№8 一線

 今日も、ハルと影子は手を繋いで登校していた。


 数日間かけて慣らしていった結果、影子も少しは慣れてきたらしく、手汗もあまりかかなくなり、普通に歩行できるようになり、手を繋ぎながら会話もできた。たまにぶんぶかつないだ手を振ってきたりもする。


 ぎゅっと手を握ると、強く手を握り返してくれる。


 なんだか、野良猫を手なづけている気分だ……と微笑ましく思いながら、ハルは次第に距離を詰めていった。


 手を繋いで登校するというハードルは越えた。


 が、みんなと合流する前に、影子はするりと手を離してしまう。


 これだけはどうしても変わらなくて、ハルは内心フクザツだった。


「オハヨー、ハル!」


 今日も元気にあいさつをして駆け寄って来るミシェーラが、ハルの思案顔を見とがめる。


「どしたの、なにか考え事?」


「おはよう、ミシェーラ……いや、さ。影子って、みんなの前ではあんまり僕に対するアプローチはないな、って」


 明文化できないもやもやをつい吐き出してしまうと、ミシェーラは含みのある笑顔で、


「なになに、ノロケ?」


「べっ、別に……!」


「いいのヨ、せっかくの彼女なんだし」


 彼女。改めて第三者の口から聞くと、なんだか照れくさい。が、彼女であることは否定しなかった。あそこで一ノ瀬にコブラツイストをかけているのが、ハルの彼女である。


 ミシェーラは訳知り顔で笑いながら、


「フフ、それはネ、ハルの前でだけ見せる顔なのヨ、きっと」


「僕の前でだけ? なんで?」


「まったくもう、ハルったらオンナゴコロってものを知らなすぎ! いい? 女の子はいくつも顔を持ってるの。特にプライドの高いカゲコなら、絶対に他のひとの目があるところではでれでれしないはずヨ」


 女子にオンナゴコロというものを解説させてしまって、自分はなんともヤボな男である。しかし、今までそういう機微を学ぶ機会など皆無だったため、教えを乞うことしかできない。


「……そういうもんなの……?」


 尋ねてみると、ミシェーラ先生は、うーん、とうなり、


「……カゲコは、そこ徹底しすぎてる部分はあると思うヨ。何ていうか、ハルとハル以外に分けて考えてるっていうか」


 難しそうな顔をしてみずからの印象を語るミシェーラに、ハルはひとつ思い当たることがあった。


 そういえば、ハル以外の人間はどうなってもどうでもいい、と言っていた。


 まるで、世界にはふたりしか存在していないかのような口ぶりで。


 影子がハルに恋をしたのは、ひな鳥のインプリンティングのようなものだ。生れて始めて目についたものを親だと認識する刷り込み。影子の恋心も、元は『影』としてあるじに尽くす忠誠心に由来するものだ。


 そういういきさつのある関係性ゆえに、影子にはハルしか見えていない。第三者が介在する余地がないのだ。影子は創世記のイヴのような感覚で世界を見ているのかもしれない。


 そういったことは口には出さず、ハルはミシェーラの言葉の続きを聞いた。


「ふたりだけの世界っていうのが、ATフィールドで守られすぎっていうか……立ち入れないよネ。言い方は悪いけど、一線引いてる感じ?」


 ミシェーラの言うことにも一理ある。


 越えられない一線というのは、常にハルと影子の周りにあった。影子が張り巡らせているのである。誰も立ち入れないように、それとはなしに見えない壁を作っていた。それはハルも薄々感じていたことだ。


 あまり良い傾向ではないこともわかっている。影子の性質上、どうしても気を許したものと許せないものを両極端に扱ってしまうことが多々あった。プライドなのか、臆病風なのか。影子はハルとの世界に他者が入り込んでくることを拒んでいた。


 ハルとしては、影子はもちろん大切な彼女だが、ミシェーラや一ノ瀬、倫城先輩だって大切な友達だ。できるだけ分け隔てなく接したいと思っている。


 影子はそれを良しとしないのだ。


 徹底的に区分したがる。


 完全に懐に入れるか、入れないか。そんなゼロヒャク思考で生きているのだ。その中間点はなく、身内と他人で接し方を変えている。


 もっと友達を信頼してほしかった。恋人であり主人であるハル以外にも、応援してくれる味方はたくさんいるのだ。それすらも締め出してしまっている影子は、ハルとふたりの世界をきっぱりと完結させてしまっている。


 ハルは影子に、世界はもっと広いことを教えたかった。そんなに殻に閉じこもって、井の中の蛙になってしまうのはもったいない。せっかくもっとお近づきになろうとしてくれている友達がいるのだから、こころを開いてほしかった。


 とはいえ、一朝一夕には無理な話だろう。影子には他者を極端に怖がるところがある。その臆病を好戦的な態度でごまかしていることは、長くも短くもない付き合いの中でハルも察していた。


「……なんかさみしいけど、仕方ないよネ」


 困ったように笑いながら、ミシェーラがつぶやく。


 こんな風に思ってくれる友達がいるのに、なぜ。


 もやもやした思いを引きずりながら、ハルは一ノ瀬にジャイアントスイングをかけている影子に声をかけ、教室へと向かうのだった。

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