№35 通夜

 残念ながら、ハルのささやかな願いは叶わなかった。


 目が覚めるとそこはいつもの自室で、ぼんやりと天井を見詰めていると、ハルの目覚めを見透かしたように携帯が鳴った。


 応答すると相手は逆柳で、今夜久太の通夜があるので制服を着て参列したまえ、とのことだった。


 通話を切って、またしばらくぼんやりする。


 通夜。こういった日常的といえば日常的な催しが開かれるとなると、あの非日常の中で散っていった久太の死が生々しいくらいリアルに感じられた。


 久太は死んだのだ。


 おそらく遺体もなく、親族にはASSBから適当な理由を説明され、わけもわからない内に葬儀が行われるのだ。


 ハルはそういった非日常に立っているのだと、改めて実感する。


 いつ自分がそうなってもおかしくない、実際なりかけていたところを、久太が身代わりになったのだ。まだ受け入れられていないが、久太はハルの代わりに死んだ。それは事実だ。


 それなのに、どの面下げて通夜になど参列すればいいのだろうか。


 しかし、行かないわけにもいくまい。


 もう夜が始まっている中、ハルはもそもそと制服に着替えて部屋を出た。


 用意周到に送られてきたマップを参照して、葬儀場へとやって来る。久太の家は案外近所だったらしく、葬儀場にもすぐ来れた。


 通夜のマナーなど、予習して来ればよかったと後悔しながらも、まわりの人間に倣って記帳をし、香典を渡し、式場に入る。


 小さなホールには、親族らしき人間がちらほらいるばかりだった。久太の友達らしき同年代の少年少女はどこにもいない。


 薄暗がりの中横たえられている棺の中は、おそらく空なのだろう。窓は開いていなかった。菊の花で飾られた遺影の中の久太は、らしくもなくはにかんだ笑みを浮かべていた。


 なんだよ、そんな顔して笑ったことないだろ。


 いつもぶっきらぼうで、乱暴で、でも意外と繊細で気配りができて。今よりまだ少し幼い久太の遺影は、ハルの胸に深々と突き刺さった。


 焼香を済ませ、ロビーへ出ると、いつの間にか窓の外では雨が降り出していた。数人のスタッフや親族の靴音以外無音で、雨の音がやたらに響く。


 ベンチに座って脱力していると、ふと目の前に靴先がふたつ、止まった。


「……今回は大変だったね、塚本ハル君」


「君にも、ご愁傷さまでした、って言うたらええんかな?」


 見上げれば、逆柳と雪杉が並んで立っている。いつものスーツとは微妙に違う、仕立ての良さそうな喪服だ。ふたりとも、もう焼香は済ませてきたらしい。


「……ああ、どうも」


 どこまでもうろんげな意識の中、ハルは挨拶を返した。その様子を見て、重症だな、とふたりは顔を見合わせ、重いため息をつく。


「僕、なんか飲み物買うてくるわ」


 気を利かせたらしい雪杉がその場からいなくなると、逆柳は珍しく気を遣うように尋ねる。


「隣、いいかね?」


「ええ、どうぞ」


 ベンチの隣を譲ると、逆柳はそこへ腰を下ろし、膝の上に肘を乗せた。


 こめかみに人差し指を当て、言葉を探しあぐねているところもらしくない。


「……あいにく仕事柄、お悔やみの言葉というのも言い慣れてしまっているものでね。今ここで君相手に言うにはいささかヤボな気がする」


「要りませんよ、そういうのは」


「ありがたいよ。故人の思い出を語るには、君が見ていた長良瀬久太君と、私の見ていた長良瀬久太君ではまったくの別物だ。思い出は共有できない」


「そういうのも、いいです」


「……君は、自分がひどい顔をしていることを自覚しているのかね?」


「僕はいつも通りですよ?」


 すんなりと返すハルに、またしても逆柳は深々とため息をついた。逆柳が目に見えて気を遣うくらいだ、きっといつも通りではないのだろう。しかし、その自覚がハルにはなかった。


「では、実務的な話をしても?」


「どうぞ」


 ハルが促すと、逆柳は一拍置いてから、


「今回は強行発進だったが、『対策本部』派とのコンタクトも取れて、世論の後押しも得ることができた。君たちの逃亡は想定外だったがね。結果的に、『ライムライト』を引き出し、勝利し、敵の牙城を崩すことができた」


