№25 舌戦、再び
パイプ椅子。手錠。簡易トイレ。
それしかない真っ白な密室に隔離され、ハルはふと、今何時くらいだろうと思った。窓もついていない部屋でスマホも時計も没収され、時間などわかるはずもない。
室内は『無影灯』で照らされており、影もない。影子も出て来られない、完全なるアウェーだ。おそらくこの部屋は、『影使い』監禁用に特化された独房なのだろう。
ハルは待っていた。
一縷の望みを託して、ただ時が来るのを待っていた。
……やがて、独房の扉が開かれる。
「この私を呼びつけるとは、君もずいぶん偉くなったものだね、塚本ハル君」
秘書の女性を連れて、神経質そうにメガネの位置を直しながら逆柳が現れた。連日の捜索で疲れ切っているのだろう、少し頬がこけている。
まずは、第一関門突破、といったところだろうか。
「なにか申し開きはあるかね?」
秘書が後ろ手に扉を閉め、逆柳はパイプ椅子に座るハルを見下ろして冷たく問いかけた。その目はいっしょにスイーツを食べていた時のそれとはまったく違っていた。
「……言いたいことはわかります。ただ、僕の話も聞いてください」
「聞くに値しない、と言ったら?」
当然の反応だった。この密室に足を運んでくれただけでもありがたいのに、その上話まで聞けというのだから、自分もたいがい図々しい。
しかし、わざわざここまでやって来たということは、ハルに何かしらの用事があるということだ。まだ久太は逃げ回っている。そして、こちらには『影の王国』に関する情報があった。
手札はそろっている。賽は投げられた。
「だったら、僕と影子だけを拘束してください。久太は『影の王国』に帰します。監禁されて自由を奪われるよりはマシだ。いいんですか? せっかくの『影使い』をまた失って」
「…………」
「それに、僕は逃亡中に『モダンタイムス』、そして新しい『七人の喜劇王』に接触しました。その意味が分かりますよね?」
逆柳にしてみれば稚拙な挑発だろう。が、あえて逆柳はそれに乗ってきた。いや、乗らざるを得なかった。
「この私を相手取って、脅迫かね?」
「いいえ、これは交渉です」
0.01ミリほど不機嫌そうにする逆柳に、ハルはきっぱりと言ってのけた。
「自分の手札を切って相手と対峙する。あなただって散々やってきたことじゃないですか、『閣下』」
一丁前な口をきくと我ながら思うが、これくらい高飛車に出て損はない。
逆柳は目を細めてハルを見詰めた。氷のような観察眼が頭のてっぺんからつま先までを通り過ぎていく。それでもハルは、胸を張って答えを待った。
「……話を聞こうではないか」
やがて、逆柳の口からそんな言葉が漏れた。どうやらハルと同じテーブルについてくれるらしい。第二関門突破。
秘書に何かを耳打ちされてうなずき返し、逆柳は腕時計を見た。なにか差し迫った会合でもあるのだろうか。それとも、これもハルにプレッシャーを与えるための計算された仕草なのだろうか。
「まずは、『影の王国』……『モダンタイムス』から聞いたことを、ありのままにお話しします。『モダンタイムス』のタイムリミットと、真の目的を」
そうして、ハルは『モダンタイムス』との『サミット』で知り得た情報、そして『ライムライト』との接敵を洗いざらい逆柳に説明した。
すべてを聞いた逆柳は、一切の動揺を見せずに顎に手をやった。
「……ふむ、なるほど。そういう事情があったか」
ある程度は予想がついていたように振る舞っているが、ハルの持ってきた情報は貴重なものだったに違いない。手にした情報を頭の中で整理する逆柳は、少しの沈黙を挟んでから、
「しかし、そうなると君が長良瀬久太君を『影の王国』に帰すメリットがなくなるが?」
しまった、手札が一枚破られた。さすが逆柳、抜かりのないロジックだ。
「幽閉生活を送るか、『モダンタイムス』に始末されるかの二択です」
