№18 タイムリミット

 しかし、ハルにはどうにも腑に落ちない点がひとつ、あった。


「……おかしい」


「なにがあ?」


 くてん、とかわいこぶって小首をかしげる『モダンタイムス』に、ハルはたったひとつの疑問をぶつけた。


「どうして『今』なのか。どうして今までその計画を実行に移さなかったのか。ASSBがまだ未熟な内に計画を発動させた方が、今よりもずっとやりやすかったはずだ。なぜ、今更になって計画を実行に移したんですか?」


 そう、よりにもよってなぜ『今』なのか。機会は山ほどあったはずなのに。それこそ、秋赤音を食って『影喰い』のちからを手に入れた瞬間にだって、望めば叶ったはずだ。


 カフェオレボウルをテーブルに置いて、『モダンタイムス』は人差し指でハルを指さしてきた。


「うん、実にいい質問だ! あ。これ一回言ってみたかったセリフね!」


「質問に答えてください」


 機嫌を損ねた口調でそう言うと、『モダンタイムス』は逆にゆったりとした動作で席に腰を落ち着け、


「まあまあ、そう慌てないで。このカフェが閉まるまで、まだまだ時間はたあっぷりあるんだから……これでわかるかな?」


 そう言った瞬間、『モダンタイムス』の真っ赤な短髪がずるりと膝の上に落ちた。


 あまりにも唐突な出来事に、ハルは最初、なにものかの手によって『モダンタイムス』の首が斬り落とされたのだと思い、冷えた刺激が背中に走るほどに驚愕した。


 しかし、首はつながったまま、髪だけが膝の上に落ちている。血しぶきも上がらず、首から下も今まで通りに動いている。落ちたのは『モダンタイムス』の上に乗っていた頭髪だけだった。


 要するに、『モダンタイムス』の赤髪はカツラだったのだ。


 そして、その下にある頭皮はまったくの無毛だった。


 首が落ちるよりはマシだったが、それでも突然禿頭を晒されて、ハルは呆気に取られていた。


 『モダンタイムス』は、つるりと禿げ上がった頭を撫でながら、


「抗がん剤の副作用だよう。いやあ、小生、実は末期のすい臓がんでねえ、余命はあと半年もないんだよう」


 よっぽど愉快なことが起こったかのようにからからと笑って、おのれのいのちのリミットを告白する『モダンタイムス』。


「治療で毛もなくなって、こおんなにがりがりになって、生き汚く粘ってきたけど、やっぱり半年弱が限界なんだってさあ。現代医療の敗北だよねえ」


 気楽に言うが、決して他人事のような口調ではない。


 余命、半年。


 現然たる冷酷な真実を突き付けられたハルは、息をすることすら忘れていた。


 ……死ぬ? 『モダンタイムス』が?


 今までたくさんの死を乗り越えてきたが、この殺しても死なないような敵の首魁が、病ごときで、死ぬ? そんな死は、当然リアリティに欠けていて、受け入れるには少しの時間がかかった。


「……つまり、さ」


 なぜか照れ笑いのようなものを浮かべながら、『モダンタイムス』が語り始める。


「これが『今』しかない理由なんだよう。『今』しかもう残されてないんだよ。だから、急遽計画を実行に移した。逆に言うと、小生が死にかけることにならなかったら、こんな計画は発動しなかっただろうねえ」


 『モダンタイムス』はカフェオレを一口飲んだ。そして、にっかりと笑う。


「あはは、小生自分でも思うもの、アラが目立つ計画だなあって。細部まで詰める余裕すらもうないんだよねえ」


「……つまり、あと数か月ですべての決着をつけるということですか?」


 ようやく平常心に立ち戻ったハルは、この『サミット』の核心に斬り込んだ。


 『モダンタイムス』が生きているうちに真の『影の王国』が建国されるというのならば、タイムリミットはあと数か月だ。それまでに、すべての『影使い』を潰し、全世界の影に主人を食わせ、たったひとりの極彩色の王様になるというのならば、リミットが来るまでにすべては決する。


 あと数か月。長いようで短い期間だ。そう遠くない未来、ハルたちと『モダンタイムス』は決着をつけなければならない。世界という途方もなく重いものを賭けて、対峙しなければならないのだ。


 『喜劇王』がもう増えることはないとしても、最後の最後には『モダンタイムス』と秋赤音というとてつもなく高い壁がそびえている。向こう側の勢力も、こちら側の勢力も、計画通り程よく削られている。やはり、なにもかも『モダンタイムス』の描いたシナリオ通りなのだ。


「さっすがあ! 察しがいいねえ! 小生、君のそういうとこだあいしゅき♡」


「ふざけないでください」


 なかば怒りに任せてそう言うと、『モダンタイムス』は半笑いでため息をつき、


「そうだなあ、次の夏はもう来ないだろうねえ。蝉の声はもう聞けないってことさ」


 次の夏。当たり前のように来ると思っていた未来が、事の次第によっては来ないかもしれないのだ。あの学び舎も、あの公園も、自分の部屋も、何もかもが影に沈むかもしれない。大切なあのひとたちも、影に食われていなくなる。


 すべては、ハルたち残された『影使い』にかかっている。


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