№28 ひとつになっちゃえ

 …………。


 ふいに冷静になって考えてしまった。


 仲直りをして、夕暮れの中抱き合うふたり。ここは密室で、何ならベッドの上だ。恋人とふたりきりでベッドの上で抱き合う。これの意味するところとは?


 答えを出す前に、影子はハルの胸倉をつかんで引っ張るようにあおむけになった。ハルが強引に影子を押し倒すような格好になる。格好だけだが。


「かっ、影子!?」


 自然と声が上ずる。影子はハルの下敷きになりながら、頬を赤らめ小声でつぶやいた。


「……ここまでやって、まだその気になんねえのかよ、いくじなし」


 その大胆かつ繊細な行動に、思わずきゅんと胸を射られたハルは、音を立てて唾を飲み下した。


 ……つまり、今がそういうとき、ということか。


 ここで勝負を下りれば男の沽券にかかわる。それに、影子に恥をかかせることになる。覚悟を決めろ、塚本ハル。


 震える手で赤いマフラーをほどき、するりと黒いセーラー服のスカーフを抜き取った。


 軽く空いた胸元からは、ふっくらとしたデコルテがのぞく。白くて、やわらかくて……


 ハルの中で理性が音を立てて焼き切れた。


「あっ、こら……!」


 焦ったような声を上げる影子に構わず、もどかしげな手つきでセーラー服のジッパーを下ろす。はぎとるように上を脱がせて、スカートもホックを外して取り去ってしまった。


 あとには、黒いレースの下着姿の影子が残された。海に行ったときにも思っていたことだが、脱ぐとけっこうすごい。そんな影子が、もじもじとからだをくねらせながら、恥じらいのまなざしでちらちらハルを見上げている。


「……抱けよ、童貞」


 精いっぱい挑発しているつもりらしいが、逆効果だ。いや、効果抜群、と言った方がいいか。


 身もこころもすっかりがちがちになったハルは、影子のくちびるをむさぼるように奪った。何が正しいのかはわからないが、思うがまま、影子のことを暴きたかった。


「……ん、う……!」


 鼻にかかった声を漏らしながら、影子が応じる。舌をねじ込むと、影子の舌がちろちろとその先端をくすぐった。たっぷりと口腔内を味わい尽くし、互いのくちびるの境界線があいまいになるほど、何度も、何度もくちづけを繰り返す。


 そうしながらもからだのラインに指を這わせると、影子の肌は熱く火照っていた。傷ひとつない素肌が紅潮している。


 きれいだ、と素直に思った。紙のように白い肌は吸い付くようで、なめらかで、やわらかい。そして何より、こころの奥底にまでしみ入るほどにあたたかかった。


 自分は今、恋をしている。


 流れ星のように燃え盛る、一瞬の恋を。


 影子を感じながら、ハルは泣きそうになった。


 これじゃ足りない、もっともっと影子が欲しい。皮膚一枚の隔たりが何千光年にも思われた。気がせいているのにどうしていいかわからなくて、やきもきして仕方がなかった


 ズボン越しにごつごつした隆起が影子に押し当てられている。それを自覚して、ハルは情けなく笑った。


「……ごめんね」


「……いいぜ。なあんも考えんな。欲望のままに、バカになろうぜ」


 謝るハルに、ちゅ、と小さく口づけて笑う影子。


 夢中になってキスをして、からだのあちこちを触って、感じて。


 そんな時間に、ふたりは耽溺していた。


 少し性急かと思われたが、もう我慢がきかない。ハルは影子の背中に手を回し、ブラのホックを外そうとした。


 …………。


 ……そもそも、ブラってどういう構造になってるんだ?


 どうやったら外れるんだ?


 ここをこうして……


 ……いや、こうかな……


 あれこれ試行錯誤しているうちに、ふたりの間にあった勢いはゆっくりと温度を失っていく。


 焦れたハルは、とうとう頭を抱えて叫んだ。


「ああああああああああ!! もう!! どうして僕は童貞なんだ!?!?」


 これくらい大げさに嘆いても罰は当たるまい。頭をかきむしって焦燥感に駆られるハルの様子を見て、影子は小さく吹き出した。


 もはや完全にそういう雰囲気ではなくなっている。


 意気消沈するハルをやさしく抱きしめ、影子は一瞬で黒いセーラー服姿に戻った。


「ま、童貞卒業はまだ先ってこったな」


「……君だって処女のクセに」


「アタシはいいんだ。処女は尊いもんなんだぜ?」


「……言っとくけど、君以外で卒業するつもり、ないからね?」


「ったりめえだろ」


 にやり、と笑って、影子は挑戦的にそう返した。


 ハルがどくと、影子はベッドの上から降りる。この高ぶりをどうしたらいいかわからなかったが、とりあえず今夜も妄想の中の影子の世話になろう。


「全部ケリがつくまでお預けだな」


「……みたいだね」


 ため息といっしょに笑声をこぼすハル。


「そっちの方がいいんだ。すべてが終わるか、続いていくか。僕は、君と続く道を歩いていくよ。君をお嫁さんにしないといけないしね」


「ん」


 短く答えた影子は、ハルの頬にくちびるを触れさせた。もうそろそろ『影』が眠る夜がやって来る。


「おやすみ、影子」


「ん、おやすみ。また明日な」


「君のからだの感触はわかったから、今夜の妄想のリアリティはぐっと高まると思うんだ」


「るっせんなこと口に出して言うな恥ずかしいんだよバーカ!!」


 余計な一言だったようで、影子は逃げるようにハルの影に戻っていった。


 ……どうやら、逃した魚は相当大きいようだ。


 しかし、これで戦いへのモチベーションが上がったというもの。


 我ながら現金だな、と思いながらも、ハルは早速妄想の世界に足を突っ込み、先ほど触れた素肌の記憶にずぶずぶと溺れていくのだった。

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