№12 逃避行

「……そうか。至急こちらで対策を取る」


 逆柳は無線を切り、軽くため息をついた。


 想定外だ。


 まさか、あの少年がそんな行動を取るとは。


 しっかりと言い含めたつもりだったが、思いのほか塚本ハルの中には友情というものが根付いていたらしい。こればかりは言葉を尽くしても仕方がない。


 しかし、元から戦力には数えていなかったが、対象を連れて逃げ出すとは考えていなかった。


 あの少年にはいつも驚かされる。


 ……今回は、悪い意味で、だが。


 さて、どうする。


 まずは道路の封鎖、検問、そしてヘリを飛ばして上空から追跡、警察犬も使おう。


 どこから手をつけたものかとなかば途方に暮れながら、逆柳は再び無線を手にするのだった。


 


 頭上からばらばらと聞こえるのは、ヘリが飛んでいる音だろうか。


 今はどんな小さな音にも敏感になっている。


 しばらく無言で息を殺し、音が小さくなってから、ハルと久太はため息をついた。影子は見張りで外に立っている。


 ふたりは今、郊外の森の中にある廃棄されたプレハブ小屋の中にいた。当然ながら明かりもなく、すべては手探りだ。だが、検問が敷かれるまでにここまでたどり着けたのは僥倖だった。


 途中ドラッグストアで医療品を買い込んで、ハルは久太の傷を治療しているところだ。『影爆弾』の爆発や『黒曜石のナイフ』の刃物で切られ、血がにじんでいる傷口に薬とガーゼを当て、包帯を巻いていく。血の赤が包帯の白ににじんで、薄くなっていった。そんな傷が、からだ中についている。


 腕に包帯を巻いていると、久太が気まずそうに口を開いた。


「……なんでこんなことすんだよ」


 ふてくされたような口調で、久太が問いかける。治療を続けるハルを責めるように、切々と。


「俺は『影の王国』の『街の灯』だぞ? お前たち側の人間じゃない……敵だ」


「知ってる」


 その重い疑問を、たった一言で斬り捨てて、ハルは包帯を巻き続けた。


 またしばらく、無言の時間が過ぎていく。傷はひとつひとつ、包帯に覆い隠されて見えなくなっていった。


「……よし、これで大丈夫。そのうち医者に見せないといけないけど」


 治療を終えたハルは、先ほどのやり取りなど忘れてしまったかのようにほっとした声音を発した。


 それが久太の癇に障ったらしい。


 久太は、がたん、と音を立てて立ち上がり、ハルの胸倉をつかんだ。


「ふざけんな! 知ってて、なんでこんな……!」


「僕の友達だからだよ。君がどこへ行こうとも、それは変わらない」


 答えるハルの声と表情はあくまで穏やかだった。そんないつも通りのハルに毒気を抜かれた久太は、ハルの胸倉からするりと手を離してつぶやく。


「……そんなの、きれいごとだ……」


 うなだれながら、久太はまた爪を噛み始めた。


「俺は敵なんだぞ……なのに、味方を出し抜いてまで連れて逃げ出して、一体何の得があるってんだよ……言っとくが、俺は『影の王国』を抜けるつもりはねえぞ」


「かまわないよ。それなら、君を連れて逃げて、いい手段が思い浮かんだら、それを実行するまでだ」


 とにかく、現状考えられる最悪だけは避けたかった。だから、ハルは久太を連れて逃げたのだ。制服の襟元を正しながら、ハルは淡々と告げる。


 そして、土砂降りの銃弾の雨に打たれているように落とした久太の肩に、ハルは手をかけてまっすぐに視線を合わせた。


「君はもう、罰を受ける必要はない。充分にあがなった。もう怯えることはないんだよ」


「……ハル……」


 交わった視線の向こう側の瞳が苦しげに歪む。血が出るほどに爪を噛みながら、久太はため息のような声音で言った。


「……正直、俺だってそっち側に戻りてえよ……けど、戻りたくても戻らせてくれねえんだ……」


「それは『モダンタイムス』のせい?」


「それもあるけど……ともかく、申し訳が立たねえんだ。『メイド』に食わせてきた人間、今まで『影の王国』でやってきた汚れ仕事……それに、お前にだって」


「僕?」


 急に水を向けられて、ハルは戸惑いながら問い返した。こころあたりがない。


 しかし久太は小さくうなずき、


「俺はお前を傷つけた。肉体的にも、精神的にも。裏切ったんだ。なのに、この期に及んで、お前は俺のこと、友達だって言ってくる……」


「それは……」


「俺だってもうわけわかんねえんだよ! また、なにを信じたらいいのかわかんなくなってんだよ……!」


 小さなパニックを起こした久太は、頭を抱えてそのままうずくまってしまった。震えながら、なにかぶつぶつ言っている。久太の中に巣食った病は相当に重症のようだ。なんとかしなければ。


 ハルはそんな久太の肩を揺さぶり、こちら側へ手を引くように、必死に語り掛けた。


「これだけは言っておく……久太、僕を信じて」


 届け、届けと願いながら、言葉を重ねる。


「今度こそ、きっと君を救い出すから。友達だから」


「……ハル……」


 ふたりの間に意味のある沈黙が訪れようとしていた時、外で見張りをしていた影子が入口から顔をのぞかせた。


「おい、ここもそろそろやべえぞ」


「……じゃあ、傷の手当ても終わったから、移動しようか」


「……そうだな」


 今回ばかりは影子もタイミングが悪かった。


 各々ゆっくりと立ち上がり、消化不良のままプレハブを後にする。


「『メイド』の様子はどう?」


「ああ……まだ当分出せそうにない」


「じゃあ影子、頼むよ」


「……わかった」


 ふたりを先導しながら、影子はふいっと顔を背けて答える。どうもこっちももやもやを抱えたままのようだ。


 この逃避行に決着がつく前に、このやりきれない空気を何とかしなければ。


 微妙な雰囲気の中、三人は追手に気をつけながら暗がりを進むのだった。

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