№6 ハラに一物
そんな折、ふとにじりぐちが開き、長身の男がからだを折って入ってきた。
「あらあら、おらんと思ったらこんなとこにおらはったんやね」
「雪杉さん!」
「おひさしゅう、塚本ハル君」
長髪のスーツ姿は、かつて逆柳と敵対し、今は逆柳の右腕として暗躍している雪杉なぞるだった。ひょうひょうとした物腰で片手を上げてあいさつをする。
「雪杉、ここは茶室だよ。茶室では茶をたしなむのが最低限のマナーというものではないかね?」
「ほな、一杯いただきましょか」
ハルの下座に正座した雪杉に、逆柳が茶をたてる。これもまた、意地の悪いテストなのだろう。
差し出された器を手にして、雪杉は完璧な作法で茶を飲んだ。器を置いて、
「結構なお点前でした」
「ふむ……さすがだね、雪杉」
澄まし顔の雪杉に、器を引いた逆柳が感嘆の声を上げる。自分と同じステージに立つに値する人間、と評しただけのことはあった。
茶番に付き合ってお義理は果たした、とばかりにあぐらをかく雪杉は、くつくつと笑いながら、
「なに言うてますの。ここ僕の実家ですやん」
「実家!? 雪杉さんの!?」
「うん。ここらの山、全部僕んちのもんやし」
まさか雪杉の実家の茶室だったとは。そもそも、ずいぶん遠くまで飛ばすとは思っていたが、関西圏まで来ていたとは思わなかった。
驚くハルに口元を隠して笑う雪杉は、
「まあ、自宅やと思ってくつろいで」
無理難題を突き付けてきた。到底そんなことはできないとわかっているくせに、この大人たちときたら意地悪しかできないのか。
ひとりアウェーに立っている気分で、ハルはヤケクソのように煎茶を飲んだ。
三人で残った和菓子を囲み、上質な茶をいただきながら、茶会は進んでいく。
「……例の内部の敵の件だがね」
ぽつり、また逆柳が一歩大きく間合いを詰める。
茶菓子をつまみながら、
「要するに、私が主軸となった権謀術数が渦巻いているのだよ。『影の王国』という存在を利用した権力争いだ。私は普段、はかりごとをする側の立場だが、いざ自分がされる立場に立たされてみると、正直気分が悪い」
「……でしょうね」
あからさまにむっとしている様子の『閣下』に、なかば呆れたように同意するハル。その様子を見た雪杉はけらけらと笑って、
「僕らみたいなもんの気持ち、少しはわからはった?」
「ああ。本来、指揮官は盤上には上がらないものだからね。急に敵の手のひらに放り出されたような気分だよ」
「あーあ、これも次の策略に活かされるんやと思うと、僕もフクザツやわー」
ハルとしてもフクザツだった。が、口には出さずに湯飲みを口に運ぶ。
「健全な策略ならば私も悪い気はしない。いっそ拍手でも送ってみせるよ。が、どうにも今回の策略は不健全極まりない。敵である『影の王国』を踏み台にしてのし上がろうとしているのだからね。世界が滅ぶかもしれないという危機感もなく」
全員一丸となって取り組まなければならない問題を、自分の出世のために利用しようとしている敵がいるのだ。世界の危機は誰かが何とかしてくれるだろう、という甘い見通しで、自分ひとりだけが得をしようとしている輩が。
それは逆柳にとっては我慢ならない腐った存在だ。
「私とて、出世に興味がないわけではない。より強い権力を手に入れたいと思わないことはない。しかし、このやり方は間違っている。スマートではない。そして、スマートさに欠ける権謀術数は、必ず失敗する。それをやつらに思い知らせなければならない」
「そのために、僕もひと肌脱いで暗躍させてもろてますー」
「それは存じ上げてますけど……『対策本部』派とは共同路線を敷いたんじゃ?」
ハルが呈した疑問に、逆柳は眉間にしわを作ってうなった。
「そのつもりだったがね、どうやら『対策本部』派も、ハラに一物を抱えているらしい。煮え切らない動きでわかる。なにか、別のところに本心があるような気がしてならない」
逆柳にしては珍しく、抽象的で歯切れの悪い表現だ。
「完全な味方はどこにもいないのだよ。誰も彼もが疑わしい。そんな組織の中では、思うようなヒーローにはなれないものだ。同じ目的に向けて邁進できる仲間というのは、アニメやコミックの中だけのものだね」
煎茶をすすりながら、逆柳は軽く肩をすくめて見せた。和装でやるには違和感のある仕草だったが、逆柳らしくもある。
「それが大人というものなのかもしれない。白黒つけるわけでもなく、灰色でお茶を濁す。正しさなど些事なのだよ。だからこそ、子供である君に夢を託す。ぜひともヒーローになってくれたまえ。大人の勝手な都合だが」
その都合に付き合わされてはたまったものではない。しかし、ハルは夢を託されてしまった。ここまで来た以上、付き合わざるを得ないのだ。
すっかり冷めてしまったお茶を飲み干し、逆柳はあぐらを解いて和装の裾をさばきながら立ち上がった。
「さて、夜ももう遅い。こんな辺鄙な場所まで付き合わせて悪かったね」
「ひとの実家を辺鄙呼ばわりせんとってー」
「雪杉、君は実家に顔を出すのだろう。我々はお先に。また家まで送らせてもらうよ。おそらく夜が明けるころの到着だろうから、車中で眠るといい」
今から帰ると朝日が昇るころの帰宅となる。明日が休みで良かった。というか、こうなることを見越して休みの前日にハルを連行したのかもしれない。
……いや、そもそもこんな場所に連れてきたのも、もしかしたら『壁に耳あり障子に目あり』をおそれてのことだったのだろう。ここならば、まず誰の耳目もない。身内だけの空間で話しておきたいことがあったのだ。
にじりぐちから出ていく逆柳を追って、ハルもまた茶室を後にする。
大人に世界の命運を託されてしまったわけだが、さてどうしようか。
また高速に乗って帰る車中、ハルはうとうとしながら考えるのだった。
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