーズ法勧めてんじゃねーよ、この変態ホモストーカー!!」


 先輩にまで暴言を吐く一ノ瀬は、今にもハルを部屋から引きずり出して問い詰めそうな勢いだった。


 しかし、こんな場所に高校生がいると知られてはマズい。学校にでも通報されれば取り返しのつかないことになる。こちらには、進学を控えた倫城先輩がいるのだ。


 今この場で決着をつけることはできない。


 ミシェーラたちにできることは、ただこのまま帰って後日影子に結果を伝えることだけである。


 だが、こんなこと、いったいどうやって伝えたらいい……!?


「ひとまずは帰ろうぜ」


「……ウン……」


「一ノ瀬も、思い余って塚本に当たったりするなよ?」


「それくらいのことはこころえてます!」


 三人は、連れ立ってとぼとぼとした足取りで帰途に就いた。


 なんともフクザツな結果に終わってしまったが、こうなった以上、影子には真実を話すしかない。


 しかし、どの口で『ハルは浮気してます』と告げればいいのだ?


 あんなに仲良く登校してくる影子に対して。


 ああもう、ハルのバカ!!


 心中で頭をかきむしりながら、ミシェーラはげっそりと肩を落とすのだった。

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