№2 グッドモーニング・アワー

「オーハヨ、ハル、カゲコ!」


「おはよう、ミシェーラ」


 いつも通り真っ先に駆け寄ってきた金髪の少女に、ハルは片手を上げてあいさつを返す。もう片方の手は影子とつないだままだ。


 それを認めたミシェーラは、すすす、とハルににじり寄り、


「今日も今日とてラブラブですネー、オフタリサン! ひゅーひゅー! にくいヨ、この!」


 昭和の小学生のノリで茶化してきた。


 以前の影子なら躍起になって否定していただろうが、今の影子は違う。


 わざわざつないだ手を見せびらかすようにして、ふふん、と笑い、


「いいだろ、こいつの首輪はアタシが握ってんだ」


「君がそう言うとなんだかアブノーマルな感じするな……まあ、間違いではないけど」


「あ、認めたー! お熱いことですネー!」


「そういうことなら、僕だって君の首輪を握ってることになるけど?」


「んん? そうだよ? アンタがワンって鳴けって言ったら鳴くけど?」


「言わないよそんなこと」


「おはようさん、塚本」


 三人で騒いでいると、ふとハルの背後から首に腕が回された。障害が残ると言っていたが、この足音のなさから察するに、リハビリは順調なのだろう。


「おはようございます、先輩」


「今日も塚本に会うためだけに登校する俺……健気だよな?」


「ポイント稼ごうとすんな。お前もうガッコ来なくていいだろ、駄犬」


「俺にもいろいろあるんだよ。もちろん、一番の目的は塚本に会うことだけどな」


「もっぺん生死の境をさまよってみっか? んん?」


「ははっ、やっぱ正妻は言うこと違うなー。これくらいのコミュニケーションくらいは許してくれよ、正妻の寛大なこころでさ」


「……んん……」


 見事に倫城先輩に丸め込まれて、影子はそれ以上の口を差し挟めなくなった。ハル以外に影子を完封できる人間が現れようとは。


「そういうわけで、昨日お前で抜いたときの妄想、聞くか?」


「るっせそこでひとりさみしくマスかいてろバカ犬。こいつなんて昨日、アタシで三回も抜いたんだぜ、三回も!」


「影子、あんまり大っぴらに回数まで言わないでくれるかな!?」


「初めてバージョンと仲良しバージョンと無理矢理バージョンあるんだけど?」


「てめえも三回かよ!」


「ねえ、それ朝っぱらから大声で語る話題じゃないよね!?」


「おはようございます影子様ー♡」


 話を中断させたいと思っていたところ、ちょうど折良く一ノ瀬が影子に飛びかかってきた。それを華麗にかわし、一ノ瀬は顔面から地面に突っ込む。


 その後頭部を、げし、と足蹴にして、


「ずいぶんとナマイキに人間サマのあいさつするようになったじゃねえか、メス豚が。てめえに人語なんて上等なもん教えた覚えはねえけどなあ?」


「はい、私は豚語をしゃべります♡ ぶひぶひ♡」


「いいザマだな。おっと、今頭上げんじゃねえぞ? アタシのぱんつ見ようったってそうはいかねえからな」


 その瞬間、一ノ瀬は血走った目で影子のスカートの下を確認した。


 途端、影子のかかと落としが脳天にきまる。


「……く、黒ヒモ……」


「おーい、そこのいち男子高校生、こいつ保健室に運んどいてくれや」


 遠巻きに見ていた生徒のひとりを呼びつけて、ダイイングメッセージを残してちから尽きた一ノ瀬を保健室贈りにする。


 ひと仕事終えた、とばかりにいい笑顔で額の汗をぬぐい、


「んん! 奴隷イジメは日々の清涼剤!」


「ちょっとは一ノ瀬にもやさしくしてやりなよ……」


「っつうか、あれでやさしくしてるつもりだから。現にあいつ、よろこんでたじゃん」


「それはそうだけど……」


 ドМと化した一ノ瀬が、かつてハルをいじめていたグループのボスギャルだったことは、もう誰も覚えていないだろう。


「ん、行くぞ」


 ハルの手を引いて校舎へと向かう影子。手をつないだままのハルに、ミシェーラが架空のマイクを差し出してインタビューに臨む。


「塚本ハルさん! いいですね、自慢の彼女ですね!」


 そんな言葉に、ハルは目に見えないマイクに向かってにっこり笑って答えた。


「うん、最高の彼女だよ」


「だろ?」


 一瞬だけ、ミシェーラが少しさみしげな笑みを浮かべた気がしたが、すぐに影子が割って入ってきてうやむやになってしまう。次に見たときには、いつもの快活な笑みに戻っていた。


 そうやって、みんなでわいわいしながら教室へと向かう。


 一見以前と変わらない非日常的日常だが、影子が引いていた一線が消えてることは明らかだった。ミシェーラや先輩とバカ話をして大笑いしている影子は、もう自分ひとりで背負うことはやめたようだ。


 いや、やめた、というより、あきらめたというか。


 リアルは影子ひとりでは到底抱えきれたものではないし、なにより抱え込ませまいとまわりに怒られる。いくら拒絶されようともその一線を乗り越えようとしてくるまわりの人間によって、影子は『頼る』ということを覚えたのだ。


 なんの損得勘定もなしに助け合える仲間がいる。


 そう胸に刻みつけられて、影子はようやくハルたちの群に溶け込んだのだ。


 すっかり打ち解けた様子でミシェーラとないしょ話をしたりしながら、教室へたどり着く。一ノ瀬も、一限までには戻って来るだろう。


 ホームルーム前特有のそわそわした気配に包まれる教室の中で、三人は飽きることなく話をするのだった。

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