№22 出撃の朝

 クリスマスが終わって、年の瀬が迫る。


 そして迎えた、決戦の日の朝。


 制服に着替えたハルは、同じく黒いセーラー服の影子に手を差し伸べて告げた。


「それじゃあ、行こうか」


「ん」


 その手を取り、繋ぎ、影子が答える。


 影子の首には赤いマフラーが巻かれており、ハルの胸元にはカラスの羽のブローチが光っていた。


 ハルも影子も、まだ本調子ではない。ハルは一時帰宅をしただけだし、影子も影にこもっている時間が長い。無理をしている、と言われればそうだが、なんとかして今年中にはケリをつけたかった。


 手に手を取って朝の光が差す道を歩き、公園にたどり着く。


「影子様!」


 そこには、タキシードで盛装した『独裁者』が、大きなバラの花束を持って立っていた。振り切れたような笑みは以前と同じだ。なにひとつ学習していない。とんでもないバカなのか、サイコパスなのか。


 『独裁者』は、影子と手を繋いで現れたハルを見とがめると、不機嫌そうに眉根を寄せた。


「……まだ生きてたんですね?」


「ええ、おかげさまで。その節はどうも」


 痛みをこらえながらハルが応じると、『独裁者』は苦虫をかみつぶしたような顔をする。


 影子が一歩、前に出た。


「てめえだけはこの手でぶっ潰してやんねえと、気が済まねえんだよ!!」


 こぶしを打ち鳴らし、すでに戦闘準備は万端だ。


 ハルのことといい、その言葉といい。


 『独裁者』の中の不穏な予想が、確信に変わった。


「……まさか、影子様……ご冗談、ですよね……?」


 ご機嫌伺いをするように笑いかける『独裁者』は、花束を小脇に抱えて影子に手を差し伸べた。


「さあ、こちらへ」


「寝ぼけないでください」


 凛とした声を口にしたハルに、『独裁者』の視線が刺さる。


 それでもなお、ハルは言い募った。


「影子は僕のもので、僕は影子のものだ。誰にもやるもんか!!」


「……っつーわけで、いっちょ叩き潰されてくれ、クソ虫」


 見せつけるようにハルの腕を引く影子。そんな姿を前にして、『独裁者』の腕からばさりと花束が落ちた。


「……うそだ……」


 『独裁者』は癇癪を起した子供のように、落ちた花束をぐしゃぐしゃと何度も足で踏みにじる。


「うそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ!! 僕の思い通りにならないなんて、こんなのウソだ!! こんなの、おかしいに決まってる!!」


 タキシード姿で頭をかきむしり病的な勢いで花束を踏みつける『独裁者』を見て、影子は一気に臨戦態勢に入った。ハルを後ろにかばい、影から黒いチェインソウを引きずり出す。


「……手に入らないなら、いっそ……!!」


 がくがく震える自分の手を見詰めながら、病んだ眼差しでつぶやく『独裁者』。


 その影から『アイアンメイデン』が出現するのと、影子のチェインソウがエンジンのいななきを上げたのはほぼ同時だった。


「……わかってるな、影子?」


 なるべく感情を押し殺した声で問うハルに、影子は潔い返事をした。


「イエス、マイダーリン」


 『アイアンメイデン』から伸びてきた無数の黒い鎖を、影子は一切叩き落そうとはしなかった。それどころか、おとなしく捕まってしまう。


 鎖は黒い鉄の処女の奥へ容赦なく影子を引きずり込み、呆気なく扉が閉じた。


 次の瞬間、以前と同じように黒い血しぶきがあちこちから上がる。


「ははっ! なんだ、簡単じゃないか……!!」


 狂気に彩られた笑声を上げる『独裁者』。しかし、このあっけなさに何かしらの意図を感じるだけの知性が、『独裁者』にはなかった。


「ああっはっはっはっはっはっはっは!! これで影子様は君のものじゃなくなった! ざあんねんでしたあ!! バーカ!!」


 小学生の煽り文句でももう少しマシだろう。『独裁者』の勝利宣言に、しかしひとり残されたハルは表情ひとつ動かさなかった。


「さあて、次は君の番だ。ゆっくりと時間をかけて……」


 『独裁者』の言葉を遮って、ぎゃりぎゃりとひどい金属音がする。はっとして振り返ると、『アイアンメイデン』の頭のてっぺんからは黒い血にまみれたやいばが生えていた。


 回転する鋭い刃はそのまま『アイアンメイデン』を真っ二つに両断し、鉄の処女の残骸が、がらん、と影に沈んでいく。


 真っ黒い血に染まった影子は、チェインソウを片手に、しゅう、と息をした。黒い細面の中で、見開かれた瞳だけが赤く輝いている。


「な、なんだと!?!?」


 絶対無敵だと思っていた『アイアンメイデン』が破られ、青い顔をする『独裁者』。満身創痍のはずの影子は、いつも通りふてぶてしくにんまり笑い、


「……あいにく、うちのダーリンはてめえと違ってめちゃくちゃ頭良くてなあ……こんなもん、ちょっと我慢すりゃあ、内側が剣山なだけのハリボテだ……正攻法でぶった斬るにゃあ、ちょいと固すぎたんでな……」


 『アイアンメイデン』の装甲は頑丈だ。影子のチェインソウでは歯が立たないほど。


 しかし、一度内側に潜り込んでしまえば話は違う。


 どれだけ強固に外側を固めても、内側はもろいものだ。外骨格型の昆虫類と同じ、中は内臓のようなもの。影子のチェインソウでも容易に破れる。


 ただ、ハルにとっては影子を犠牲にするこのやり方は、最後まで取っておきたかった。出し惜しみはなしだ、と影子自身に背を押され、結果目論見が当たった。


 黒い血まみれの影子は痛々しくて見るに堪えなかったが、ハルは目をそらさなかった。自分で決断し、そして命令した。目を背けてはいけない。


 『アイアンメイデン』を失い、呆然自失の『独裁者』の眼前に、こぶしを握り締める影子が立つ。ぽたり、こぶしから黒い血のしずくが落ち、影子はくちびるの両端を持ち上げた。


「……そういうこった……さあて、おとなしく料理されてもらおうか……?」


 これで勝ちは決まった。あとは『独裁者』がどう出るかだ。

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