「…………」


「我々対策本部としても、長良瀬久太君を失ったのは痛い。いち『影使い』としてもそうだが、『影の王国』の元『七人の喜劇王』ともなれば、なおさら……」


 その文言を聞いているうちに、ハルの中で、かっ、と何かが燃え上がる。


 気が付けば、ハルは逆柳の胸倉をつかんで下からその眼鏡の奥の冷たい瞳を睨み上げていた。


「自分たちの都合で、久太を語るな……!! あんたからしたら、ただの駒のひとつに過ぎないかもしれない、けど、久太は……久太は……!!」


「……落ち着きたまえ」


 あくまでも冷静な逆柳になだめられ、ハルの感情の温度が急激に下がっていった。胸倉から手を離すと、すとん、とベンチに座り、元通りの表情で、


「……すいません、突然……」


「……いや、私の発言も不適切だった、すまない。ともかく、対策本部としても、この一戦で失ったものは大きい。だが、得るものもあった。君と『モダンタイムス』との面会で、敵の真の目的や手段はつかめた。そのタイムリミットもね。ゆえに、より綿密なプランを練ることができるようになった」


「対策本部は、今後どう動いていくんですか?」


「『対策本部』派と連携して、反『対策本部』派をけん制しつつ、世論を巻き込み大手を振って『影の王国』に攻勢を仕掛ける……ことができれば最良なのだが、いかんせん『対策本部』派が日和見主義の引け腰で、正直戦力としてカウントできない状態でね。今後どうやって反『対策本部』派の妨害を避けて作戦行動を取れるかがカギとなってくる」


 逆柳は一旦そこで話を切った。雨音がしずしずと暗い窓の外を濡らしている。


 沈黙が気まずくなる前に、飲み物を買いに行っていた雪杉が戻ってきた。


「ただいまー。ほい、みんな大好きココアやでー」


 飴ちゃんを配るおばちゃんのような気さくさであたたかいココアを手渡され、ハルはそれがブラックコーヒーでなかったことに安心した。


 ふたを開けて口をつけると、逆柳が再び口を開く。


「……もしかしたら、この組織と私とでは、根本からの在り方が違っているのかもしれない。こういった派閥争いの渦中にいると、心底拒絶されているような気分に陥るよ。内輪揉めをしている場合ではないというのに、人間というのは外敵から身を守るよりも、身内と争う方を優先してしまう生き物らしいね」


「……それは、わかる気がします」


 共にココアを飲みながら、愚痴めいたものを聞く。逆柳とて、公務員でサラリーマンなのだ。上下関係があり、派閥争いがあり、出世競争がある。今回のことでそれがより鮮明に浮き彫りになっただけの話だ。


「僕もわかるわ。いろいろ暗躍しとると見えてくるもんがあってね、単純にみんなちからを合わせて敵を倒して大団円、っちゅう風にはならんのよ。『影の王国』と戦うよりも、内部抗争の方がずうっとどろどろしとってイヤになるわ」


「……お察しします」


 目を合わせないでハルが頭を下げると、雪杉は苦笑いで返した。


 早々にココアを飲み干した『閣下』は、立ち上がりざまふと一言こぼす。


「……私も、今後の身の振り方を考えた方がいいのかもしれないな」


 それはどういう意味か、問いかけるよりも先に、空き缶をゴミ箱に入れた逆柳は雪杉と連れ立って、


「それでは、塚本ハル君。また近いうちに会うことになるだろう。それまでに、その薄気味悪い表情をなんとかしておきたまえ」


 それだけ言って、ふたりはその場を辞した。


 ひとりになって、ぬるくなったココアの缶を手で包みながら、先ほどの逆柳の言葉に思いをはせる。


 あのひとならどこへ行ってもやっていけそうな気がするが、正直ASSBでない逆柳というのも想像ができない。出会いがああだったから想像できないだけなのかもしれないが、正義と理想に満ち、しかし清濁併せ吞むこともできる逆柳は、ASSBにぴったりの人物像だと思ったのだ。


 叶うなら、このまま『対策本部』派と共に反『対策本部』派を押さえつつ、残された難局を打開してほしいものだ。


 ハルたち『影使い』は組織ではない。『影の王国』という組織……と言っても、もう組織のていを成していないのだが、ともかく個人で戦うには難しい敵に対抗するには、組織のちからが必要なのだ。


 逆柳たちASSBのようなサポートがなければ、この戦争は終わらない。事態は子供同士のケンカのレベルを超えてしまっていて、大人の介入が必須となってくる。


 ちからに対抗するのは、そのちからに見合った形のそれでなければならない。


 なので、今逆柳にいち抜けされてしまっては困るのだ。


 さすがに、逆柳も無責任に放り出したりはしないだろうが。


 ……今考えられるのはそれくらいだ。


 どうも考えがうまくまとまらない。


 なにを考えていても、遺影の中ではにかんで笑う、見たことのない表情の久太のことを思い出してしまう。


 消化しきれない感傷が、ハルの中にわだかまっていた。

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