№26 めぐる季節

 クリスマスも終わり、すっかり年の瀬となったころ、ハルはようやく退院した。しばらくは安静に、とは言われているが、どうせなにか起こるだろうからあえてうなずきはしなかった。


 刺された傷は今でも時折痛み、そのたびに『独裁者』のことを思い出してしまうのがたまらなくイヤだった。あの幼稚なエゴの塊のモンスター。一刻も早く忘れ去りたかったのに、『独裁者』が残した傷跡はあまりにも大きかった。


 ……しかし、代わりに手に入れたものもある。


 元旦、いつものメンバーは近所の大きな神社に集まった。ぎりぎり今朝復活した影子もいっしょだ。相変わらず、イベントごととなると無理をしてでも出てくるのが影子らしい。初詣の影子は、髪を結い上げた黒地に白桜の振袖姿だった。


「あけましておめでとう、みんな」


「あけおめヨー!」


「春には卒業なんだけど、せめてそれまでには俺の愛の言葉に耳を傾けてくれよな、塚本」


「影子様♡ 今年もよろしくお願いいたします♡」


「てめえら、去年と変わらずシケたツラしやがって。新年早々かったりいけど、とりあえず神様とやらを拝みに行ってやろうじゃねえか」


 やはり集まるとドハデな面々を、参拝客たちが物珍しげに眺めている。すごく恥ずかしいが、今更他人のフリをすることもできない。


「しっかし、よかったな冬休みで。出席日数は足りてるだろうけど、こういうの進学に響くからな。妙な休み方すると外野がうるさいし」


 まさに受験生の倫城先輩に言われて、心底長期休みの間の出来事でよかったと痛感した。不幸中のさいわい、というやつだ。


「ネー。本当、冬休み開けのガッコが楽しみヨー?」


 意味深に笑うミシェーラが、先輩と一ノ瀬に目配せをした。うんうんとうなずくふたりに、ハルの頭の上には疑問符が浮かぶ。が、クリスマスの一件でハルと影子がくっついたことを知っている三人だ、当のハルが知らないところで思う存分にやにやできる。


 影を通じてすべての事情を把握している影子だけは、三人に対してサムズアップを送った。チチウシ、駄犬、メス豚、よくやった上出来だ、と。


 そんな影子の首には、宣言通り今日も赤いマフラーが巻かれていた。てっきりあの『アイアンメイデン』の攻撃でずたぼろになったと思っていたのに、すでにからだの一部になっているのか、影子の回復と同時に元に戻っていた。不思議なものだ。


 わいわい騒ぎながら参道を歩けば、マフラーの赤がたなびく。片手のお汁粉缶を飲みながら、影子は大いに笑い、大いに青春を満喫していた。


 そんな姿をまぶしそうに見ていると、ちょんちょん、となにかが手に当たる。見れば、明後日の方向を向いた影子が手をぶつけてきていた。


 ハルは自身への好意にはひたすら鈍感だが、さすがにこれの意味しているところは察した。影子の冷えた右手に指を絡め、そっと自分のコートのポケットにしまいこむ。いわゆる『恋人つなぎ』というやつだ。


 それを目ざとく見ていた三人は、にやあ、と笑い、訳知り顔の面々に向かって影子は舌打ちをした。しかし、コートのポケットの中ではハルの手をぎゅっと握り返している。ぶつぶつ悪態をついているのもすべては照れ隠しなのだと、今のハルはわかっていた。


 やがて本殿にたどりついた一行は、めいめいお賽銭を投げて鈴を鳴らし、きっちり二礼二拍一礼でいわれもよくわからない神様に自分勝手な願い事をして、ことは済んだとばかりに去っていく。高校生の初詣などこれで充分だった。