大胆にハッタリをきかせて、ハルは断言した。
「それに、久太はもうこちら側に戻ってくる意志を固めています。ASSBは敵対しない『影使い』は保護してくれるんでしょう? その上で監視なりなんなりすればいい。そうすれば、僕が久太を『影の王国』に戻す必要もなくなる。久太の一件さえなければ、僕だってなんのわだかまりもなくあなたたちの側で戦える」
「……ふむ……」
考え込む逆柳を向こうにして、ハルは最後のひと押しに出た。
「いいですか? 事態はもはや、駒取り合戦じゃなくなってきてる。今は少しでも多くの『影使い』を確保して、『モダンタイムス』の企みを阻止すべき時なんじゃないですか?」
「…………」
「大人には大人の意地ってものがあるのかもしれませんが、それ以前に、あなたは『正義の味方』でしょう。正義のためならなんだってする、そういう見境のない男。それが逆柳律斗、あなたという人間のはずだ。必要ならばグレーな取引にも応じ、清濁併せ呑む。あなたはそういう男でしょう」
「……つまり、『モダンタイムス』の情報と、長良瀬久太君の身柄と引き換えに、今回の一件は水に流せ、と?」
「大まかに言えばその通りです」
探るような視線がハルを貫く。あくまでまっすぐにそのまなざしを見つめ返し、ハルは慎重に沈黙を保った。
切れる手札はすべて切った。あとは逆柳の意向次第だが……
逆柳が、ふいに口端を吊り上げる。ふっと小さく笑って、
「君との舌戦も久しぶりだね」
「どうでしたか?」
「65点。及第点以上、といったところか。いち高校生にしては十二分だ」
「じゃあ……!」
顔を明るくするハルに対して、逆柳はあくまで冷静にうなずいた。
「よかろう。長良瀬久太君がこちらに害成す存在ではないと判明した以上、手荒なマネはしたくない。穏便に保護することを約束しよう」
事実上の休戦協定だった。ハルは手錠をかけられた両手で静かにガッツポーズをする。
「その代わり、新『ライムライト』掃討作戦にも協力してもらう。実際に接敵したのは君たちだけなのだからね。共同戦線復活というわけだ。握手でもするかね?」
「……その前に、これ、外してくれませんか?」
じゃら、と鎖の音を立てて、ハルは手錠を差し出した。秘書がやってきて、すぐに鍵を外してくれる。精神的な拘束がなくなって、ハルは初めて肩の荷が下りたような気がした。
「すぐにでも久太に知らせます。僕のスマホを持ってきてください」
またしても秘書が一礼をして、その場を辞する。スマホを持ってきてくれるようだ。
ふたりきりになって、逆柳は深々とため息をつき、眉間を指で揉んだ。
「……なぜ、そこまでする?」
「なぜ、って……友達ですから」
ハルが当然のように言うと、逆柳が肩をすくめる。
「理解しがたいな。私は昔から友達がいないものでね」
「……雪杉さんがかわいそうですよ」
呆れたように笑うハルに向けて、いぶかしげな顔をする逆柳。どうやらまったく自覚がないらしい。
「なんでもないです。連絡が取れ次第、久太に合流するよう伝えます。そのときは、お願いしますよ?」
「安心したまえ。私は約束を反故にするような男ではない。そうだろう?」
「たしかに」
やがて秘書が持ってきたスマホで、逃亡中の久太に連絡を取った。事情を説明し、ASSBが保護を約束してくれたと伝えると、久太は心底ほっとしたようなため息をついた。もう限界だったのだろう。
久太はすぐにASSB本部に出頭した。改めてその姿を見ると、心身ともに憔悴しきっていることがよくわかった。やはり、あそこで勝負に出てよかった。
合流し、逆柳と簡単な話をしてから、ハルたちはASSBと『影使い』たちの『ライムライト』掃討についての作戦会議をするために再び集まることとなった。
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