№5 茶室にて

 今、ハルはとある山奥の茶室に正座している。


 茶をたてているのは逆柳だ。『閣下』の和服姿、というか、私服姿を初めて見た。


 本日の放課後、帰宅したハルの家の前に乗りつけたミニクーパー。何ごとかと階下に降りると、運転席にはきちんと着込んだ和装の逆柳がいた。西洋車と和装のミスマッチはまたしてもこの男の意外な一面だった。


 なかば命令される形で助手席に座らされ、高速を飛ばすこと5時間ほど。すっかり夜になった山奥にたたずむ茶室に連行された。


 なにがなにやらわからない内に、今こうしているというわけである。


 正直足がしびれてきたのだが、とてもじゃないがそんなことは言い出せない。そもそも、お茶の作法なんてまったく知らない。とりあえず器を回して飲めばいいのか?


 沈黙の中ぐるぐると考えているハルに対して、逆柳はびしっと背筋を伸ばし、完璧な作法で茶をたてている。かしかしと茶せんの音が小さな和室に小さく鳴った。器もいかにも高級品の焼き物だ。


「……どうぞ」


 す、と茶器がハルの前に差し出される。ここにはハルと逆柳しかいないので、上座下座の順番の心配はしなくてもいい。緊張と共に器を持ち上げ、なんとなく数回回してから口をつけた。


 ……苦い。お茶の良しあしがわからないハルにとって、抹茶はただ苦いだけの液体だった。思わず顔をしかめ、慌てて繕う。


 全部飲んでいいのか悪いのかすらわからないので、飲み干して器を逆柳に戻した。


「……結構なお点前で」


 一応言っておかねばなるまい。それくらいのことは知っている。


 がちがちになっているハルに、ついに逆柳が口元にひとの悪い笑みを浮かべた。


「君はもう少し、こういったパブリックな場での作法を学んだ方がいい」


「……これもなにかのテストなんですか?」


「そんなところだ。作法はまったくなっていないが、なんとかそれらしい形を作ろうとする努力を評価して、及第点といったところだな」


 いつも通りの上から目線でそう評すると、逆柳はあぐらをかいた。やっと解放されると、それに倣ってハルも足を崩す。ほっと一息つくハルに、逆柳は今度は普通の煎茶をいれてくれた。


「もう肩ひじ張る必要もあるまい。茶菓子も良いものをたくさん仕入れてある。ここからはいつもの甘い密会だ」


 なるほど、恒例のアレか。わざわざ高速に乗ってまでここへ来て、いつものスイートな会談とは、なんだか肩のちからが抜けた。


 用意していたらしい和菓子はどれも上品そうなものばかりだ。桜をモチーフにした練り切りやすあま、三色団子に桜餅、いちご大福、あべかわやぜんざいまである。ちょっとした夜中の茶会だ。


 いただきます、と桜餅を頬張ると、たしかに品のいい甘さが口に広がり、桜のにおいが鼻に抜けてさわやかな気分になった。合わせて飲んだ煎茶も、きっといい茶葉を使っているのだろう、ほのかに甘みを感じる。


 練り切りを切り分けて口に運んだ逆柳も、茶を一口飲み、


「たまにはこういった品のある良質な甘味もいいものだ。いい砂糖を使っていると私の脳が言っているよ。和菓子は芸術品でもある、目で食し、舌で食し、二度おいしい。ああ、作法のことはもう気にしなくていい。好きなように食べてくれたまえ」


「……そうさせてもらいます……」


「和三盆にキビ砂糖……その菓子に合った砂糖を使用して、ひとつひとつ作られる和菓子はまさにマスターピースだ。職人のたましいを感じる。ある意味ひと口ひと口が重い。しかし、ジャンクな甘味とこういった甘味との緩急をつけて糖分摂取に飽きが来ないようにする。これぞ真の甘党というものだ」


「……そんなもんなんですか……」


 たしかに、いつもと違ったおいしさを感じる。が、スイーツはスイーツだ。そこに違いを見出せるものだけが、真の甘党を名乗れるのだろう。


 逆柳の弁舌も慣れたもので、いわばこれから脳と口をフル回転させるための試運転のような行為だ。あれやこれやとご高説を賜っている内に、和菓子は少しずつ消費されていった。


 残り少なくなった茶菓子をつまみながら煎茶を飲み、次第にこなれた空気が形成されていく。これも逆柳の術中だ。


「……ところで、そろそろ決戦の頃合いだね」


 核心に斬り込んだ逆柳は、湯飲みを片手にあくまで自然に続けた。


「正直、策はない。いや、ヒトとしてのカテゴリが違う我々には、『影使い』……『影喰い』に対抗する策というものは存在しえない」


「なんだか、超人みたいに言ってますけど、『影使い』だって普通の人間ですよ」


「それは承知している。人間である以上、食べなければならないし、眠らなければならないし、排泄行為も必要だ。その隙を突くこともできるが、ことはもはやそういう次元ではないのだよ」


 お茶を飲み切った逆柳は新しい湯を沸かしながら、


「今この瞬間、世界がモノクロームに沈んでもおかしくはない。何もかも『モダンタイムス』の胸先三寸で決まる段階だ。『影使い』には『影使い』でしか対抗できない。投げっぱなしだと呆れてくれていい。しかし、我々にはもう、そうすることしかできないのだよ」


「…………」


 逆柳の言うことももっともだった。むしろ、これまで『影使い』……『影の王国』を相手どって、対策本部はよくやってきたと思う。『影使い』でもなんでもないただの人間の身で、出来る限りの最善を尽くしてきた。


 しかし、それにも限界がある。『影使い』……いや、『影喰い』である『モダンタイムス』が『影』たちの集合的無意識に呼びかけることを止めるすべはない。


 止められるとすれば、それは同じ『影使い』であるハルしかいないのだ。


 その言葉を重く受け止めているハルに、逆柳は握手の代わりにいれたての煎茶を差し出した。


「……世界を頼んだよ、塚本ハル君。」


 とんでもないものを背負わされたものだ。ハルはまだ16歳の子供でしかないというのに。


 しかし、今のハルには神妙にうなずくことしかできないのだった。

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