№23 僕の友達
その後数日は、ふたりきりの逃亡生活を過ごした。落ち着けそうな場所を見つけてはそこを拠点として食料を調達し、眠り、翌日には痕跡を消して別の場所を目指す。その繰り返しだ。
今までは影子がいっしょにいたが、影子も『メイド』もあれだけのダメージを受けたのだ、しばらくは影から出られず回復に専念しなければならない。
ということは、『影』のちからには頼れないということだ。
『ライムライト』もきっと、今度は『影の王国』の『七人の喜劇王』のひとりとしてハルたちのことを追ってくるだろう。そうでなくとも、個人的にハルたちをぶっ殺したがっているに違いない。『影』が使えない今、追いつかれたら対応しきれない。
それに、ASSBの包囲網も着実に狭まってきている。あちこちに検問所が設けられ、道路網鉄道網も監視され、上空にはヘリ。この鉄壁は容易には突破できない。
逆柳の猟犬たちに追い立てられているような気分に陥った。『閣下』のことだ、いずれはハルたちを追いつめることだろう。
『ライムライト』が先か、逆柳が先か。
どっちにせよ、ハルたちに残された時間は少ない。
『影使い』同盟が崩壊し、パワーバランスが崩れた今、その少ない時間を逃げて消費しているばかりだ。このままでは終わりは目に見えている。
なんとかしなければ。ハルはそればかり考えていた。
「……おい……おい!」
はっと我に返ると、そこには食料のビニール袋をさげた久太が立っていた。そういえば、買い出しに行ってからそれなりに時間が経っている。
ハルたちは今、山奥の廃校にひそんでいた。夜になり、とりあえずは『ライムライト』の襲撃は心配しなくていいようになる。ASSBは相変わらず捜索を続けているだろうが、昼間ほど活発ではないはずだ。
夜の廃校の教室のひとつには、ぼろぼろの机やいす、ロッカーが散らかっていた。さいわいにも割れていなかった窓からは満月の光が差し、火をともさずともある程度は明るい。
「……ああ、ごめん。考え事してて」
「またそれかよ。考えすぎなんだよ、お前は」
とりまメシ食おうぜ、とおにぎりやサンドイッチを広げ、残っていた椅子と机を使って食卓を作る久太。投げてよこされたペットボトルのお茶をキャッチして、困ったようにハルは笑った。
「だって、みんな考えなしなんだから、僕くらいは考えなくちゃ」
「お前が頭いいのはわかってっけどさ、なにもかもひとりで背負い込むんじゃねえぞ。バカにはバカなりにできることがあるんだぜ」
おにぎりを食べながら、久太がそんなフォローを入れる。
ハルもいすに座り、サンドイッチをかじり始めた。
しばし、無言の時が過ぎる。
「……なあ」
月の光に照らされた久太の横顔は、どこか思い詰めたような色を宿していた。それが不安で、ハルは返事をしなかった。
お構いなしに、久太が続ける。
「俺を置いて、お前ひとりで帰れ」
やっぱり、そう来るか。ハルはガンコに沈黙を貫き、拒絶の意を示した。それを汲んでか汲まずか、久太は説得するように、
「今ならまだ、お前だけなら許してもらえる。もともとお前は向こう側の人間だ。きっと迎え入れてくれる。けど、俺は違う。どっちつかずの立場じゃ、許してもらえない」
「…………」
「お前はやさしすぎんだよ、ハル。そんなお前が、俺なんかのために犠牲になる必要なんてない……こんな、許されない人間なんかに」
「それは違うよ、久太」
とっさに言葉が出てきた。鈍いあきらめを孕んでいた久太の目が、丸く見開かれる。ハルはまっすぐにその目を見詰め、判決を言い渡すような声音で伝えた。
「僕はそんなにやさしいやつじゃない。今だって、最悪君が監禁されて僕が内部から逃がすプランも考えてた。僕はズルくて、卑怯で……まあ、そういった人間なんだよ」
「けど、ハル」
「聞いて、久太……でも、君を逃がしたのは、君に恩を売りたいだとか、『影の王国』に近づきたいだとか、そういう動機があってのことじゃない。僕は、ずっと後悔してたんだ……あのとき、僕は君を救えなかった。友達を、みすみす間違った道へ行かせてしまったんだ。僕の言葉が足りないばかりに」
切々と語るハルに、久太の表情が苦みを帯びていく。どんな慰めの言葉も、どんな釈明の言葉も、どんな擁護の言葉も、今の久太にとっては痛いばかりだ。どれも逆に久太を責めさいなむ。
それでも、ハルは続けた。
「だから、今度こそ言葉が届いたそのときは、絶対に守ろうって決めたんだ……もう二度と、友達を失いたくない。それだけなんだ」
「……ハル……」
月光に満ちた水族館のような廃校の教室で、ふたりはしばらく無言で見つめ合っていた。
やがて、久太が口を開く。
「……友達、か」
少しの哀愁を含んだ笑みを浮かべ、つぶやく。
「なあ、ハル」
「なに?」
「なんでよくも知らない俺のこと、友達だって言ってくれるんだ?」
まさしく、素朴な疑問だった。
虚を突かれたハルは、思わずきょとんとしてしまう。
「……なんで、って……それは……うん、考えたことがなかった」
「なんだよ、それ」
くく、と久太が笑う。少し緩んだ空気の中、ハルは椅子の背もたれにからだを預け、くてっと足を伸ばした。
「けど、友達ってそういうものじゃない? なにか明確な理由があって成立する関係って、友情とは違う気がするんだ。そうだな……しいて言うなら、出会ったあの日、『このひととなら友達になれる』って思ったから、かな。理由はそれで充分だろ?」
「……たしかに」
顔を見合わせて、ふたりは笑いあった。秘密の共犯者の笑みだ。
この友情にはっきりとした根拠はない。だからこそ、久太もおじけづいて二の足を踏んでいるのだろう。
しかし、えてして友達とはそういうものだ。双方が『こいつと仲良くしたい』と思えば、それは友情だ。引き合うのに理由は要らず、離れていくのにも理由は要らない。ふわっとしたフィーリングで成立するもの。
だからこそ、ハルはそのフィーリングを、直感を大切にしたかった。縁、と言えばいいのだろうか、なにかのめぐりあわせで出会って、その中でもお互い仲良くしたいと思い、ほんのひとときであろうとも楽しい時間を過ごした。
それで充分、信じるに足る。
ハルはそう思っていた。
そして、久太にもそう思ってほしかった。
「……もしかして、俺はお前の友達でいても許されるのかな……?」
暗闇からおそるおそる差し伸べられた手のようなつぶやきに、ハルはその手を握りしめ、引き上げる言葉を返す。
「僕が許すよ」
その一言で、久太の顔が柔和な笑みに染まった。
ようやく言葉が、手が届いた。
もう二度と失うまいと、ハルは右手を差し出す。久太はその手を握り、
「……ありがとな、ハル」
「ありがとう、久太」
互いに言葉を交わし、握手をして笑いあう。
やっと取り返した友情。これですべてはいい方向に転がっていくだろう。
こわいものはなにもない。ただ、戦うだけだ。
大丈夫、きっと大丈夫。
握りしめた手にちからを込め、ハルはおのれに言い聞かせるようにこころの中で繰り返した。
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