№25 意図の糸

 上空から降ってきた黒い影が、唐突に『アイアンメイデン』を一刀両断する。あっけなく撃破されてしまった『アイアンメイデン』は、たちまち崩れ去り、影の中に沈み込んでいった。


 黒いクナイ。黒い忍装束。黒いポニーテール。


 小さなからだで『アイアンメイデン』を瞬殺したのは、かつてハルと影子が手ひどい敗北を喫した秋赤音だった。


 何の感慨も抱いていない表情でクナイを引き、秋赤音は片膝を突いてあるじを迎え入れる。そのあるじと言えば……


「いやいやいや、見事な負け犬っぷりだねえ、『独裁者』! テンプレ過ぎて小生その様式美に感動すら覚えたよう!」


 ぱちぱち、と拍手をしながら、一本歯の下駄の音が鳴る。


 ドハデな花魁衣装に身を包んだ赤髪の痩せた男が歩み寄ってきた。


 ……『モダンタイムス』。


 『影の王国』、『七人の喜劇王』の盟主。


 これまでもあらゆるペテンを駆使してハルたちを追いつめてきた宿敵。


 そんな人物の突然の登場に、ハルは身を固くした。


 きっと、『独裁者』もこの男になにかしらそそのかされたのだろう。そして、『独裁者』の思う通りには行かず、『モダンタイムス』の思う通りに事は運んだ。


 やはり、すべてはこの男の手のひらの上だったか。


 ハルと『独裁者』の真ん中で立ち止まって拍手をやめた『モダンタイムス』は、秋赤音に付き従われながら満足げに笑った。


「ぷくく、さっすが『喜劇王』! 小生が見込んだだけのことはあるねえ! 実に面白おかしい見世物だったよう!」


 『モダンタイムス』にとって、一連の出来事は『見世物』でしかなかった。観劇者としての賛辞を、無理矢理舞台に立たされていたハルは苦々しく思う。


 しかし、『モダンタイムス』が出てきたということは、また何か事態が動くということだ。


 影子は依然影の中で、ハル単身で挑むには敵が大きすぎる。


 一難去ってまた一難、か……


 身構えるハルをよそに、『独裁者』は顔を明るくして口早に言った。


「ああ、『モダンタイムス』! 君の言う通りにやったよ! だから、早くこの男を……」


 言いかけたその胸に、とす、と軽い音を立てて、あまりにも重いクナイの一撃が突き刺さる。


「…………え?」


 ぼたぼたとあふれかえる真っ赤な血液を見下ろした『独裁者』は、口からも血を吐き、結局なにひとつ状況を理解できないままその場に倒れ伏してしまった。


 急所をひと突きにされた『独裁者』のからだから流れた血で、どんどん血だまりが広がっていく。もう『独裁者』はぴくりとも動かなかった。


 あっけない。あまりにもあっけなさすぎる幕切れだった。


「あーあ、死んじゃったあ」


 ゲームオーバーの画面を眺めるようにつぶやく『モダンタイムス』。そのそばには、クナイを放った秋赤音が控えている。


 今度こそ逃れられない大ピンチだと思っていたハルは、急展開についていけず、ただぽかんとしていた。


 『独裁者』は『七人の喜劇王』、『影の王国』側の人間ではなかったのか?


 それをやすやすと消すなど、『モダンタイムス』は一体何を考えている?


「まったくもう! 好き勝手してくれちゃって! ぷんすか! 小生はこんなの頼んでないってえの! ぜーんぶ君のせい、君の自己責任! はい論破ー! って、もう死んじゃってるからねえ、無意味だねえ」


「……どういうつもりだ……?」


 疑心暗鬼でいっぱいになりながら、なんとか問いかけるハル。


 元『ライムライト』……マスターといい、元『街の灯』……ミシェーラといい、元『殺人狂時代』……ザザといい、妹の『黄金狂時代』といい、そういえば『モダンタイムス』はわざと自分の手駒を潰して回っている。わざわざ手間暇かけてそろえた『影使い』を、使い潰しにしているのだ。


 『モダンタイムス』ほど頭の回る男が、愚策によって駒を失うということはないだろう。


 この一連の流れには、なにか意図を感じる。


 ゲームの盤上を支配する『モダンタイムス』は、わざと負け続けているのだ。


 そこには『モダンタイムス』なりの目論見があるように思えて仕方ない。


「……なにを考えてる、『モダンタイムス』……!?」


「べっつにい。小生はただ風の向くまま気の赴くまま、のらりくらりと生きてるだけさあ。伊達と酔狂の人生だよう。深読みするだけ無駄無駄。ハラの中にはなあんにもないよう?」


