№10 久しぶり

 落ち着きなく午後の授業をこなし、放課後がやって来た。


 この校門を出ればいよいよ作戦決行だ。


 ハルと影子、ミシェーラは、ある程度生徒が帰ってから下校した。できれば全員帰ってからの方がいいのだが、そうすると夜になり、『影』は出て来られなくなる。敵にとっても味方にとっても、都合の悪い状況だ。


 夕暮れ時の帰り道を慎重に歩いたが、なかなか敵が仕掛けてくる気配がない。


 ハルたちはわざとひと気のない道を遠回りして、敵をおびき出そうとした。


 逆柳によると、援護はない。ハルたち三人でなんとかしなければならないのだ。ハルも作戦らしきものは立てたが、うまくいくかどうかはわからない。最悪、秋赤音が出てきたときには、影子と『影爆弾』では対処しきれないだろう。この場面であの『モダンタイムス』が出てくるとは思えないが、万が一ということもある。


 駅前の開発地区、路地裏……いろいろ回ってみたが、敵は出てこない。


 やがてハルたちは、閑静な住宅街の端にある公園までやって来た。もうそろそろ出てきてくれないと、『影』たちのタイムリミットが近い。


 そういえば、この公園はいつか久太とサヨナラをした公園だった。戦闘で荒れ果てていた公園もすっかり修繕され、もとの遊具や並木道が戻ってきている。


 ハルの中に、あのときの苦い思いがよみがえってきた。


 伸ばした手も言葉も届かなかった。向こう側に行ってしまった友達。


 必ず取り返す。


 そう決意したハルの頭上に、ふいに大きな影が覆いかぶさった。


「ボサっとしてんな!!」


 影子がかばおうとしたが、一瞬遅い。


 いつの間に出現したのか、そこには天を突くような巨大なメイド姿の『影』が立っていた。


 『メイド』がその大きなこぶしを振りかぶり、ハルに向かって打ちつけようとする。まずは司令塔のハルを狙ってきたか。あんなパンチを食らってしまったら、骨までばらばらになってしまうだろう。


 迫りくるこぶしの圧に身構えていると、そのこぶしに無数の黒いナイフが突き刺さった。


「いったぁい!!」


 アニメ声で悲鳴を上げる『メイド』がこぶしを引っ込め、なんとかハルは助かった。


「塚本ハル! 大丈夫か!?」


 走り寄ってきた褐色の肌に赤い髪の子供は、かつて『影の王国』の『殺人狂時代』だったザザだ。先ほどのナイフはザザの『影』……『黒曜石のナイフ』だ。影を傷つけることで、その本体にも同様のダメージが入るという特殊なやいば。


「あ、ありがとう、ザザ!」


「逆柳さんに送ってもらったんだけど、間に合ってよかった。絶好のタイミングだったみたいだね」


「本当にね……」


 危ないところだった。ザザが現れたおかげで、情勢は一変する。


「……それで、獲物はあいつ?」


 ザザの琥珀色の瞳に暗い陰りが差す。戦場で生まれ育ったザザにとって、戦場こそが生きていくフィールドなのだ。いくら平和な日本に慣れたからといって、そこは変わらないらしい。


 ハルがうなずくと同時に、ぐすぐす泣く『メイド』の足元にゆらりと黒いフードの人影が現れた。普通の人間のサイズだ。爪をがじがじかじりながら、その黒いフードをゆっくりと取ると、そこには見知った顔があった。


「……いってえなあ……」


 すでにザザの『黒曜石のナイフ』でダメージを加えられ、手を血まみれにしながらも爪を噛み続ける久太がいる。以前見た時よりは幾分か落ち着いたようだが、それでも目の下にはくっきりとクマが浮かび、噛んでいる爪からは絶えず血が流れ続けていた。


「ご主人様ぁ……!」


「るっせえぞ。しばらくおとなしくしてろ」


「はあい」


 『メイド』に待機を命じた久太は、しばらくは戦うつもりはないらしい。影からチェインソウを引っ張り出して構えていた影子にも、視線で制止をかけておく。ミシェーラやザザも状況を読んで動きを止めた。


「……久しぶりだな、ハル」


「……久しぶり、久太」


 長らく分かたれていた友達と、感動の再会……とはいかないようだ。おそらく、あとには戦闘が控えている。


 ここで久太を説得しなければ、戦わなければならないのだ。三人の『影使い』に囲まれた久太はひとたまりもないだろう。敗北した久太は自由を奪われ、囚われの身となる。


 そうならないためにも、なんとかしてここで久太をこちら側に引き戻さなければならない。すべてはハルの口八丁手八丁にかかっているのだ。


 ごくり、と生唾を飲み込んだハルは、先制ジャブのように尋ねた。


「元気にしてた? ずっと心配してたんだ」


「……元気、ではなかったな」


 爪から流れる血が残った口端を持ち上げ、久太は苦く笑う。


「毎晩毎晩、うなされてるよ。ロクに眠れやしねえ。お前たちが罰を与えに来る夢だ。俺も『メイド』も苦しめられた上で消されて、それで飛び起きるんだ。けど、起きたと思ったらまだ夢の中で、同じように苦痛の罰が与えられる。それを何回か繰り返して、ようやく目が覚めるんだ」


 そんなひどい悪夢を見ていれば、眠れなくなるに決まっている。そして、眠れない人間はより病んでいく。悪循環だ。


 すっかり病が定着してしまったらしい久太は、ハルを見詰めて、どこかほっとしたような笑みを浮かべた。


「でも、そんな夢とはもうおさらばだな。やっと現実が夢に追いついてくれた。リアルにお前たちが罰を与えに来た。清算するのは今しかないみたいだ」


「……久太、君は今、『七人の喜劇王』のどこの席にいる?」


「そこにいるミシェーラ・キッドソンの後釜だよ。『街の灯』、『モダンタイムス』はそう呼んでる」


「久太、もう『影の王国』からは離れよう。君もその名で呼ばれるのはいやだろう。誰も責めやしないよ。そうすれば、ASSBは君を味方として保護できる。僕たちは罰を与えに来たんじゃない。君を連れ戻しに来たんだ」


 ハルは切々と語り、なんとかして久太を説得しようとした。


「今なら、まだ間に合う」


「……もう、間に合わねえよ」


 必死に語り掛けるハルに、久太がぽつりとつぶやいた。ハルの背筋にひやりとしたものが走る。


「俺は罪を犯した。だから、罰はあって当然なんだ。この世の中はそういう風にできてるんだってわかってる。神様とかいうやつがそう決めたんだ」


「そんなことない! 君には、罰を受ける必要なんて……」


「……悪ぃ、ハル」


 ハルの言葉を遮って口にした言葉は、完全に拒絶の一言だった。


 久太はフードを目深にかぶり直し、待機を命じていた『メイド』にアイコンタクトを送る。


 くそっ、くそっ、くそっ!!


 交渉決裂か!!


 内心で悪態をつきながらくちびるをぎゅっと噛みしめ、ハルは苦々しい思いでいっぱいになった。


 これから戦いが始まる。ハルは久太を倒さなくてはならないのだ。


 影子が無言でチェインソウのエンジンをかけ、ミシェーラの影から『影爆弾』が出現し、ザザも自分の影から『黒曜石のナイフ』を無数に浮かべた。


 もうこの流れは止められない。


 ハルにできることは、失敗に終わったのだ。

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