№5 失わないために

 両者含むところのある微笑みの内に密談は終わる……と思われたが。


 逆柳のホットチョコレートはまだ残っていた。一事が万事計算づくのこの男、飲み物を残したまま席を立つことはない。


 まだ言いたいことがあるのか?といぶかしげに言葉を待っていると、逆柳は冷めたホットチョコレートを一口飲みながら、


「……そして、これは非常にデリケートな問題なのだが」


「なんですか? 逆柳さんの甘味好きのことなら、誰にも言いませんよ?」


「いや、そうではなく……長良瀬久太君のことだ」


 その名前の人物に言及された途端、ハルの心臓はぎゅっとわしづかみにされたように縮んだ。


 久太。かつて罪の意識にさいなまれ、『影の王国』……『モダンタイムス』に着け入れられ、向こう側に行ってしまった友達だ。


 あのときの無力感は今でも忘れられない。自分のちからが及ばないばかりに、大切な友達を守り切れなかったのだから。


 今、どうしているのか?


 元気にしているのか?


 手も言葉も届かなかった友人を思い、ハルはぐびりと唾を飲み込んで、イヤな予感を押さえつけようとした。


「頃合いとして、そろそろ長良瀬久太君も『七人の喜劇王』として出張って来るだろう。残念ながら、敵として現れるであろう以上、ワレわっれとしても強硬な手段を取らざるを得ない」


「……具体的には?」


 イヤな予感がどんどん的中していく。これ以上は聞きたくないという気持ちと、詳しく聞いておきたいという気持ち。ふたつの気持ちの間で揺れ動き、ハルは問いかけを選んだ。


 逆柳は慎重に言葉を選んでいるようだった。効果的にハルを納得させ、従わせる言葉を。


 結果、出てきたのは、


「制圧し、ちからづくで拘束し、監禁する。長良瀬久太君には自由も黙秘権も拒否権もないし、与えない。すべて我々の指示に従ってもらう。殺害という手法も考えたが、それはあまりに酷だ。叶うなら、生け捕りにしてなんとか説得を試みようと思うよ」


「なんとか穏便に済ませられないんですか?」


 必死に取りすがるようなハルの言葉に、しかし逆柳は容赦しなかった。


「それは長良瀬久太君の出方次第だ。あくまで『影の王国』の『七人の喜劇王』として対峙するというのならば、穏便に済ませようというのはムシの良すぎる話ではないかね? 『影の王国』を離反して保護を求めるというのならば応じよう。しかし、敵対姿勢を崩さないのならばこちらも手段は選んでいられない」


 つらつらと重ねられる言葉は、どれもハルにつらい現実を突き付けてきた。


 久太は向こう側に行ってしまった。今度会うときは、『七人の喜劇王』の一席として、だろう。逆柳としても最大限譲歩した結論がこれだ。『七人の喜劇王』の久太とは、いずれにせよ戦いは避けられない。


 久太は、それくらい重い選択をしたのだ。


 ならば、ハルもそれに応えなければならない。


 今度こそ久太を説得して、『影の王国』から離れてもらう。そうすれば、ASSBも久太を保護してくれるし、戦う必要もない。誰も傷つかずに済むのだ。


 前回はちからが及ばなかったが、今回こそは。


 気を引き締めたハルの表情が変わったのを見て取ったのか、逆柳はうなずいて見せた。


「君も複雑だろうが、協力してもらう。次に長良瀬久太君が出てきたときは、君にも制圧作戦に参加してもらおう。ミシェーラ君やザザ君にも話をつけよう……今度ばかりは、総力を挙げて、潰す」


 この男が本気で『潰す』と宣言したのなら、久太などひとたまりもない。ありとあらゆる手段を駆使して、泥臭く執拗に、久太を追いつめるだろう。きっと蛇のような執念深さで勝ちを取りに来る。勝つにせよ負けるにせよ、デッドエンドだ。


 そうなる前に、ハルがなんとか交渉しなければならない。かけがえのない友達として、何とかして久太を救い出さなければ。


 ちから不足だと嘆いているヒマはない。


 今持っているカードを最大限に駆使して、久太の口から離反の言葉を引きずり出さなければ。


 あのとき救えなかった友達を、今度こそ取り戻す。


 これはハルのケジメの問題でもあった。


 残っていたホットチョコレートを飲み切り、逆柳が一息つく。


「君も覚悟を決めえておきたまえ」


「……はい」


 重々しくうなずくハル。


 しかし、ふと一抹の不安が芽生えた。


 もしも、久太がまたハルのことを拒絶したら?


 まだ罪の意識にさいなまれていたとしたら?


 そうすれば、戦うことになる。以前と同じ、いや、久太にとってはかなり分の悪い戦いになるだろう。そこで捕らえられた久太にどんな苦難が待ち受けているのか、想像すらできない。さすがに殺されはしないだろうが、『影の王国』に対抗するための駒として、逆柳は非情に久太を『使う』だろう。


 そうなってしまっては、完全に元の木阿弥だ。『モダンタイムス』に使われるか、『閣下』に使われるかの差でしかない。久太には自由も黙秘権も拒否権も与えられないのだ。ただちからだけを勝手に使われ、久太自身の意志が介在する余地はない。


 そんなのは、とても救ったということにはならない。


 ……そうならないために、言葉を尽くさなければ。


 しかし、もしも戦うことになったら、自分はどうすればいいのだろう?


 みすみすまた久太を陥れる立場になれるだろうか?


 決意と迷いの狭間で揺れ動きながら、ハルと逆柳は席を立った。どうやらここも経費で落とすらしく、会計はスルーして、ホテルのロータリーまで下りていった。


 タクシーを捕まえた逆柳は、ハルひとりを乗せ、運転手に何事かささやいた。


「それでは、また。おそらくは近日中に」


「……そうならないことを願いますよ」


 ハルの苦笑いを残して、タクシーのドアが閉まり、発車する。


 ほとんど揺れない高級車に揺られながら、ハルは自分の身の振り方について改めて考え込むのだった。

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