 にやにや笑う『モダンタイムス』が言った。


 ウソをついているのは明白だ。


 この男に限って、なんの考えもなくただいたずらに手札を放り捨てるだけ、ということはないだろう。この男は、ゲームをしているのだ。積み重なった敗北は、のちの勝利のための布石に過ぎない。『モダンタイムス』は、失った手駒以上の成果を見据えているのだ。


 しかし、その勝利の完成形というものがわからない以上、ハルたちには向かってくる敵を打ち倒す以外の選択肢はない。降りかかる火の粉を取り払うことしかできないのだ。


 そして、そのすべては『モダンタイムス』の計画につながっているのだろう。


 どうすることもできないもどかしさに、ハルはほぞをかんだ。


「あ・貸しひとつね!」


「……僕に貸しなんて作ってどうする?」


 慎重に問いかけるハルに、『モダンタイムス』はあくまでも気楽に笑う。


「さあね?」


 今は答え合わせの時ではない。そう言わんばかりに首をかしげてとぼけると、『モダンタイムス』は肩をすくめてうそぶいた。


「けど、こっちの方が面白いっしょ!」


 ひとひとりの死を『面白い』と評するこの男。


 狂人か、天才か。


 今のハルの器では測りかねた。


 『モダンタイムス』はにんまりと片目を細めると、


「はいはーい、これにて一件落着、大団円! よかったねえ、塚本ハル君! 紛れもなく君たちの勝ちだよう! 大金星だよう! ほらほら、もっとよろこびなよう!」


「…………」


「カーテンコールはございません! セイギノミカタが悪を成敗して、これでお茶の間も安心して晩御飯にできるねえ! ザッツ・エンターテインメント! 『喜劇王』らしい幕切れだ! はい、拍手!」


「あるじ様、そろそろおからだに障ります」


 ぱちぱちと気のない拍手をしている『モダンタイムス』に、横合いからそっと秋赤音がささやきかけた。大の大人にかける言葉としてはあまりにも過保護だが……?


 当の『モダンタイムス』は口を尖らせて頬を膨らませ、


「ちぇー、わかってますよう! じゃ・小生たちはここいらでおいとまいたしますよう! きっとまた会えると信じて、今日の日はさようなら、だ! しーゆーあげいん、塚本ハル君!」


 影子がいない今、深追いしても意味がない。なにより、『モダンタイムス』の得体の知れない企てがある以上、ヘタに動くのが一番危ない。


 一本歯の下駄を高鳴らせながら、秋赤音と共に『モダンタイムス』は去っていった。真冬の空っ風にひらりと花魁衣装をたなびかせながら。


「……なんだったんだ……?」


 完全に姿が見えなくなってから、ハルはいぶかしげにつぶやいた。


 『影の王国』の……いや、『モダンタイムス』の目的はなんなのか、今一度明らかにしなければならない。何のために負け戦をしているのか、そこには理由があるはずだ。それをはっきりさせない限り、ハルたちは『モダンタイムス』のいいように踊らされるばかりだ。


 後手後手に回る今の状況を打開するには、それしかない。


「……けど、とりあえずは助かったのか……?」


 あとには、ハルと『独裁者』の死体だけが残されている。このままではハルが警察に連行されてしまうので、そうならないように電話をかけた。きっちり3コールで出た相手に状況を説明して、可及的速やかな対処を頼む。


 電話を切ったハルは、何とも言えない後味の悪さにさいなまれていた。


 『独裁者』は消された。マスターや『黄金狂時代』と同じく、『影の王国』自身の手によって。


 だんだんと『影使い』の数が減っていく。それだけが事実としてあった。


 もはや駒の取り合いどころの話ではない。それを根底から覆す計画が、『モダンタイムス』にはあるのだろう。


 だとしたら、『影使い』による『影の王国』を完成させることを犠牲にしてまで達成すべき目的とはなにか?


 そこが不明である以上、ハルの中のもやもやは消えなかった。


 ……ひとまずは、『閣下』に詳しい成り行きを説明しに行かなければならない。『影の王国』対策本部長としては、この大一番は絶対に落としてはならなかったはずだ。おそらくはハルと影子だけで立ち向かったことについて嫌味を言われるのだろうが、そこは粛々と聞き流そう。


 『ASSB内部の敵』という話もどうなっているのか気になるところだ。


 いろいろな雑事が終わったら、影子の回復を待ってその労をねぎらうことにしよう。


 『アタシを賭けろ』とまで言ってくれた勇ましい恋人の安眠を願いつつ、ハルは対策本部の人間の到着を待つのだった。

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