「お前ら、願いごとなんにした? 俺は本命大学合格かな、いちお受験生なんで。あとはまあ、塚本とのあれこれとか?」


「ワタシはネー、今年の夏コミこそお誕生日席取れますようにって! 目指せジャンル最大手!」


「私はもちろん、影子様の健やかな日々をお祈りしておきました♡」


 それぞれイカニモなお願い事だった。神様もどれから手をつけていいかわからないに違いない。


「影子は? なにお願いしたの?」


 手をつないだまま何気なくハルが問いかけると、影子は、にたぁ、と真っ赤なくちびるをゆがめて、


「んー、今年こそアンタと××××で×××を××××した××で×××な××××したいなあ、って♡」


「公衆の面前で伏字レベルの卑猥な発言をするな!!」


 いきなりトチ狂ったようにぎんぎんのエロワードを羅列した影子に、ハル全力のツッコミが入る。しかし影子は止まらずに、


「そんなこと言ってっと、無理矢理押し倒しちゃうぞ♡」


「ちょ、影子、さん……!?」


 一瞬、影子ならやりかねないと思ってしまったハルは、つい敬語になって引き下がろうとした。しかし、ポケットの中の手はすがるように強くハルの手を握り、


「……冗談だよ、わかれよ……!……アタシにそんな度胸、あるかよ……!!」


 くちびると同じくらい顔を真っ赤にした影子は、早口で苦々しげにハルにだけささやいた。


 ああ、そういうことか……と理解すると同時に、そういうとこやぞ!!とハルはこころの中で絶叫してしまった。


 なんだこのかわいい生き物。


 恋人目線で見ると、改めていじらしいと思ってしまう。どれだけ暴君な外面を取り繕っていようとも、いざハルを前にすると怖気づくやら恥ずかしいやらで真っ赤になって何もできなくなるのだ。


 そして、それを知っているのはハル本人だけ、ということに、言い様のない特別感じみたものを覚えた。キスをするときどんな顔をするのか、実際に見たことがあるのはハルだけなのだ。


 影子は、僕のもの。


 そう胸を張って言える今、あのときちゃんと影子と向き合って本当に良かったと思える。


 意趣返しのようにちからいっぱいポケットの中でつないだ手にちからを込める影子に釣られて、ハルまで頬を赤らめてしまった。


 キスだけでこのステータス異常なのだ、これから先付き合っていくに当たって、いろいろと慣れていかなければいけないことがたくさんある。今まで恋愛沙汰とは無縁の人生を歩んできたハルにとって、なかなかに高いハードルがいくつも点在していた。ゴールがどこなのか、見えもしない。


 けどまあ、隣に影子がいるならそれもいっか。


 そう思えてしまえる辺り、ハルの恋人は最強のモチベーターだった。


 まずは普通に恋人らしい会話をして、デートをして……ああ、これは前と同じか。あとは抱き合ったりキスをすることに慣れていって、その先は……


 暴発した妄想に支配されたハルは、またも口を引き結んで真っ赤になってしまった。


 ふたりして顔を赤くして手を繋いでいる状況を、他の三人はひたすらにやにやと見守っている。


 ごんごんと鳴っている鐘に向かって、どうかこの煩悩を浄化してください!とハルは強く願った。


「そ、そういうアンタはなに頼んだんだよ!?」


 逆ギレのように問いかけてくる影子に、ハルはもごもごと答える。


「……早く春が来ますように、って……」


「春ぅ? そんなん、願わなくても来るに決まってんじゃんかよ!」


 そんなことはないのだ、とハルは胸中でかぶりを振った。


 次の季節が来ることは、当たり前のことなんかじゃない。


 明日すら知れないのだ、無事に春を迎えることは、ハルにとってとても大切なことだった。だから、わざわざ神様とやらにお願いしたのだ。


 この非日常的日常をずっと大切にしていきます、だから、この日々が続いていきますように、と。


 確実になにかは起こる。しかし、願わずにはいられないのだ。


 ようやくできた恋人や友達と、何気ない日常を送りたかった。実に小市民的な願いだ。


 だが、そういうささやかな願い事は、悪くないと思う。なにも宝くじを当ててくれとまでは言っていないのだ。せめてそれくらいは叶えてほしい。


 そういった頭の中の考えは別に置いておいて、代わりにハルは言った。


「冬は日が短いからね、君といられる時間が少ない。だから、春になって日が長くなれば、君ともっといっしょにいられるかな、って」


「なぁにカッコつけてんだか……けどまあ、アタシも、アンタと同じ名前の季節は嫌いじゃねえよ」


 ポケットの中でつないだ手を握り返し、ハルはうなずいた。


 ……『影の王国』に残っているのは、あとはもう久太と『モダンタイムス』だけである。あとは、新たな『影使い』がどちらに転ぶかだが、『モダンタイムス』がなにを企んでいるのかわからない以上、その駒取り合戦もどうなるかわからない。


 暗中模索の状態だが、まだ希望はある。


 『モダンタイムス』の計画を明らかにした上で、それを打ち砕く。


 そうだ、今年こそは。


「……やるぞ、影子」


「ん!」


 ハルの新たな決意を汲み取り、影子が短く答えた。


 新しい季節を迎えるために、今できることを精いっぱいやる。


 あがいて、もがいて、そうすることでしか勝ち取れないものがあるのだ。


 そんな覚悟を決めたハルについていくという意思表示のように、影子はつないだ手をより深く絡めるのだった。

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