№17 真意

 だいぶカフェオレが冷えてきた。


 おかわりを注文して、今ある分を飲み干してしまう。次が来る前に、ハルは『モダンタイムス』に問いかけた。


「それが、『影の王国』を作った理由ですか?」


 すると、『モダンタイムス』は澄ました顔で、


「そうだよう? それだけ。すっごくシンプルでしょ?」


 そう言っては、子供のように笑うのだった。


 なんてっこった。


 敵は思った以上に純粋だった。


 その純粋さゆえの、狂気。まっすぐに伸びた白線が、交差点で急に曲がるかのような、整合性に満ちた歪み。


 『モダンタイムス』が言う通り、シンプルだからこそ付け入る隙も交渉の余地もない。一度曲がった白線は、そのままずっと道なりに続いていくしかないのだ。


 ……厄介だな。


 ハルが内心そう思っていると、熱いカフェオレがやって来た。テラス席は二月の夜とあってひと気がない。だからこそ指定したのだろうが、それにしても寒い。あたたかい飲み物でも飲んでいないと凍えそうだ。


 『モダンタイムス』は両手で抱え込むようにカフェオレボウルを持ちながら、


「さあて、不幸自慢はこの辺にしておこうか」


 微塵もそう思っていない顔で笑う。その通り、『モダンタイムス』はたしかに不幸ではあったかもしれないが、自慢をしているような口ぶりではなかった。ただ淡々と事実を述べたまでだ。


 カフェオレを大事そうにすすりながら、『モダンタイムス』が話を進める。


「そんな小生も、影のない赤ん坊だった。たまあにいるんだよねえ、母親の胎内で自分の影を食っちゃう子……君と同じだ」


「……僕、と……?」


 突然に水を向けられて、ハルは大いに戸惑った。『モダンタイムス』は構わずにうなずき、


「そう、君と同じ。覚えてない? 影がなかったころのこと」


 問いかけられても、幼いころの記憶はあいまいで、というかほぼほぼなくて、ハルは首を傾げた。


「……いえ、なんだか記憶があいまいで……」


「なんなんだろうねえ、防衛本能ってやつなのかな? 自分のこころを守るために脳が記憶にふたをしちゃうやつ」


 そう言われればそうかもしれない。そもそもなぜ自分が『影使い』として目覚めたのかもわからないし、影子の素性だって『ノラカゲ』だ。その『ノラカゲ』だった影子を取り込んだのがハルだとすれば、ハルの元々の影はなかったということになる。


 『モダンタイムス』によれば、ハルは母親の胎内にいたときに自分の影を食ったのだという。具体的にどういうことなのかはわからないが、影のない子供として生まれてきたというのに、特にいじめられただとか奇異の目で見られただとか、そういった記憶はない。もしかしたら、そんな事実があったからこそ忘れているのかもしれない。


「ま・いいや。君は忘れてて、小生は覚えてる。それだけの話さ……知ってる? 『影喰い』……ああ、便宜上、小生がつけたんだけど、『シャドウイーター』の方がカッコよかったかな? ともかく、『影喰い』は『ノラカゲ』を取り込めるんだよ。自分の影がないからね」


「その理屈はわかりますけど……」


「じゃあ話を進めよう。小生の秋赤音も、元は『ノラカゲ』だったところを小生が取り込んだんだ。そして生まれた『影』は特別製でね、世界中のすべての影に向かって、集合的無意識で呼びかけることができるんだ」


 『影』の『集合的無意識』、ハルも以前体感したことがある。すべての『影』の記憶や感情、感覚を共有する、クラウドストレージのようなものだ。普段『影』の表層には出てこないが、たしかに存在するつながり。そんなものに呼びかけることができるとすれば……


 目が合うと、『モダンタイムス』はにやりと笑った。


「そう。つまり小生の秋赤音が一声かければ、世界中の影が一斉に主人を食うのさ。そう命じればね。それが『影喰い』の能力。そのちからを使って、小生は世界でひとつだけの極彩色になるために、世界をモノクロームに沈めることを選んだ……それが、『影の王国』の目的」


「それは、『影使い』の『影』にも使えるちからなんですか?」


「おお、さっすがあ! いいところに気が付いたねえ! そうそう、『影使い』の『影』だけは例外。『ナイトメア』タイプの『影』が寄生できないんだからね、たぶん『集合的無意識』からはある程度の距離があるんだろうさ」


 やはり。だとしたら、まだ勝機はある。『影使い』たちがちからを合わせて立ち向かえば、あるいは……


「……とかなんとか考えちゃうと思ったよう! けどね、小生の秋赤音は『影使い』が束になっても叶わないと思うよう? そもそも、なんで小生が『七人の喜劇王』なんてものを組織したかわかるかなあ?」


「……『影使い』同士を、潰し合わせるため……?」


「おお、正解! やっぱり頭いいねえ、君! そう、『影使い』なんてものは、小生ひとりだけでいいんだよ。王様はひとりだけだ。だから、『七人の喜劇王』なんてお題目で『影使い』を集めて、ASSBの『影使い』とぶつけて潰し合わせる。それが一番効率がいいんだよねえ、小生効率厨だからさあ」


 べらべらと語られる真実に、ハルはなるほど、と得心が行った。


 今まで手持ちの駒であるはずの『影使い』を、ことごとく使い潰しにしてきた理由。わざと負けるように仕向けて、簡単に手放した『影使い』は、味方であるはずの『モダンタイムス』にとっては実は邪魔だったのだ。


 さも味方であるかのような顔をして甘くささやき、そそのかし、集めた『影使い』たちをぶつけて相互に潰し合いをさせる。


 『影使い』がいなくなるまで、その繰り返しだ。


 駒をぶつけて、潰し、潰され、いつしかたったひとりの王様になるために。


 すべての悲劇は『モダンタイムス』の描いたシナリオ通りに起こったのだ。

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