№22 『漆黒の姿見』
刹那、右肩から左のわき腹にかけて、影子のからだから真っ黒な血しぶきが上がる。同時に、『メイド』もトレーラーと正面衝突したような衝撃に吹っ飛ばされ、轟音と共に廃別荘を粉々にした。
ぼたぼたと黒い血液を流しながら、影子は口からも吐血した。
「げぼっ、げほっ!……ど、ういう、こと、だ……こりゃあ……!?」
状況をつかみきれず戸惑うハルたちに向かって、『ライムライト』は思いっきり嘲笑を浴びせる。
「きゃはははははははは! ざまあ! 鏡に向かってなにやってんの!?」
「……鏡……」
「そう! 私の『漆黒の姿見』は、すべての攻撃を跳ね返す! 私に攻撃してきた時点で、あんたたちの負けはもう確定してんの! バーカ!! きゃはは!!」
そうか。この鏡は、ただ攻撃を吸収するだけではない。受けた攻撃を、任意のタイミングで跳ね返すこともできるのだ。影子の斬撃を、『メイド』のこぶしを。そのダメージをそっくりそのまま放つことができる。
やはり、やみくもに仕掛けたのはうかつだったか。今更悔やんでも遅いが。
しかし、先ほどの攻撃で反社の能力は使い切ったはず。相手の手の内が知れた以上、もう攻撃しなければ反撃はない。
そう考えたハルに向かって、『ライムライト』はにたにたと笑った。
「『これ以上攻撃しなければなんとかなる』、とかなんとか考えてるんでしょ? 甘いあまーい! さっきまでさんざん攻撃しておいて、放出がさっきのだけで済むと思ってんの?」
まさか。
『ライムライト』が『漆黒の姿見』に触れると、鏡面が膨大な光を蓄え、次の瞬間にはレーザー砲が放たれていた。
じゅう!と通った道筋のすべてを焼き焦がしながら、一直線に進む光の束。さいわいにも影子は射線から身をかわしたが、マトモに食らってしまえば塵も残さないだろう。
廃別荘の残骸を破壊して、鏡面はまたもとの漆黒へと戻っていった。
「きゃはははは! あんたたちが攻撃してくれた分、まだまだ撃てるんだからね! バーカバーカ! 自分たちの攻撃で死ね!! 死んじゃえ!!」
鏡面が、今度は久太の方を向いた。このままでは狙い撃ちだ。
「……させるかあっ!!」
なんとか攻撃をやめさせようと、影子が鏡面に斬りかかる。
が、光のエネルギーに弾かれ、チェインソウは宙を舞った。
そして再び『漆黒の姿見』からレーザー砲が放たれ……
「ご主人様あ!」
久太を直撃する寸前、『メイド』が光の大砲の前に立ちふさがった。両手を広げて、久太をかばうように前を見て。
その姿が、一瞬にして蒸発した。なんとか久太には届かずに済んだが、『メイド』は黒い塵となって久太の影に還っていく。
「『メイド』!」
「きゃははははは! あんなデカブツなんてメじゃないし! どう!? これが私の『漆黒の姿見』のちから! あんたたち、全員ぶっ殺してやるんだから! 影で私のことバカにしてきた罰だ! みんなみんな、消えてなくなれ!!」
哄笑する『ライムライト』の言う通り、『漆黒の姿見』のちからは絶大だった。攻撃はすべて吸収され、跳ね返される。それも、任意のタイミング、形式で。
しかし、どんなショックアブソーバーにも、限界というものがある。高所から落とした卵を割らずに受け止められるクッションでも、大型トラックに踏みつけられればどうしても変形してしまう。
受け止めきれない強さの攻撃を仕掛ければ、あるいは?
『ライムライト』の鏡の限界値を知らない以上、これは危険な賭けだった。強烈な一撃は、もしかしたら鏡を打ち砕くかもしれない。しかし、もしかしたら跳ね返ってくるかもしれない。
これはいわばチキンレースだ。ブラックジャック、と言ってもいいかもしれない。お互い手札を伏せたまま、ぎりぎりの限界を攻める。バーストすればおしまいだ。その先には敗北が待っている。
だが、この勝負、受けないわけにはいかない。『メイド』を欠いた状態で、影子の戦力だけで立ち向かわなければならないとなると、逃げるにしても隙が必要となる。少しでいい、とっかかりが欲しかった。
「影子! 『総攻撃』だ!」
「応!!」
ハルの指示に、影子は即座に従った。
血を流しながらも、その影から、真っ黒な包丁ハサミカッターナイフドスキリが無数に浮かび上がり、その切っ先を鏡面に向ける。
『総攻撃』……影子の一撃必殺の技のひとつだ。『影』としてのちからを全投入して、無数のやいばを相手に叩き込む。しかし、影子自身も相当に消耗する。それこそ、すぐにでもハルの影に戻らなければ消滅してしまうほどに。
それでも、現状では『総攻撃』が必要だった。まだ奥の手はあるが、あれはできれば使いたくない。『総攻撃』でもかなりの出力の攻撃だ、賭けは成立する。
無数のやいばを従え、チェインソウを引っ提げて、影子が疾駆した。どるん!と高速回転するチェインソウがうなり、振りかぶった切っ先が地面をこすり、そして。
「食らいやがれ!!」
チェインソウの斬撃と共に黒い刃物の雨が鏡面に降り注ぐ。『漆黒の姿見』の泉のような鏡面が大きく波立った。これは……!
しかし、それだけだった。波紋はいずれ収まり、元の静かな鏡面が戻って来る。
チキンレースはこちらの負けだった。
影子の『総攻撃』では、『漆黒の姿見』に太刀打ちできなかった。
最初に仕掛けた先制攻撃がアダとなった。あのとき、もっと注意深く相手を観察していれば、こんなことにはならなかったのに。
しかし、後悔先に立たずだ。
今は逃げることに思考をシフトチェンジしなければならない。
膝を突いて塵となりかけている影子を自分の影に押し込めて、ハルは呆然としている久太の腕を引いた。
「逃げるよ! 早く!!」
「あ、ああ!」
「きゃははははははは! 逃がさないんだから!!」
その場から走り去ろうとするハルたちの背後に、極大のレーザービームが迫る。
ハルは急速に進路を変え、その一撃をかわした。レーザーの特性上、攻撃は直線状にしか届かない。かわすだけなら、ハルたちだけでも可能だった。
「ちっ、チョコマカしてんじゃねえよ、カスども!!」
「今のうちに……!」
次の一撃が来るより先に、ハルたちは廃別荘を脱兎のごとく脱出した。そしてそのまま、夕暮れの森へと駆け込んでいく。
後ろでまた光がまたたいたが、ハルたちには届かない。まんまと逃げおおせたのだ。
ふたりはしばらく、何も考えずにただひたすら息を切らせて走った。
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